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日本金融史8〜欧米(の金融資本)が日本に開国を要求した目的は、何?〜

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前回の『日本金融史7〜日本の政治家が財閥に操られるようになったのは、何で?〜』を扱う中で、疑問として残った点。「政財界の背後に、欧米の財閥はどのように関わっていったのか?」という追求ポイントの中の①欧米(の金融資本)が日本に開国を要求した目的は、何?を、今回は調べてみました。
調べていく中で見つけた、学校では習わなかった(教えられなかった)近代日本史を 『反日ワクチン』  [1] 【列強のアジア進出か】からの内容をお借りして(一部抜粋)紹介してみようと思います。 😉
幕末の日本が開国に至るには、幕府の弱体化だけではなく、諸外国の動性、思惑が大きく影響していたんですね!


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列強のアジア進出
 近現代史の復習1
●【外国の開国要求】(ペリー来航(1853)よりかなり前から日本近海には開港を求める外国船が頻繁にやって来ています。)
・1779年にはロシア船が蝦夷に来て、松前藩に通商を要求。
・1792年にはロシア使節ラクスマンが根室に来航して通商を請いますが、幕府は拒絶。
・1796年にはイギリス船が室蘭に来航。1811年には国後に来たロシア軍艦長ゴローニンが捕らえられ、逆に翌年には高田屋嘉兵衛がロシアに捕らえられました。
・1837年にはアメリカ船モリソン号が漂流民を伴って浦賀に入港しましたが、1825年に発布された「異国船打払令」によって撃退。
●【アヘン戦争】
・1840〜42年のアヘン戦争です。アヘン戦争で清国が敗れたことは日本の対外認識を大きく改めさせました。その13年後(1853)にペリーが来航、その15年後(1868)に明治維新が断行。
 
● 【欧米によるアジアの植民地化】
・19世紀前半には、アジアのほとんどの国が欧米列強の植民地。(日本とシャム(タイ)だけがそれを免れていた)
● オランダ 
・1602年に東インド会社を設立、インドネシアを植民地支配。
●イギリス
・1842年の南京条約で香港を獲得、1867年シンガポールを植民地化。
・1857年インドではセポイの反乱により、ムガール帝国が滅亡。これにより東インド会社は解散し、インドはイギリスの直接統治領となった。
・1877年にはイギリスの女王がインド皇帝を兼ね植民地化が完成。1886年にはビルマ(現ミャンマー)を英領インドに編入、1895年、マレーシア連合州を前身とする英領マラヤ連邦が成立。
 
●フランス
・1863年カンボジアを保護領とし、1887年に現在のベトナム、カンボジアをまとめて仏領インドシナとし、1899年にはこれにラオスを編入。
●ロシア
・1858年、アイグン条約により清国から黒竜江以北を割譲。1860年には北京条約で沿海州を割譲、ウラジオストク港を建設。1881年にはイリ条約により新疆の清国との国境を有利に画定。
 
●アメリカ
・1803年、フランスからルイジアナを買収。
・1819年、スペインからフロリダを買収。
・1845年テキサス併合
・1846年オレゴン併合。
・1848年、アメリカ・メキシコ戦争に勝ってカリフォルニアを獲得。
・1867年、ロシアからアラスカを購入した。
・1853年に、日本に開国と通商を求める大統領親書を携え、東インド艦隊を率いて日本にやってきたのがペリー。
・1861〜65年の南北戦争時期、領土拡張は一時休止。
・1898年ハワイを併合、同年スペインとの米西戦争勝利でキューバを保護国としプエルトリコを獲得、さらにグアム、フィリピンを獲得した。
・1899年、ジョン・ヘイの「門戸開放宣言」。(南北戦争によってアジア進出が遅れ、清国がすでに列強によって分割された後であったため、そこに割り込もうとして主張した)
 他のアジア諸国が欧米列強に拒絶反応を示したのに対し、日本はその知識や技術を学び自分のものとしてしまった。これが明治維新の世界的意義です。

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各国の年表を追っていくと、欧米によるアジアの植民地化が進む中、 唯一残っている 、(タイと)日本が各国から 標的にされている状況が見て取れます。幕末幕府の弱体化から、開国したのだと思っていましたが、それと共に、対外国からの圧力、認識が大きくなって開国せざるを得ないようになっていったのですね。
そういう意味で、1853年にアメリカのペリーが来て、開国へのクサビを入れられましたが、その前から各国の駆け引きが、明治維新にかけての薩長などの、勢力に影響しているのも、この歴史年表を見ながら見えてきました。
各国からの圧力懐柔に対し、『日本はその知識や技術を学び自分のものとしてしまった』(させられてしまった)その辺のつながりは、次の投稿で詳しく紹介しようと思います。 😀

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