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スイス・・・その金融史上の役割と、永世中立国でなければならない理由!?

タックスヘイブンについて調べていたところ、興味深い記述を見つけたので紹介しようと思います。
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以下、 「グローバル経済を動かす闇のシステム タックスヘイブン」 [1]から引用していきます。

銀行の秘密主義の原理は古くからある。スイスの銀行家たちは、すでにフランス革命のときに貴族たちに内密の取引を提供していた。スイスの銀行家たちは当時から定評があって、18世紀のフランスの思想家ボルテールはこう述べている。
「スイスの銀行家が窓から飛び出すのを見たら、すぐにその後を追っかけたまえ。きっとお金が手に入る。」
匿名口座は、19世紀末から開設されている。第一次世界大戦後、ヨーロッパ大陸で課税が始まり、資本移動の法的コントロールが行われるようになるが、それにともなって、スイスにおける両替の自由と銀行の秘密保持は、ますます多くの資本を引き寄せるところとなる。
スイスの銀行家は、ヨーロッパの不安定な経済状況の中で、彼らの金融市場の持つ利点をよく自覚していた。彼らは未来の顧客が見込まれるあらゆる場所で、顧客たちに彼らが提供できるであろうサービスを知らしめるために積極的なマーケティング戦略を採用する。スイスはこの時期に、フランス・ドイツ・イタリア・オーストリアなどの資本を大量に引き寄せ、税の避難所を求める資本の「援助」を専門とする重要な金融市場となる。それはアラン・ヴェルネーが皮肉っぽく指摘するように、一種の“赤十字”のようなものであった。
「スイスは、病気にかかったお金の病室である。病気のお金はスイスで治療され、休息して、再出発に向けて早期回復を図るのである。」
スイスの市場はすでに当時から、民法で保障された銀行の秘密厳守という「比較優位」を広く推進する。1934年のスイスの銀行法は、その47条で、銀行の秘密厳守を刑法の対象とすることによって、さらに深化する。

スイス銀行法 第47条とは以下のとおりです。
1. 何人であれ、銀行の役員、従業員、受任者、清算人もしくは理事の資格で、または銀行業理事会の代表、認知された監査会社の役員もしくは従業員の資格で、委ねられた秘密または知り得た秘密を漏らした者、および他人に職業上の守秘義務に違反するよう誘引した者は、6ヶ月以下の禁固または50,000スイスフラン以下の罰金により処罰されるものとする。
2.上記の行為が過失によるものである場合は、30,000スイスフランを超えない罰金とする。
3.職業上の守秘義務の違反は、役職もしくは雇用関係の終了後または職務の実行の終了後であっても処罰されるものとする。
4.政府機関に対する証言および情報提供の義務に関する連邦および州の法令の規定が適用されるものとする。

現在のレートでは1スイスフラン=100円くらいですから、50,000スイスフラン=500万の罰金ということですね。確かに厳罰のようです。(当時のレートは不明ですが。。。)
では、これがどのようなメリットを生み出すのでしょうか?
引き続き引用です。

1929年の大恐慌とその国際的帰結は、スイスの金融市場にも影響を及ぼす。セバスチアン・ゲーは次のように述べている。
「1931年の後半から数年の間、スイスは歴史的に最も深刻な危機に見舞われた。当時8つほどあった“大銀行”と呼ばれる銀行の中で、一つは破産し、もう一つは連邦国家の大々的な援助によってかろうじて生き延びることができた。さらに残りのうち4つの銀行は抜本的に再編成されざるを得なかった。」
そこでスイスの政府当局は、1933年、新たな銀行法をつくることを決定するのだが、すぐに知れ渡った最初の計画は、金融機関の活動のコントロールの強化を目指すものだった。
世界中のあらゆる時代の銀行家たちと同様に、スイスの銀行家も、自分たちの銀行の口座の公開を迫ることができる公的な権力が増大することを心配し始める。つまり彼らは、そこで掻き集められた情報が、スイスや諸外国の税務当局の目に触れるようになることを恐れたのである。そこで彼らはこのような措置に対抗して、監視を厳しくしないこと、またそれがスイス連邦国家の公務員によって行使されないこと、とりわけ銀行の秘密厳守が強化されるようになることを要求した。そうしてのちの銀行法(1934年)の第47条は、1933年2月の最初の法案の時点から盛り込まれたのである。

ようするにこの法律は、スイスに資産を預けようとする外国人や外資企業に対して、自国(すなわちスイス政府そのもの)に背いてでも、完全に法的な保護をするという仕組みになっています。
つまり
ひとたびスイス国境を越えたら資本は絶対不可侵の聖域に入れる=国家にいちいち干渉させないからやりたいほうだいやっていいよ
ということです。
「やりたいほうだい」というのは、端的に言うと脱税です。
資本家や企業の収支を公開する必要がないので、脱税をしたがる輩からみるとスイスの銀行は垂涎の的、というわけです。
1932年には、もともと「資本の聖域」という性格を有していたスイスの銀行を通じて、あまりに多くの企業が脱税に走るのを嫌気した隣国フランスでは、国を挙げて圧力をかけています。
これに脅威を感じた金貸しが、前述の銀行法47条を確立したという史実も「グローバル経済を動かす闇のシステム タックスヘイブン」 [1]には書かれています。
こうしてスイスは、資産を預けようとする資本家や預かる銀行(金貸し)にとって、絶大なメリットがある国となっていきました。
とりわけスイス銀行法47条は、やがて多くのタックスヘイブンとなる地域で踏襲されていくことになります。
(タックスヘイブンについては後日記事にしたいと思ってます)
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ところで、国家という自集団の統合よりも、金融市場を優先したスイスのこの戦略は、戦争という行為とは相反するのではないかと思うのです。
なぜならば、(他国と)戦争をするとなると、強力な(自国内の)国家統合が不可欠だからです。
「これから闘うぞ!」という集団内に、どこの馬の骨かわからない他国の輩の都合を優先する者がいるとどうなるか?その集団はまとまるわけはありませんね。当然、改心を迫るか、集団外への追放となります。
スイスにひきつければ、戦争するごとに国内の銀行は国家に協力させられる=「資本の聖域」が崩されることになり、銀行(金貸し)から見ると、これはたまったものではありません。
つまり、金貸しの都合を最優先させるために、戦争はなんとしても回避する必要があった、よって「永世中立」とか「平和」という観念で美化してカムフラージュしてきた、というのが実態ではないか、と思うわけです。

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