2007-12-06

基軸通貨について 金・基軸通貨体制の変遷

ドル信認の危機、ドル暴落も想定される状況にある。一部には「金・原油・穀物」の「ハイブリット実物」に裏づけされた世界通貨という見方も登場している。

そこで、基軸通貨の歴史(ポンドとドル歴史)を改めて見てみる事とする。

基軸通貨というときは、世界最強国家のナショナルカレンシー(個別国家の通貨)が、世界貿易の決済通貨(=基軸通貨)としても信認を得ている通貨システムです。

前史(古代及び中世ヨーロッパ)

古代王国の段階では、社会機構の中で、市場(貨幣を介した取引)は部分的にしか存在していない。そのために、世界通貨・基軸通貨というものを必要としていなかった。

ローマ帝国を見てみれば、以下のような状況である。

帝国の中軸は、市民による「ローマ軍」であり、それは市民皆兵の元で編成される。ローマ市民は、自力で装備を整えるので、軍備が貨幣を介して市場で調達されることはない。
(なお、商人国家であるカルタゴは「傭兵軍隊」を編成するために、当時のギリシャ金貨・銀貨で軍隊を編成し、ローマ軍に敗北している。)

平時の生活の基盤となる食料・小麦は、各州及び属州からの税として徴収され、それが、ローマ市民に分配される。ここでも、貨幣が介在する市場は、原理的には存在しない。

ローマ帝国では、市場=貨幣経済は、国家にとって従属的なものであり、広域帝国内では、ローマ金貨・銀貨と共に、ギリシャ金貨・銀貨も平行して使われていた。最強国家であるローマ帝国の通貨に全てを統合する必要がなかった。

ユリウス・カエサル時代の「デナリウス」銀貨
republic_12.jpg republic_12r.jpg
写真は、augustusさんの『古代ローマ』から
リンク

しかし、古代国家の狭間、国家と国家の間で取引を行なう商人階層が存在し、この商人階層の間では、金貨・銀貨の価値(金含有量、銀含有量)をもって、取引が行なわれて行く。

古代世界は、軍事力による国家の存亡が中心事項であり、その狭間に、金・銀を価値基準とする「商売=市場」が存在するという基本関係である。

但し、商人階級の間で、国家とは相対的に独立に、金・銀を価値基準とする共通意識が成立し、金・銀(硬貨)というものが、国家の歴史を超越したものとして成立して行く。

そして、中世の分裂小国家(封建領主国家)の時代に、中世商人のギルド(同業者組合)により、金貨・銀貨(金あるいは銀)を価値基準とする活動が拡大していく。

中世商人階級の世界では、金本位制(あるいは銀本位制)が確立する。

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大英帝国のポンド・金兌換制の誕生

近代市場の登場とは、あらゆる人間活動が、お金=通貨単位で推し量られ、取引される時代である。

言い換えれば、商人階級の金・銀を価値基準とする世界が、国民国家の中心に据えられて、基軸となった時代である。

国民国家通貨(ナショナルカレンシー)は、自国内の取引基準とはなり得るが、他国との取引では、ナショナルカレンシーのままでは信認が得られない。

例えば、日本と中国の貿易決済を考えてみる。日本の輸出事業者は、日本円での受け取りを要求する。中国の輸入事業者は、その輸入商品を中国内で販売するので、中国元が収入であり、できれば中国元で輸入代金を支払うと都合がよい。貿易決済は、即時的なナショナルカレンシー同士では、上手く行かない。

ましてや、国家間が緊張状態にある場合は、相手国通貨への信認は極端に低下し、貿易取引そのものが崩壊する。

常に国家間の戦争・緊張状態にありながら、国家間の貿易取引を成立させるものとして、金に裏打ちされた「ナショナルカレンシー」が、最も富の集中した(金保有量が最大の)国家、イングランド王国に登場する。

英国の中央銀行である「イングランド銀行」が、大同盟戦争下にあったイングランドの軍事費を調達する目的で1694年創設され、イングランド王国政府の銀行として同年7月に、ウィリアム3世・メアリー2世の勅令により認可される。

イングランド銀行は、当初、イングランド域内で流通するポンド通貨(イングランド王国通貨)の発行を行なう。17世紀に入り、産業革命を果たし、インドをはじめとした植民地の拡大により、富の蓄積を果たした英国は、金に裏打ちされた通貨システムを確立させる。

1816年貨幣法 : 英国の金本位法。金1オンス = 3ポンド17シリング10.5ペンス
1917年 : 1ポンド金貨・ソブリン金貨を発行
1821年 : イングランド銀行券の金兌換確立
1844年 : イングランド銀行が銀行券の発券業務を独占

写真:1816年のイングランド銀行と王立証券取引所
BankofEngland.jpg

そして、金に裏打ちされ、軍事的にも7つの海を支配する「大英帝国」のポンドが、諸国間の決済通貨としての地位を確立する。基軸通貨『ポンド』の成立である。

英国と対立する諸国も、ポンド経済圏に組しかれない為に、金本位制(自国通貨の金兌換制)を導入して行く。

1854年ポルトガル、1871年ドイツ、1874年オランダ、1878年イタリア、 フランス、 ベルキー、1881年アルゼンチン、1885年エジプト、1892年オーストリア、 ハンガリー、1897年 ロシア、日本(日清戦争の賠償金を元に金本位制へ)、1899年インド、1900年アメリカと続く。

この時代の国際取引決済はどう行なわれるのか。

日本が英国から軍艦を購入する。ポンド建ての輸入である。日本は、欧州向けに絹織物を輸出する。ポンド建てである。イングランド銀行における「日本政府」口座の中で、軍艦購入代金と絹輸出代金が、相殺される。購入代金が不足する場合は、日本からイングランド銀行に対して、金塊が送られ貿易決済が完了する。
(過不足を決済するのに、金塊を送付することを「金現送」と言う。)

上記は、政府取引と民間取引を簡略化している。実際には、民間取引は、日本の横浜正金銀行(戦前の貿易決済銀行)とシティの英国民間銀行の取引決済で行われる。

送る金塊がない場合は、英国銀行からポンド建ての借金をしたり、ポンド建ての日本国債を発行して、ポンドを手当てする。

ロンドンの中心街シティが、イングランド銀行を核として、世界中の貿易決済を行なう銀行、海運保険を行なう保険組合の集積地となり、全ての取引と情報が集中して行った。

但し、最強国家通貨ポンド、金兌換制に裏打ちされたポンドは、大英帝国(=イングランド銀行)が保有している金の総量によって、発行通貨の総量が枠付けされる。通貨供給(イングランド銀行の紙幣発行量)を拡大し、貿易収支が赤字に転じると、海外保有のポンドが増加し、海外保有ポンドから金兌換圧力が高まり、英国保有の金が底をついてしまう。

金本位制の基軸通貨は、「その最強国家が、常に貿易収支で黒字基調であること」 「国際決済の業務がその国家に集中していること」の二つの条件を備えている必要があった。

大英帝国で、この条件が崩れていくのが、第一次世界大戦である。

次回は、基軸通貨ポンドから基軸通貨ドルへの移行を扱います。

List    投稿者 leonrosa | 2007-12-06 | Posted in 05.瓦解する基軸通貨1 Comment » 

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コメント1件

 wholesale bags | 2014.02.10 19:42

金貸しは、国家を相手に金を貸す | 日本版SWF構想の欺瞞

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