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世界経済はどうなる!?〜その5.市場主義の背後にある意識の変化(日本)〜

[1]
前回の投稿では、バクチ経済はなぜ起こったかを [2]扱いました。
金融不安が待ったなしになった今、非常に多くの人が経済問題を知る必要があるということを感じ始めているように思います。
そして漠然とではありますが、『全ての社会問題は経済問題(市場)と接点がある』と気づいている方々も多いのではないでしょうか?
そこで、今回は少し違った側面から多極化について考えてみたいと思います。
多極化を考えていく上で、当然国家と市場の関係や金貸し達の支配構造,マネーシステムなど分析していく必要がありますが、一方で市場社会の中でくらしている人々の意識というものの変化にも十分注目していく必要があるように思います。もしかしてそこにこそ、今後の可能性は眠っているいるのかもしれません。
そこで今回のテーマは、
「市場主義の背後にある意識の変化(日本)」
について考えてみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます。


以下、るいネットからの引用です。
市場主義の次なる地平3 市場主義の背後にある意識 [3]
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〜中略〜
結局の所市場主義の背後には「貧困」≒「死」を最大の外圧とした、生存目的としての「私権獲得意識」が存在しているという事です。るいネットでは「私権収束」と呼ばれる事が多いです。古代では、力では勝てないものの抜道として市場が発見され、近代では、国家間の力で勝てないものが市場を発展させた。そして、現代、市場の勝者(もう瀕死だが)とされているアメリカもまたヨーロッパから追い出された弱者でした。
先ほど生物は「外圧適応態」と述べましたが、このように市場の発展一つ取ってみても常に弱者の外圧適応という形で登場している事が分かります。
さて、この「私権獲得意識」がどこから来るのかという事ですが、もうお分かりの通り「貧困」を背景にしています。
この事から見えてくるのは「意識」は「外圧」に規定される。という事です。
裏を返せば意識は「活力源=外圧」によって変化する。という事が言えると思います。
『本能を直撃するような危機ではない』ということ [4]
現に先進国で唯一「貧困」が消滅したと言われる日本では、急激なスピードで私権獲得意識が弱まってきているようです。
授業収束、素直さ、仲間収束、表層化、遊びを企画できない・・・新世代の「主体性の喪失」 [5]
セックスレス ⇒私権の性の終焉 [6]
社会実情データ図録「フリーター数・ニート数の推移」より [7]
一方、市場大国アメリカはどうしてきたかというと、移民受入れに代表されるように貧困層を作り出す事で私権収束=市場主義を維持してきました。
これが市場主義が現在まで維持出来た大きな理由のひとつです。立派な国家の介入ですね。
この国を挙げての私権意識の維持が戦争さえ正当化させてきました。
しかし、それも限界が近づき、先のサブプライムローン問題など市場そのものの崩壊が目の前に迫ってきています。
基軸通貨を守り通すということは、必然的に世界に暴力と戦争をふりまく [8]
金貸しが戦争を常態化させた [9]
『アメリカの共和党と民主党』2・・・南北戦争が起きたのはなんで? [10]
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連続して、るいネットからの引用です。
市場主義の次なる地平4 急先鋒となる日本 [11]・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
☆このような状況で、参考にすべき国はどこなのだろうか?
ズバリ「日本」そのものです。
その理由は次に挙げる3点に集約されます。
①:90年代バブルの経験
②:島国という閉ざされた中で長く続いた縄文文化→今も残る縄文体質
③:貧困=飢えの克服

①は市場の限界を身をもって体験している為、脱市場の可能性が高い事
②は縄文体質=受け入れる体質という柔軟性を有している民族であること
縄文人は自然と一体だった [12]
世界文明 vs 縄文・・・・そして反転がはじまる!? [13]
共認統合実現の母胎としての縄文(共同体)体質?! [14]
③は最も重要です。
私権活力の源泉は「貧困」です。
また、意識は活力源に規定されます。
すなわちこれを克服した日本が一番可能性があるのは間違いない!
というわけです。
日本は市場解体⇒再統合の急先鋒! [15]
☆次代の活力源=意識は?
さて、意識が活力源に規定されるとすると、重要なのは新しい活力源=外圧はなにか?という事が気になってきます。
最近の活力源=意識はなんでしょうか。
これは意識の最先端をいくとされる若者を参考にするのが良いと思います。
なぜ中高生が意識潮流の「最先端」と言われるのか? [16]
中高生男子に見る意識の変化はやがて訪れる共認社会の萌芽かも [17]
派遣社員さんの意識は?パート2!!〜役に立って評価されたい!!そのためにはスキルアップ! [18]
子供の意識調査から〜当てるスポットがずれるから閉塞する。 [19]
就活学生の意識の変化 [20]
これらの投稿から見えてくる意識は、「役に立ちたい」。「ほめられたい」。といった意識です。
総合すると、「みんなの期待に答える」という事が活力源になっていそうです。意識としては「期待応望意識」とでも言うべきでしょうか。
一方、 
事実はどうなの?っという意識潮流 [21]
右傾化の底流にあるのは、事実収束 [22]
事実収束⇒「捏造は悪」 が、マスコミの共食いを加速させる [23]
事実収束の潮流としての「裁判のネット公開」 [24]
のように人々は「事実」を求めています。
つまり社会の「期待」は世の中の事実を明らかにすることなのです。
これは「騙し」を源泉とした市場と対峙するものです。
期待応望意識を背景に事実追求に活力を見出す。
これが新しい意識であり、活力源なのだと思います。
「活力源⇒圧力源」 [25]
誰でも作り出せる活力源⇒圧力源 [26]
超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源 [27]
「図解」人類の新たな活力源=圧力源 [28]
☆重要なのは庶民の声
 しかしながら黙っていてはなにも状況は変わりません。
私権にしろ、市場にしろ、みんなが認めているから成り立っている。
(強制か自主的かは別として)とすると、逆に、市場をみんなが認めなくなれば必然的に崩壊していくわけです。
市場の命運も社会共認次第 [29]
市場も一つの共認形成 [30]
超国家・超市場論29 新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する [31]
事実収束と期待応望意識。
この2つを軸に我々日本人みんなが先陣を切って事実を発信し、社会の共認内容を塗り替える必要があるのだと思います。
そうする事で最終的に「売れるか、売れないか(=騙せるか、騙せないか)」という判断軸である市場は終焉を迎え、「必要かそうでないか」という判断の上に成り立つ全く新しいものに変貌を遂げるのでないでしょうか。
既に変化は表れています。
超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく [32]
「必要か否か」の判断軸に転換した人々が、テレビ(マスコミ)のゴマカシを打ち破る先駆となる [33]
僅差の勝利の蓄積が、大きな評価の格差となって、生死を分けてゆく [34]
“モノサシ”・・・『必要』から『必要度』へ [35]
環境問題の解決には、新評価指標の確立が急務 [36]
あとはそれをどう加速させていくか。という事なのだと思います。
必要か否か?を加速するために [37]
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辛抱強く読み進めていただいた読者の皆さん、お疲れ様でした。
上記の投稿から見えてくることは、いったい何なのでしょうか。
今回一連の投稿を読んで改めて認識したのは、市場拡大を命題にした近代経済システムと、人々が活力を見出している構造との間に大きな断層が生まれているという事実でした。
本来であれば、近代経済システムも私権意識の衰弱とともに、人々が活力を見出す新たな社会システムへと変貌を遂げていてもおかしくはないのですが、現実は国家主導のもと近代経済システムの延命にばかり気をとられています。(市場縮小⇒国債発行→借金増加→悪循環)
>社会の「期待」は世の中の事実を明らかにすることなのです。
これは「騙し」を源泉とした市場と対峙するものです。
期待応望意識を背景に事実追求に活力を見出す。
これが新しい意識であり、活力源なのだと思います。
>事実収束と期待応望意識。
 この2つを軸に我々日本人みんなが先陣を切って事実を発信し、社会の共認内容を塗り替える必要が あるのだと思います。

今後日本を含め世界は多極化していく流れをたどっていくはずですが、それが近代経済システムの延長となるのか、新たな社会システムの構築に繋がっていくのか。
 「事実収束と期待応望意識」 
この2つの軸が重要な鍵を握っているように感じます。

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