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日本金融史2 〜蛾=生糸から産業が生まれ、銀行が生まれた〜

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錦絵「上州富岡製糸場」(明治5年)
今回は、日本金融史2として、日本金融史を考えるに、幕末から明治にかけての製糸業の果たした役割をみて行きたいと思います。
◆開港から始まる、生糸輸出と財の蓄積
安政六年(1859年)に、外圧に耐えかね、長崎・横浜・函館が鎖国を破り、商業貿易港として開港されます。中でも、横浜開港の影響が大きく、ここで行なわれた生糸の輸出による産業の発展と財の蓄積が、その後の政治や銀行設立や財閥の形成と大きくかかわりを持っているようです。
横浜開港の4年目(1863年)には、実に生糸輸出の99%が横浜に集中し、明治の中ごろまでには、生糸生産の中心地である関東甲信地方に、その輸出の7割を握る、五大売込商という輸出商人がうまれ、その後、これらの売込商は各地の有力者と婚姻関係で結びつき、財閥とも関係を深めて行くのです。
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◆銀行の設立
一方で生糸売込商=輸出商たちは、世界的な生糸相場の激動によって絶えず大損害をこうむる危険と隣合わせにあったため、自ら銀行株を大量に保有する銀行を設立し、その銀行資金を生糸貿易に循環する巧みな仕組みをつくり出し、資本の安定化を図っています。
明治7年の横浜第二国立銀行の誕生と成功がきっかけとなり、その後、地場産業を盛んにするための融資を行う郷土銀行が全国に雨後の筍のごとく生まれ、結果的に国立銀行条例の改正もあって、明治11年には153 もの国立銀行が生まれるのです。
その後は、地元産業の育成の失敗や不況などにより、財閥系銀行に飲み込まれたりしながら、現在の銀行の基礎となるのです。
◆日本の銀行を初め、通信も鉄道も新聞も、繊維業の生み出した資金で始まった
このように、日本の銀行は、蛾=製糸業から生まれたわけですが、そのほかにも、通信や鉄道は生糸輸出の中心である横浜を基点として生まれており、日本の日刊新聞もまた、全国屈指の財力を有する生糸売込商の手で横浜で生まれているのです(横浜毎日新聞)。
また、三井・三菱・住友・安田・古河などの財閥が幕末から明治初期にかけて、形成されていますが、これも全産業の70%を占めた、繊維業が生み出した資金によるもののようです。今後この辺りを押さえて行きたいと思います

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