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地方分権の歴史

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最近は、何であれ地方分権は肯定すべきものというのが流行りだ
地方分権というコンセプトに対して、政治経済の世界で反対する勢力は見当たらない状況
しかし、一億総賛成とも言える今の状況は本当に大丈夫なのだろうか?
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少し歴史を振り返ると…
江戸時代の日本は、幕藩体制という地方分権体制
1868年明治維新によって中央集権体制がとられた
1871年戸籍法制定、1872年大区小区制度により官選知事による地方統治で中央集権が強化
1880年頃から自由民権運動が広がる…天皇制藩閥政府に対する反発
1890年国会開設…近代的・強力な官僚制度(プロイセン型)の構築
第2次大戦終了までは、軍・財界・帝大・官僚による支配構造…中央集権・序列体制が定着
戦後、アメリカ主導で社会体制は地方分権に向かって大きく舵が切られた
1946年日本国憲法制定
1947年地方自治法制定
地方自治とは、以下のような必要性があるとされた
・独裁・専制政治に対する防波堤
・政治の地域的な実験場
・地方自治は民主主義の学校
・地方自治は民主社会改革の場

その後、高度経済成長の時期は、護送船団方式とも言われた日本独自の集権的な体制
1990年発足の第3次行革審から、行革と地方分権が一体のものとの考え方で次々と答申
1993年衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」
1994年細川内閣、行政改革推進本部内に地方分権部会設置
1995年「地方分権推進法公布」、財界主導の「地方分権推進委員会」発足
1999年「地方分権一括法」成立
2002年から「三位一体改革」
最近は、地方分権に対して以下のような言われ方がされている(リンク [1]
・地方自治、地方分権は、民主主義社会・民主国家の建設のために不可欠なこと
・地方分権とは、地域の歴史・伝統を活をかして住みよい社会をつくること

以上の歴史を振り返ると、以下のようなポイントが挙げられる
●明治以降の中央集権体制は西欧列強に対抗するためのもの
●戦後のアメリカによる地方分権的制度の制定は従来の日本的国家体制の解体を目論んだもの
 (近年の構造改革要望書における要求も同根のものと見れる)
●旧左翼系の勢力から、反権力・人権・民主・地方自治といった、原理的地方分権論が主張される
●高度経済成長が終焉した70年代以降に、財政赤字の増大や地方格差の拡大などから、行政の効率論的な立場から地方分権論が浮上
●90年代以降、国際関係強化、市場開放、規制緩和などの必要を唱えて、財界主導による地方分権が推進されている
様々な立場からの思惑がありながらも、地方分権というスローガンに表立って反対する立場はない という状況に至っているとみなせる
しかし、アメリカに頭が上がらない政財界主導による地方分権の流れにまかせていてよいはずがないだろう
一方、相も変わらず、反権力・人権・民主といった旧い観念に基づいた原理的地方分権論では新しい時代に相応しい体制はできないだろう
地方分権という表層的なスローガンに引きづられることなく、これからの社会はどうあるのが良いのかについて、市民みんなが考えていくことが必要とされている
by わっと

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