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日銀の金融政策が機能しないのはなんで? 〜金融ビッグバンとは?〜

日銀の金融政策が機能しないのはなんで? 〜銀行の収益構造の変化〜 [1]からの続きです。
民間企業の資金調達の変化と、銀行の収益構造の変化を誘導したと考えられる「金融ビッグバン」について今回は扱います。
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言葉は知っていても、実際に何が行なわれたかは、意外と知らないのではないでしょうか?
実はかなりたくさんの事が行なわれていて、今では当たり前になっていることも、この金融ビッグバンがきっかけになっています。
そして本題である、民間企業の資金調達の変化と、銀行の収益構造の変化を誘導する改革も続々と・・・
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金融ビッグバンとは、一般に1996年から2001年度にかけて行われた大規模な金融制度改革の事を言います。第2次橋本内閣の時に提唱されました。
それまでの日本の銀行など金融機関は、大蔵省による「護送船団方式」よって、規制と保護を受けていました。
○護送船団方式とは?

軍事戦術として用いられた「護送船団」が船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせて、全体が統制を確保しつつ進んでいくことになぞらえて、日本の特定の業界において一番経営体力・競争力に欠ける事業者(企業)が落伍することなく、存続していけるよう、行政官庁がその許認可権限などを駆使して業界全体をコントロールしていくことである。

日本においては、第二次世界大戦前の金融恐慌により弱小金融機関の破綻や淘汰が相次ぎ、取り付け騒ぎなどの社会不安を招いたことから、戦後、金融秩序を確立し、また産業界が経済成長を遂げ、民生を安定させていくために必要な低利かつ安定的な資金を供給していくことが課題であった。
このため、金融行政を担ってきた大蔵省や金融政策を司る日本銀行は金融業界に対して「金融業界に対する金融安定化・産業保護政策」という「護送船団方式」によって金融機関の倒産(破綻)を防ぎ、経営を安定させ、ひいては預金者の無用な不安を惹起しないよう、他産業に比較し多くの行政指導を行ってきた。
例えば、長期信用銀行・外国為替専業銀行・中小企業金融などに典型的に見られる分野調整、店舗規制、新商品規制などを通じ、金融界の過当競争を防いできた。

さらには、不良債権の発生等により経営力が低下した金融機関に対しても、破綻(倒産)という措置を取らさず、他の金融機関との合併を強力に指導したため、戦後の日本において金融機関の経営破綻は皆無であった。

○護送船団方式によるメリット、デメリット
・結果として、第二次世界大戦後から高度成長期、安定成長期に至るまで日本において金融機関の経営破綻は皆無であった。
・このため、「金融機関はつぶれない」という社会通念が形成され、日本の預金者(貯金者)にとって金融機関の健全性に対する関心は高くはなかった。
・金融機関の経営陣にとっては、経営の自由を制約される代わりに責任追及から逃れられる好都合なシステム。
・他の参入を許さないことによって、結果的に外敵の参入を許さない
・行政官庁においては、金融機関に対して許認可権を盾に強力な指導力を発揮し、いわゆる天下り先の確保。
金融ビッグバンとは、この「護送船団方式」を崩壊させるような改革なのです。
では、金融ビッグバンで具体的にどういうことが行なわれたのかを上げてみましょう。
金融機関の業務分野規制を撤廃することによって、銀行、証券会社、保険会社がお互いの業務分野への相互参入を可能にした。
→銀行窓口における保険商品、投資信託の販売が行なわれるようになった。
金融機関以外の事業会社なども金融業務への参入を可能にした。
→イーバンク銀行(伊藤忠商事(株)、日本テレコム(株))、ソニー銀行(ソニー(株))、アイワイバンク銀行((株)イトーヨーカ堂、(株)セブン−イレブン・ジャパン)等。
また、証券取引法の改正により、インターネット証券会社の新規参入が認められた。
証券売買の委託手数料の自由化などによって金融機関の競争を促進。
→株式手数料の完全自由化、有価証券取引税の撤廃、上場株式の取引所外取引の解禁(証券取引所を通さずに上場株を売買する)
外為法12の改正によって内外の資金移動を活性化させること。
→日本の場合、改正以前の「外国為替及び外国貿易管理法」においては、大蔵大臣の認可をうけた外国為替公認銀行しか、外国為替業務をおこなうことができなかった。
 しかし、1998年(平成10)4月から、「管理」という文字がきえた「外国為替及び外国貿易法」が施行(制定は1997年)され、外国為替業務が完全自由化された。
 外国為替公認銀行や両替商の認可制度が廃止され、外国為替業務への参入、退出が自由になり、商社やメーカー等も銀行をとおさずに外国為替を売買できるようになった。
 また、銀行ではそれまで殆ど取り扱わなかった、一般個人向けの外貨預金取扱が認められるようになった。
⑤独占禁止法改正による金融持株会社の設置解禁
→金融持株会社とは銀行業、保険業、証券業等の金融関係の会社を傘下子会社とする持株会社のこと。
不良債権を抱え込んだ銀行を他の有力銀行が吸収合併することは難しくても、有力銀行と破綻に瀕した銀行の双方を子会社とする持株会社を設立すれば、そのグループ全体の信用を背景に不良債権処理がしやすくなり、破綻に瀕した方の銀行独自にリストラを進めることが出来る。
 これにより、銀行の不良債権処理は進められた。
銀行による普通社債による資金調達、信託子会社を通じた業務の自由化
→1999年10月に普通銀行による社債発行が解禁された。
ラップ口座の解禁
→ラップ口座とは、証券会社が、個人投資家の資産管理、運用、投資アドバイス、売買の執行、口座管理など、資産運用に関する様々なービスを提供し、手数料を売買ごとではなく、投資家から預かっている運用資産残高の何パーセントという形で一括して徴収する口座のこと。ちなみに「ラップ(wrap)」というのは、包むという意味。資産運用に関するあらゆるサービスを包括したサービスを提供することから名づけられた。
時価会計の導入
→これまでの簿価会計から、会計の透明性と国際会計基準にあわせた時価会計へ、2002年の決済から導入。
 時価会計とは企業が保有する株式、債券などの金融資産を、時価で再評価する会計手法。簿価で会計を行う場合は貸借対照表に取得価格をそのまま記載するが、時価の場合はその地点で価格を表示するので、実際の取得価格よりも上がっている場合は含み益が発生する。一方で取得価格よりも下がってしまった場合は、含み損が発生する。
 これらの改革により、銀行は金融商品を扱って手数料を取る商売に変わって行きました。
 また、護送船団方式によって守られていた状況から、一気に外圧に晒される状況に置かれ、他業種からの銀行業参入による圧力を受け、銀行自らが社債を発行して、金融市場からの資金調達も行なうようになりました。
 これまでメインバンクとして企業を統治化に置き、金融市場をコントロールする立場にいた銀行が、いつの間にか市場の参加者として、金融市場に飲み込まれていったのではないでしょうか。
 そして、銀行が金融市場に飲み込まれた事によって、銀行を通じて金融市場をコントロールしていた日銀の影響力も衰退していったと考えられます。

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