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世界的なマネー循環に関する最新書籍

毎年数千億ドルの経常赤字を垂れ流している米国、その赤字分を、「グローバリゼーション」の押し付けによってリファイナンスし、巨額な資金循環そのものから運用利益や手数料を稼いでいる投資銀行業務、そのエゴイスティックな状況は、今後どうなるのか?
最近、話題となっている書籍とその書評を、備忘録的に扱ってみた。
まず最初は、「ドルはどこへ行くのか—国際資本移動のメカニズムと展望」、次に、「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」、最後は、資金循環を離れて「アメリカの終わり」。

1.「ドルはどこへ行くのか—国際資本移動のメカニズムと展望」(ブレンダン・ブラウン著、 訳 、春秋社2007年4月発行)
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アメリカは巨額経常赤字でもドル暴落はないとする立脚点
アメリカ経済が微妙な局面に入っている。
公式発表では、アメリカ経済は依然緩やかな成長局面にあるというが、成長率の減少自体は否定しようがない。特に懸念されているのがGDP比六%を超える経常赤字で、これを世界からの資本流入が支えている。その額はまさしく巨額であって、皮肉というべきかニューヨーク株式市場は連日「歴史的な」活況を報じている。
これをアメリカ経済の強さの証しと見るか、弱さの裏面と見るか。エコノミストの論調も真っ二つである。正統派であれば経常赤字の持続を困難とし、ドルと株価の暴落を恐れるだろう。ところが本書は、経常赤字は当分持続可能であるという。
本書は単なる楽観論の書ではない。経常赤字・貯蓄不足の国があれば、他方に必ず経常黒字・貯蓄過剰の国がある。言うまでもなく日本、中国、中東諸国などである。この過剰貯蓄は、金利が高くリスクプレミアムが小さいアメリカに、今のところ流れざるをえない。
むろん、円からユーロなどへも資金は流れるが、ユーロからさらにドルへ資金が流れるから、これはターンテーブルに乗せたようなものだと著者は言う。かくして経常赤字があってもドル高は続き、経常黒字であっても円は下がってゆく。ゆえに為替による不均衡調整はもはや期待できず、経常収支を変化させるには世界の需給構造が変化するしかない。これは当然アメリカ一国で動かせるものではないから、ゆえにアメリカの経常赤字は当分持続せざるをえないという結論になる。アメリカ経済をアメリカにおいて見るのではなく、世界全体の経済構造のなかにはめ込んで理解しようとする点に、本書の特徴がある。
多国籍企業が一般的になった現代において、本書のように資本移動を「国」単位で分析する姿勢には批判もありえよう。とはいえ、個々の経済行動を全体的な構造制約のなかでとらえようとする姿勢は、古典的ともいえる一方、グローバリゼーションのなかでかえって現実味を増しているのかもしれない。そうした点も含め、示唆に富む内容豊かな一書である。【評者 井上義朗 中央大学商学部教授】

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2.「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」(ジョセフ・E.スティグリッツ著、楡井浩一訳、徳間書店2006年11月発行)
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米国政権の中枢にいたノーベル賞経済学者の告発
グローバリゼーションは世界中にアメリカのやり方を押し付けるものであり、貧しい国をますます貧しくする。それは先進国に有利なように不公正な貿易を推進し、地球環境を破壊している。そのうえアメリカは1日20億ドルから30億ドルも貧しい国から借金をして、その借金経済の上に立って富者はますます富んでいる。
かつてクリントン大統領の経済諮問委員長をつとめ、世界銀行の上級副総裁をしていた有名な経済学者がこのように告発する。前著『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)に続いて、今回の本では体系的に、そして徹底的にアメリカが推進しているグローバリズムのやり方を批判している。
問題は、そのグローバリズムを推し進めているのはいったい誰か、ということである。それは直接的にはワシントン・コンセンサスを推進しているアメリカ財務省やIMF、世界銀行のスタッフかもしれないが、その背後には多国籍企業といわれる巨大株式会社がある。
そこで本書ではこの巨大株式会社にメスを入れているところが注目される。グローバリゼーションがこのように事態を悪化させているのは、株式会社が株主有限責任であるということにあるのではないか、という根本的問題を提起する。インドやパプアニューギニアなどで事故を起こし、多くの死者や怪我人を出しても、会社は刑事責任を問われない。もちろん株主の責任など誰も問題にしないが、そのこと自体がそもそもおかしいのではないか。たとえば環境破壊などでは株主にも責任を負わせるべきではないか、という。これは株式会社の根本にかかわる大問題だが、第7章でこのような問題を提起している。
この改革案として、たとえば経営者に刑事責任をとらせるべきだともいう。情報の経済学が専門である経済学者がグローバリゼーションという現実に立ち向かっていくなかで、株式会社の基本を問うようになったということに時代の大きな変化を感じるとともに、経済学のあり方が変化を迫られているということを強く感じさせられる。
著者はグローバリゼーションそのものに反対しているのではなく、その進め方を批判しているのだが、それにしてもアメリカ大統領のスタッフとしてそれを推進する立場にあった人からこのような激しい告発を聞くことに、異様な感じを持つ読者もいるかもしれない。
日本にも政府の御用学者になっている経済学者はたくさんいるが、そのような人からこの本の著者のような政府のやり方に対する批判を聞いたことがないのはどうしたことか。【評者 奥村宏 株式会社研究家】
ジョセフ・E. スティグリッツ Joseph E. Stiglitz
経済学者。2001年ノーベル経済学賞受賞。1943年生まれ。マサチューセッツ工科大学、イェール大学教授を経て、コロンビア大学教授。クリントン政権時代の経済諮問委員会委員長、世界銀行上級副総裁など歴任。

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3.「アメリカの終わり」(フランシス・フクヤマ著、会田弘継訳、講談社、2006年11月発行)
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米思想界の底力発揮
 ブッシュ米大統領は1月23日の一般教書演説で、2万人の米軍増派を柱とするイラク新政策を米連邦議会が認めるよう訴えた。だが、民主党が多数を占める議会の壁は厚い。2001年の9・11同時多発テロが基点となって03年春に開始されたイラク侵攻が、今日のような泥沼を招くとは、どれだけの人間が予想しただろう。91年の湾岸戦争のあっけないほどの成功体験が、判断を誤らせたのは間違いない。
 本書は、ネオコン(新保守主義)を自認してきた著者が、ブッシュ政権の対外政策を支える政治思想を歴史的視点から検証し、イラク侵攻を主張したネオコン学派を批判して決別宣言をした、問題の書である。いまやネオコンという語感にはこれを蔑(さげす)むような響きがある。ところが本書では、ネオコンの来歴は、1940年代に若手研究者が抱いた社会主義への幻滅を淵源(えんげん)とし、福祉政策の副作用を注視する一方で、政治の古典を研究する思索派であった、とする政治思想史がスリリングに語られている。
 著者による批判の核心は、ほんらい保守派は、外交面では国際条約や国際機関の限界を見極めながら同時に、深い洞察と自重を旨とする立場であったはずなのに、機動的な軍事介入によってフセイン政権さえ倒せば、あたかも民主主義が自生してくるかのように考えていた、近年のネオコン学派の単純さ、一点にある。
 冷戦後、孤高の軍事超大国となったアメリカは、文字通り、リバイアサン(怪物)である。イラク戦争に対する反省の上にたち、その巨体のあるべき身のこなし方について、著者は一気に語り下ろしている。破格の軍事力を保持する現実に見合った理性を回復しようとする、アメリカという国のバランス感覚と安定感を体現したような著作である。アメリカ外交の尊大さは非難されて当然だとしても、本書の誠実さと、これを生み出すこの国の思想界の若々しさは、正当に評価されるべきであろう。会田弘継訳。
 ◇Francis Fukuyama=1952年、アメリカ・シカゴ生まれ。国際政治学者。
評・米本昌平(科学技術文明研究所長)

本よみうり堂書評欄から [3]

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