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エネルギー経済 2 石油産業の構造と歴史

エネルギー問題と国際経済の関係を考える時、エネルギー産業特に石油産業の構造と歴史から
調べてみたい。この投稿内容の多くは「世界エネルギー市場」(ジョン=マリー・シュヴァリエ著) [1]から
引用させて頂きました。
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エネルギー産業の構造を見てみると、原油、石炭、天然ガスの採掘、原油や天然ガスのパイプライン、船やトラックでの輸送、精製施設、在庫施設、流通機構これらの活動から生じる金融取引、そして政府の課税行為などが、こうした構造の中に組み込まれている。
エネルギー産業の歴史は19世紀末までは、域内で採掘される石炭にもとづいて操業してきました。二十世紀に入り石油,天然ガス産業が発展したことに伴い、エネルギー産業はグローバル化され、その流通経路は国際的になった。現在では電力さえも国際的に取引されるようになっている。こうした状況の中で力を持つのは、多国籍企業である。
これから石油産業について見ていきます、、
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世界の石油産業に占める国際的巨大企業数社の直接的シェアは、16%では有るものの、
国際的巨大企業は、石油産業において中心的地位を占めている。「スーパーメジャーズ」
と呼ばれるトップ四社が、売上高、金融力、国際的ネットワークの面から、群を抜いている。
エクソン・モービルは、他の企業の出資に頼ることなしに、24カ国で操業、26カ国で精製を行い、
世界各国に石油を流通させている。1990年から2000年にかけて、石油産業では国際的に
M&A(企業の合併・買収)が加速し、今後もこの動きは続くと考えられる。
これらの企業は、研究調査、炭化水素エネルギー(石油や天然ガス)の生産と加工や、
巨大な資本力を生かした分野で活動している。
巨大な資本力を例証するために、ゼネラル・モーターズとエクソン・モービルを比較してみよう。
両者は『フォーチュン』誌の世界企業のランキングにおいて、それぞれ二位と三位とされている。
二社とも、およそ1850億ドルの売上高を誇っている。
ゼネラル・モーターズは35万人を雇用し、エクソン・モービルは9万2千人を雇用している。
■石油をめぐるアメリカの最初の戦い
1863年にジョン・D・ロックフェラーはオハイオ州クリーグランドに,アメリカ最大の石油精製所を建設
した。ロックフェラーは、大規模精製所で原油を精製し、その灯油を標準品質「スタンダード」として
商品化することで、莫大な富を手にすることが出来ることに気付いたのであった。
ロックフェラーは当初石油を生産していなかった。
彼は掘削のリスクを取った数多くの零細企業から原油を買い付けていたのであった。
生産価格は各油田の埋蔵量や固有の性格、受容の状況に影響され不安定であった。
一方、ロックフェラーは原油運搬を引き受けていた鉄道会社に大幅な値引きを要求しつつ、支配的
地位を確固たるものにしていった。ロックフェラーはスタンダード・オイル社の投票権の無い株式と、
相手の株式との交換を持ちかけることにより、次第にほとんどの競合する石油精製所を吸収して
いった。
数年後には、スタンダード・オイルは多くの子会社を形成し、アメリカの石油精製業界の80%を支配
することとなった。
このスタンダード・オイルは経済史上でも非常に稀な二重の意味での独占的地位を確立することに
より利益を享受した。すなわち精製した石油製品の主要な販売者としてほぼ独占状態を手中にし、
かつ原油の主要な買い手としても,北米市場を中心にほぼ独占状態で操業していた。
ロックフェラーは1895年からはスタンダード・オイルによる「公示価格」でのみ原油を買い付けることを
宣言した。こうして、これまで原油取引所で相場価格が決定されていたが、スタンダード・オイルが
価格を決めることになったのだ。
1911年アメリカ最高裁判所はスタンダード・オイルは「不当な」やり方により競争を制限し、競合他社
を排除するために不誠実な方法に手を染めていると糾弾した。
裁判の結果、スタンダード・オイルは「法的に独立した」33の企業群に解体するように命じられた。
これらの中にはその後半世紀以上にわたり国際石油市場に君臨することとなる「セブン・シスターズ」
の内の三社(エクソン、モービル、シェブロン)があった。
アメリカ以外の原油生産はロシアのバクー地域で企業家たちによりはじまり、ロスチャイルドも
加わったがロシア革命の前兆と成った1905年からの社会混乱によりこの地域での重要性は薄れて
しまった。こうして二十世紀初頭の時点ではアメリカの石油は世界に君臨していた。
50年近くの間アメリカは世界第一位の原油生産国であり、また原油及び石油製品の輸出国で
あった。
■石油産業の歴史とルールメーキング
国際石油価格は1970年代初頭までの安定期と、その後の変動期にわかれる。
この半世紀をパワーゲームの観点から五つのフェーズに区切ってみたのが、図表-1である。

第一フェーズは、セブンシスターズと呼ばれた大手国際石油会社(メジャーズ)が秘密裏にきわめて精緻かつ巧妙なカルテルを作り上げ、国際石油市場を支配した時代である。この期間、石油価格は1バーレルあたり1.7〜2.1ドル程度で推移してきた。セブンシスターズが自分たちに有利なルールメーキングを行い、これが有効に機能した時代である。注目すべきは彼らの絶頂期に次の主役となるOPECが、創設されたことである。(1960年9月、バグダッド)

第二フェーズは、OPECによるルールメーキングである。彼等はセブンシスターズとのパワーゲームの末、ついに石油市場における主導権を握り、OPEC憲章に則りカルテルを結び、石油価格の大幅引き上げに成功した。しかし第一フェーズと同様、彼らの絶頂期に、次の主役となる先進石油消費国が、IEAを創設している。(1974年11月、 パリ)

第三フェーズはIEAによるルールメーキングである。IEAは石油ショックのような緊急時対応のみならず、石油需要抑制、石油代替エネルギー移行への
促進など、これまでの石油依存体制から脱却するためのルールを設定し、実施を図った。その結果、石油価格高騰による消費抑制効果もあいまって、世界の石油需要は、1980年から減少し始め、四年間にわたり減少しつづけた。石油価格は、1986年にかけて大幅に落ち込み(一時は1バーレル当たり10ドル以下)、「逆石油ショック」とさえ呼ばれ、OPEC諸国をあわてさせた。まさに、石油消費国の逆襲であった。

第四フェーズはルールメーカー不在の時代と見ていい。イラク軍のクエート侵攻(1990年8月2日)に端を発した湾岸危機は湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)が早期に終結し、地域の安定が回復された。そして国際石油市場にも安堵感が広がった。
コンピュータやロボット技術を駆使して石油資源の探査・開発・生産技術が飛躍的に向上し、コストも大幅に下がった。さらに従来では不可能とされていた深海での開発・生産も拡大し、この新たな石油供給のフロンティアの出現が安堵感に拍車をかけた。
市場機能に委ねるべしとの認識が急速に広がり、石油先物市場も発展を遂げた時期である。
グローバリズムが声高に叫ばれ、電力、ガスも含めたエネルギー市場の規制緩和・自由化・公営エネルギー企業の民営化が大きな流れと成った。当時は「市場こそが最も優れた調整役」との主張が幅をきかせていた。
しかし、少なくとも石油市場について見ると、市場万能主義は「神話」に過ぎず、結果的に価格の乱高下をもたらした。産油国も消費国も、共に苦難を味わった時期といえ、石油市場の不透明性が政治問題化してきた。

第五フェーズは大きな変化が起こっていることから、「新たな構造変化」の時代と呼ぶ。幕開けは産油国と石油消費国の協力(“産消協力”)であった。2000年11月に開催された第7回国際エネルギーフォーラムでは、石油価格の乱高下は国際石油市場が透明性に欠けるためとして、産消協力により石油のデータを収集し公表していくことが決定された。JODIと呼ばれ、APEC、EU、IEA、OLADE、OPEC及び国連という、六つの国際機関が参加して
いることからも、関心の深さがうかがえる。2005年11月にはデータの公表が開始された。
現在我々はこのフェーズの只中にあり、全貌は未だ見えてこない。興味深いのは、前述のような協力気運の中であくまでも仮説ではあるが、目に見えないルールメーキングが進んできたのではないか。
すなわち、OPECと大手国際石油会社の双方において石油価格の引き上げにつながる動きがあったのではないか、ということである。

読者の皆さんも生活実感としておわかりのように、2000年代に入り、石油をはじめとする天然資源の
価格は大幅に上昇し、食料の元でもある穀物さえも例外ではなくなってきている。
現在石油の価格はどうやって決まっているのだろうか?       次回をお楽しみに、、、

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