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ヨーロッパにおける地方自治・分権化の歴史

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1980年代のEU統合の流れをきっかけにした地方分権化のグローバリズムがいま日本にも及んでいるわけですが、市場経済のグローバル化と平行するその動きとは別に、もう少し長い歴史の中から現代に繋がる自治・分権化の流れがあるようです。
民族と国家の関係史とでもいえるものですが、しかしそれも市場(金貸し)の動きと無縁ではなさそうです。
推論を交えつつ改めて整理してみたいと思います。
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現代のEU域内では、いたるところで自治・分権化を要求する動きが出ている。(リンク [1]

●過去40年ほどの間に、スコットランド、ウェールズ、カタルーニャ、バスク、ガリシア(スペイン)、フランデレン、ワロニー(ベルギー)、アルト・アーディジェ(南ティロル)、ヴァッレ・ダオスタ、サルディーニャ(イタリア)、ジュラ(スイス)といった民族地域が「自治」や「連邦」化した。
●これらの地域の人々は自らを一個の「ネーション」というが、生まれを共にし、歴史的にある領域に居住する集団が、「われわれ意識」をもち、自らの共同体をつくろうという意志を持つとき、これをネーションと呼ぶ。
●これらのナショナリズムは独立国家を目指す「民族自決ナショナリズム」とは異なり、官僚制化された近代国家に反発し、小さくとも共同のアイデンティティの下で生きられる社会を求め、経済的自立と文化、言語の擁護を志向するもの。
「分離独立」が狙いではないため、「自治」の要求の中身としては経済とならんで文化・言語の権利要求が中心となっている。
これらの運動は国民国家統合の時期を経たのちの多様性の追求(文化・アイデンティティの要求)であるといえる。
1981年10月に欧州議会でアルフェ報告が提出され、教育カリキュラムの中での地域言語・文化教育を承認すること、公的生活においてマイノリティが固有言語で自分を表現し、公権力の代表者に対して発言することを可能にすることなどが求められた。

一方、現代に至るヨーロッパの歴史を振り返ると以下のようになる。
※以下一部要約引用させていただきました。(リンク [2]
●封建体制下の時代、地域間の交易が拡大するとともに貨幣経済が広がり始め、14世紀初頭の頃には封建体制に代わるものとして、領主主権国家、都市同盟、都市国家といった体制が登場し始めた。
●その後、17世紀中頃には領主主権国家の優位性がはっきりしはじめた。
社会秩序の確保、内部コストの削減、他の統合体と信頼関係を結ぶ上での効果、などの面で領主主権国家の優位性が明確になっていった。
主権国家は、行政範囲と権威を一元化して成員のただ乗りを防止し、通貨・度量衡の統一などで経済を合理化した。その結果、より高い戦争遂行能力を獲得していった。
●主権国家間の闘争の中から、より強い力を発揮できるものとして近代国民国家が形成されるようになっていった。
19世紀に入ると、イギリスをはじめとする西欧列強諸国が世界のいたるところで植民地争奪戦を展開するようになる。
●その後、2度の大戦を経て、市場経済が発展し始めると、より広い統一市場を形成するために主権国家の解体が進められ、平行して地方分権化が進められるようになった。
以上の流れの中で、17世紀に主権国家が形成されたあたりに、現代のネイション・アイデンティティを求める動きの出発点がありそうだ。
近世から近代に至る主権国家の形成過程では、統合体として確立するために言語の統一と歴史・文化の共有化が進められた。現代のネイション・アイデンティティとは、この主権国家の形成過程で強制的に排除された言語・文化などのアイデンティティを取り戻そうとする動きと言える。
一方、かつて政治的独立を目指し民族自決を指向する動きがあったが、現代のEU域内の動きはそれとは位相が違う。
主権国家の形成期から現代に至るまでの間、市場社会が拡大する中で人々は市場に取り込まれ、その中で私権をより拡大できる可能性に収束してきたとみなせる。
主権国家形成期は交易商人たちが稼ぐ富をいかに国家に取り込むか、いかに広い植民地を取り込むかが中心的な課題となり、その後、市場の主役が産業(工業)から金融へと移行してきたが、国家に金を貸す金貸したちが常に背後に存在し続けていた。
現代の市場社会を前提にした自治・分権化の動きとは、金貸したちが造ったフィールドの中で、市場拡大の動きを補完するものでしかなくなっているのではないだろうか。
byわっと

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