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戦後日本の高度経済成長を検証する NO.6 〜世界銀行を通した融資でドル需要を拡大〜

今回はNO.4に引き続き、「世界銀行」からの融資の実態について調べていきたいと思います。
まず、世界銀行の組織と沿革について「ウィキペディア」 [1]で調べてみます。

◆◇世界銀行◇◆
世界銀行(せかいぎんこう、WB; World Bank)は、各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う、国際連合の専門機関。当初は国際復興開発銀行を指したが、1960年に設立された国際開発協会とあわせて世界銀行と呼ぶ。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。本部は米国のワシントンD.C.加盟国は184カ国。
1944年7月、ブレトン・ウッズ会議において国際通貨基金とともに国際復興開発銀行の設立が決定され、国際復興開発銀行は1946年6月から業務を開始した。設立当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された。

現在、日本は世界銀行グループ各機関において第2位の出資・搬出国であり、積極的な資金提供を行なっているようです。 🙂
しかし、戦後の外貨不足に苦しむなかにおいては、当時の日本はむしろ借入れ側。世界銀行からの融資を盛んに利用して復興に役立てていました。
その中身はというと…続きはポチッとお願いします。


1953年に調印された火力電力プロジェクト(関西電力、九州電力、中部電力)に対する4,200万ドルの融資を皮切りにして、1950年代の融資は、鉄鋼、トヨタ自動車、石川島重工、三菱造船、川崎製鉄、黒部第四ダム建設を含めた産業・電力開発が中心。1960年代に入ると、道路・輸送セクターが中心となり、名神高速道路や東海道新幹線などの建設への借入れが行なわれていました。 🙄
特に道路(49.8%)や電力(17.8%)、鉄鋼(18.3%)を中心としたインフラや基幹産業の整備に融資が使われていたことは、日本が復興するにおいて重要な点になります。
1953年から1966年に渡る融資総額は合計で31件のプロジェクトに対し、総額8億6,300万ドルに上ります。そして、1990年7月に融資を完済するに至ります。
尚、世界銀行の総裁について調べてみると、面白いことが分かってきます。
以下、再度「ウィキペディア」 [1]からの引用です。

◆◇歴代総裁◇◆
暗黙の了解として、国際通貨基金(IMF)の専務理事(managing director)は欧州出身者が選出され、また世界銀行歴代総裁(president)はすべて米国出身者である。副総裁には日本人も選ばれたことがある。
 ・1946年〜1946年:ユージン・メイアー
 ・1947年〜1949年:ジョン・ジェイ・マクロイ
 ・1949年〜1963年:ユージン・ロバート・ブラック
 ・1963年〜1968年:ジョージ・デビット・ウッズ
 ・1968年〜1981年:ロバート・マクナマラ
 ・1981年〜1986年:アルデン・ウィンシップ・クローセン
 ・1986年〜1991年:バーバー・コナブル
 ・1991年〜1995年:ルイス・トンプソン・プレストン
 ・1995年〜2005年:ジェームズ・ウォルフェンソン
 ・2005年〜2007年:ポール・ウォルフォウィッツ
 ・2007年〜:ロバート・ゼーリック

1949年〜1963年までの日本へ融資を行なっているときの総裁は「ユージン・ロバート・ブラック」
ブラックは世界銀行の総裁でチェイス・マンハッタン銀行の取締役でもありました。
また、一代前の「ジョン・ジェイ・マクロイ」も同じく1953年〜1960年までチェイス・マンハッタン銀行の会長となり、1968年に再度会長に復帰した後、その翌年の1969年にデイヴィッド・ロックフェラーにそのポストを引き継いでいます。
世界銀行は事実上、ロックフェラーの支配下にあったとも言われます。
世界銀行の融資を通して日本の経済復興を支援し、アメリカ製品の購入先として育て上げてドル基軸通貨体制の強化へと結ぶ戦略を読み取ることができます。

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