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地方経済がどうして破綻してきたか ある市の事例から ①

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さて今回は、地域経済がどうして破綻してきたかを更に、深く取り上げてみたいと思います。前回は、大きく中央政府と地方の関係を述べましたが、今回は、具体的に財政赤字になっていった地方都市をパターン化し、赤字に至った概略経緯を調べてみました。
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1.北海道夕張市:炭坑の街からの脱落・・・産業構造の変化についていけなくなった事例
夕張市は、明治初期から炭坑の街として栄え、国内有数の産炭地として盛況を誇った。1960年には、三大鉱業所を中心に関連産業も発達し、人口はピーク時で11万6908人を数えた。
しかし、エネルギー革命が進行し、1973年に大夕張鉱業所が閉鎖されて以来、1990年には三菱南大夕張炭坑が閉山してしまった。夕張市は、炭坑の恩恵を数多く被っていたのだが、1987年の真谷地炭坑の閉山で北炭は、全面撤退し、残された炭坑病院や炭坑住宅を引き取り、改良するという事後処理だけで、約580億円という莫大な借金を市が負担する事になった。半分以上は、地方債による後年度負担となり、これが、夕張市の財政を悪化させる最大の原因となる。
その後、地域活性化策を他の自治体に先駆け、1977年に、石炭の歴史村構想を策定。1983年には、遊園地を全村オープンさせた。その総額は約55億円で、夕張市の一般会計の半分をしめた。
また、1988年から松下興産が夕張地区に大型のリゾート開発を手がけるも、バブル経済の崩壊と共に売却を進め、そのあおりを受けて、スキー場を26億円で買い取る事になった。しかし、この買収をめぐって、北海道からは、財政負担が大きすぎるとの理由から不許可になるも、公営企業や土地開発公社に買わせるヤミ起債のような行為でしのいだ。
市が買い取ることで、固定資産税の歳入が一切なくなり、また、施設の維持管理などで毎年の赤字が、雪だるま式に増えていった。そして、2007年約535億円の負債を抱える夕張市は、ついに財政再建団体へ転落した。
2.千葉県木更津市:バブルに踊らされた自治体・・・バブル崩壊の影響で、予測を全く達成できなかった事例
木更津市は、南房総の東京湾岸に位置する人口12万人の市である。1930年代から木更津は、軍都として発展を遂げ、海軍航空隊、海軍軍需工場も建てられ、その結果、人口は急増し、1942年に木更津市が、誕生した。これらの施設は戦後米軍の管理下に置かれたが、1967年からは、自衛隊の基地として、利用されている。
1961年、木更津市の隣の君津市に八幡製鉄所が立地し、木更津市にも関連企業が多数進出した。これに伴い、人口は、急増し、対岸の川崎、横浜とカーフェリーで結ばれ、木更津は交通の要衝として発展を遂げていった。
1983年、千葉県が、千葉新産業三角構想というビッグプロジェクトを発表し、木更津を中心とした地域にはかずさアカデミーパーク構想が策定された。千葉県の構想は、幕張新都心、成田国際空港都市、かずさアカデミーパークからなるもので、研究開発地域として丘陵地帯の約1,000haの規模を有し、1994年には千葉県が主導したDNA研究所が開設されるなど、公共部門がの整備が進んでいるが、民間の研究機関の立地はバブル崩壊の影響もあって、あまり進んでいない。
加えて、館山自動車道の延伸によって千葉市とつながり、東京湾アクアラインの開通によって、東京・神奈川方面と直結し、東京・神奈川方面へ通勤するための住宅購入者や企業進出の増加がみこまれていた。その事もあって木更津の地価は高騰した。しかし、開通後は、期待したほどの需要は発生せず、むしろ京浜地区と千葉県南部との通過点となってしまい、ストロー効果によって木更津市の経済はかえって低迷してしまう。
バブル崩壊による地価下落の商業地域への影響はあまりにも大きく、2000年に木更津そごう、2001年にはダイエー木更津店がたてつづけに、撤退し、そのあおりを受けて、駅前商店街では、閉店する店舗が相次いだ。木更津市は、全国各地でおきている中心市街地の商店街が空洞化してしまった典型的な事例になる。
3.兵庫県芦屋市:日本一豊かな市が、難問が山積・・・震災によって蝕まれている事例
高級住宅地としての地位を不動の者にしていた芦屋市であったが、相続によって、豪邸がマンションに建替わったり、敷地も細分化され、バブル崩壊後、資金調達のために土地を売ったり、相続税が払えなくて物納するケースが続出した。
更に、1995年の阪神・淡路大震災では、壊滅的な打撃を被った。家屋の全壊・半壊も57%と阪神地方で最も高い被災地となり、都市基盤も多大な損害を受けた。地震発生後、一瞬のうちに老朽木造住宅を中心に大きな被害が生じ、道路や交通機関などのインフラ施設も損壊し、市庁舎の中枢機能も被災するなどの混乱を極め、芦屋浜の埋め立て地区を中心に広範囲で液状化も発生し、埋め立て地区の九割以上で建物の傾斜被害が生じた。
国や兵庫県、全国各地からの支援もって、現在の芦屋市は震災の傷跡は、ほとんど見られないが、財政状況には震災の傷後が、今も残っている。震災前の芦屋市は、類似団体と比べると財政的にはかなり余裕もあったが、震災後の復興事業で借りた地方債の返済がピークを迎えている。公債費に充当される歳出は、2005年度決算で約100億円、全体の約1/4近くに及ぶ。住民一人当たりの地方債務高も116万円で類似団体の3.6倍に達している。その結果、財政の健全度を示す起債制限比率も18.3%となった。
また、芦屋市地区計画の区域内における建築物の制限に関する条例(豪邸条例)によって、空き家や空き地が増え、加えて、若い世代ばなれと高齢化の進行が進んでいる。日本一豊かな住民を抱える芦屋市も、その背後には、難問が山積している。
以上 自治体格差が国を滅ぼす(田村秀著)より
このように、代表的な市を挙げてみました。共通して(芦屋市の事例は、天災ですが日本が地震国である以上、どの市町村も同等の環境におかれているという点では、今や特殊事情と言えないところがあります。)
①昔は、財政状況が非常に豊かであったこと。
②財政悪化に繋がるの大きな転機があったこと。(廃坑、地下高騰、天災)
③国、市の施策判断が、場当たり的であること。
(特に夕張,木更津の事例では、あてが全くはずれてしまった)
④バブル崩壊が、更に拍車をかけていること。
⑤住民の顔が見えないまま、既成事実化した状況で事が進行していること。
等が、あげられると思います。現在、各市は、いずれも活性化のために努力をしていると思いますが、根本的に何に問題だったのか?次回は、逆に、現在、財政的に豊かな市町村の事例を取り上げ、これらの自治体との対比の中から更に考えていこうと思います。

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