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日本金融史1 〜近代化の始まりは明治維新ではない!〜

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日本の借金は、800兆円を超えている [2]と言われています
ここまで膨れたのは、一体なぜでしょうか
普通に考えれば、もっと早くに手を打っておけばここまでにはならなかったのでは
   
何か、手を打てなかった理由があるはず。そこで私たちは、日本政府にお金を貸した日本の金貸し達に、注目してみる事にしました。
    
その内容を『日本金融史』シリーズと題して、扱っていきます
    
日本の金貸し達は、どのように生まれ、どのようにしてその勢力を拡大してきたのか。また欧米の金貸し達とは、どのようにつながってきたのか? 歴史をさかのぼって追求していきます!
    
その際、広瀬隆氏の『持丸長者』(ダイヤモンド社)を参考図書として、その中から重要な論点を紹介していきたいと思っています
    
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今回は手始めに、幕末〜明治維新の金融史を追求していく上で、必要な視点について、『持丸長者 幕末・維新篇』で指摘されている点を取り上げます

 こうして見ただけで、維新後に日本をリードした近代的産業の母体を、徳川幕府に仕えていた頭のいい人間たちが生み出した姿が浮かびあがってくる。維新政府は、その幕府の要人をこの世から抹殺して物言えなくしてしまい、旧幕府をさんざんにののしり冒瀆しながら、実はあとから出てきて、幕府が磨いた知恵と遺産を横取りし、それをすっかり利用し、あたかも文明開化が自分たちの功績であるかのように喧伝してきたにすぎないのではないかという疑念が湧いてくる。

    

 なぜこのような歴史の間違いが生まれたかと言えば、学術的な時代の区切り方が誤ってきたからである。教材では、政治体制・統治者を中心に歴史を眺めるのが好きである。そのため、関ヶ原の合戦から幕末までの徳川幕府時代を「近世」と呼び、明治時代からの天皇制を「近代」とする。書物を開けば、江戸時代と明治時代のあいだに一線を引き、江戸時代を「近代」から分離しているのである。これが、とんでもない誤解のもととなる。

  

 これが膨大な日本人に、明治維新=近代化という先入観を与えてきた。

(以上、『持丸長者 幕末・維新篇』 [3]より)
  
  
広瀬氏は、ペリーが来航してまもなく建設された長崎鎔鉄所(今日でいう製鉄所)にかかわった人間たちの「知性的人脈」を一通り紹介したうえで、上記のように警告を発しています
   
たしかに私たちは、「明治維新=近代化」というイメージを強固に持っています。。。別の言い方をすると「江戸時代=近代化以前」というイメージを、持っているのです 広瀬氏はその理由を、「教材では、政治体制・統治者を中心に歴史を眺めるのが好き」とだけ書いています。実際には「好き・嫌い」の次元にとどまらず、「教材」が作られる背景には、統合者たちの意図があるでしょう
日本の近代化は明治政府によって着手されたのではなく、もっと前から、遅くとも幕末には始まっていた、という指摘には、ハッとさせられます
これは「近代」にかぎった話でなく、歴史を追求・検証していくときには、“時代区分”という固定観念の壁を超えて、事実構造を発掘していく必要がある、ということを意味しているのではないでしょうか

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