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戦後日本の高度経済成長を検証する NO.3   〜朝鮮特需による外貨獲得〜

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シリーズ「戦後日本の高度経済成長を検証する」第3弾!!
第1弾 [1]第2弾 [2]に続いて、今回は、1949年4月の単一為替レート(一㌦=360円)から「ドッジ不況」によって停滞した日本経済が、その後、どのようにして経済成長を掴むことができたかの序章です。
日本経済が、大きく躍進するきっかけとなったのは「外貨」獲得ができるようになったからです。
というのも、戦後の日本は物資もインフラも整っていない非常にビンボーな状況でした。
生産力(労働力)を付けようにも、その原資が不足しており、海外から輸入しようにも、当時は外国に払えるほどの「外貨」準備が少なく、調達は非常に困難でした。
そのため、「外貨」獲得によって、輸入が可能となり、国内需要を潤おすことに繋がります。
では、ここで問題です!!
「外貨」獲得のきっかけとなった出来事は大きく2つあります。その2つとは、一体、なんでしょうか?
その前に応援よろしくお願いします!


では、答えを発表します。
それは大きく以下のようになります。
①アメリカの援助と世界銀行の融資
②朝鮮戦争(朝鮮特需)

①のきっかけは、アメリカが共産主義国(ソ連・中国)に対する対立拠点として日本を位置付けたことから始まります。この方針転換によって、日本は単なる植民地として民主化・非軍事化されるのではなく、経済の復興と自立を支援することで国力をつけさせようと意図されました。具体的には、アメリカからの無償援助や世界銀行からの融資によって、物資や資金を確保することが可能となり、その運用益によって「外貨」を獲得することができました。この詳細については、次回以降の投稿で紹介したいと思います。
今回は、「外貨」獲得のきっかけ②の「朝鮮戦争」について検証してみます。
朝鮮戦争(朝鮮特需)って?
朝鮮戦争は1950〜53年に韓国と北朝鮮の間で行われた戦争ですが、両国を支援する形で多くの国々が参加しています。
韓国側:アメリカ・オーストラリア・イギリス・ベルギー
北朝鮮側:中国・ロシア
この時、アメリカから戦争に必要な物品・サービスなどが大量に日本へ発注され、この戦争によって得られた需要を「朝鮮特需」と呼びます。ちなみに、この特需(1950‐1953年)の内訳は以下のようになっています。

①物資:8.3億ドル
1位:兵器
2位:トラック,自動車部品,石炭
3位:繊維製品や食料品
4位:家具や有刺鉄線,ドラム缶
②サービス:4.7億ドル
上位:戦車,艦艇などの軍事輸送関係修理や自動車修理
建設・電信電話・荷役,倉庫
参考:日銀《貿易及び貿易外便覧》(1959年12月)

ピーク時には輸出総額の3分の2,外国為替受取高の4割近くの割合を占めていた。朝鮮特需 [3]
この朝鮮戦争は、継続性のない短期的なもので、高度成長に寄与していないとの声もありますが、当時の日本の商品は、国際競争力に乏しく、輸入はあっても、欲しがる人がいないので、輸出が非常に厳しい状況でした。そのため、「外貨」獲得は、大きな意味を持っています。
これは、数字を見てもよくわかります。当時の日本の貿易収支を見ると、実はずっと赤字です。
□貿易収支(百万ドル)
1951年:-287
1952年:-408
1953年:-790
1954年:-427
1955年:-54
参考 [4]
ちなみに、この貿易赤字は1950年〜1965年までずっと続きます。
高度成長期と呼ばれる時代にもずっと赤字だった理由は2つあります。
①1ドル=360円だった
②日本製品に国際競争力が無かった

詳しくは、以下を参照します。

当時の日本は、1ドル=360円の固定相場でした。そして、ドルを基軸とするブレトンウッズ体制のもと、基本的にはこの1ドル=360円を維持するような経済運営を要求されておりました。具体的には、
設備投資が急増→景気拡大→貿易収支悪化→外貨準備減少→金融引き締め→景気後退
ということを繰り返し、360円を守るため、言い換えると経常収支の悪化を防ぐために、わざわざ金融引締めを行い、景気を悪化させていたわけです。
こうした状況は、1968年頃から解消されていきます。この頃の日本には、成長率が高いにも拘わらず貿易黒字が定着するという、いわば「構造的黒字」と呼ばれる現象が認められるようになりました。その理由をひとつあげると、日本の輸出競争力がついてきたことから、1ドル=360円というのが日本の実力に比して割安な為替レートになっていたということになるでしょう。その結果、1971年にはドルの切り下げ(円の切り上げ)が行われ、1973年には変動相場制に移行することになったのです。リンク [5]

この時代の景気後退までの一連の事象は「国際収支の天井」と呼ばれますが、要はこの当時の日本は慢性的な「外貨不足の時代」だったのです。
そのため、「外貨」を獲得できた「朝鮮特需」によって、海外からの原資獲得の可能性が開かれます。
つまり、ここが高度成長期へ繋がる一つの分岐点となっていることがわかります。
参考
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