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食料自立への道を探る4.ロシア、復活の兆しを見せる農業生産

2000年代に入ってからは、中国やインドなどの人口超大国が持続的高成長過程に入ったことにより、新たな食糧資源需要が喚起され、それらの累積的効果が需給逼迫となって市場に顕在化するようになっています。すでに高い値段を払えば食糧はいくらでも手に入る時代は終わったのではないでしょうか。 
 
世界金融恐慌がこの状況に拍車をかけ各国は農業保護政策を取り始め、食糧需給バランスも大きく変化する兆しを見せ始めています。そういえば日本に集中していた黒マグロなども、なかなか手に入りにくくなっていますね。 
 
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   築地でのマグロのセリ風景 
 
ロシア政府は国益に反する企業を淘汰し、強国復活を目指すプーチンの戦略によって資源などの基幹産業を国が握るという独自の国家資本主義を構築しようとしています。
このような状況においてロシアの農業生産の現状はどうなのでしょうか? 
 
専修大学経済学部、野部公一教授の『ロシア農業・農業政策の変遷』から引用させていただきます。
リンク [1] 
 
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農業生産の回復

1991 年のソ連崩壊により、ロシア農業をとりまく条件は一変した。・・・ 
 
 
農業生産は、ロシア経済全般の不振も重なり急減した。1991 年を100 とする指数でみると、1998 年の農業生産はわずか59 まで落ち込んだ。・・・ 
 
ところが、それ以降、とりわけ21 世紀に入ってからのロシア農業は、大きな変貌を遂げている。農業生産は1999 年から上昇に転じた。2006 年にも8 年連続で前年を上回る勢いを示している。

そして、2000 年代にはいると、余剰分が恒常的に輸出に向けられるようになった。 
 
とりわけ、2001〜2002 年の豊作をうけて、2002 年には約1380 万トン、2003 年にも約1150 万トンもの穀物輸出が行われた。穀物輸出は、2004 年には減少するが、2005 年以降は再び増加に転じ1000 万トン台を回復する情勢にある。 
 
この結果、ロシアは、世界市場でも「新興小麦輸出国」の一つとして認知されるようになった。 
 
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畜産は危機的状況>

穀物生産は回復基調にありながらも、それが畜産物生産の回復へと結びついていない。このため、「穀物を輸出し、畜産物を輸入する」という貿易パターンが定着してしまった。

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ここでエピソードを! 
 
経済アナリストの井本氏もこのように悲しんでおられます。

モスクワのスーパーマーケットに行くと、輸入品の多さに圧倒される。鶏肉や魚、肉、野菜、果物、お菓子などの商品を手にとってみると、多くの商品の包み紙に製造元と輸入元が印刷されている。 
 
ロシアの乳製品が大好物の私にとっては、モスクワにいくと昔ながらの甘酸っぱくて懐かしい味のケフィア(ロシア風のヨーグルト)を存分に堪能するのが一つの楽しみであるが、乳製品の棚にあるものの半分以上は輸入ものか、外国のライセンスの下で生産されたものである。 
 
素朴な味が魅力の昔からあったケフィアやカテッジチーズなどは輸入品に負け、これからも減っていくだろうと思うと悲しくなる。

「ショッピングに夢中のロシア人」井本沙織のロシア見聞録よりリンク [2] 
 
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     ケフィア(ヨーグルトの一種です) 
 
農業生産回復の要因> 
 
(野部教授『ロシア農業・農業政策の変遷』から続き)

第1 の要因は、農業を取り巻くマクロ経済条件の好転および生産条件の正常化である。 
 
1998 年の通貨・金融危機前のロシアの国内産業は、「オランダ病」として知られる状況にあった。石油・天然ガス・非鉄金属等の原料輸出がもたらした為替高により、国内産業は競争力を失い、疲弊してしまったのである。このような産業のなかでも、農業の状況はとりわけ深刻であった。・・・ 
 
1998 年8 月の通貨・金融危機は、ロシア経済全体に大きな衝撃を与えた。だが、こと国内農業に限定すれば、それは予期せぬチャンスを与えることとなった。まず、通貨・金融危機によって外国からの農産物・食料品の輸入は完全にストップした。輸入はまもなく再開されるが、ルーブリの切り下げにより、輸入品農産物・食料品の価格は3〜4 倍にも高騰した。国産品の競争力は回復し、輸入代替が進行した。 
 
この結果、農産物・食料品の輸入額は、1998 年には約108 億ドル、1999 年には約81 億ドル、2000 年には約74 億ドルまでに減少する。2000 年の輸入額は、通貨・金融危機直前の1997 年のそれの約56%まで低下したのである。輸入品の数量も同様の推移を見せた。

 
 
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第2 の要因は、市場経済への対応として、地域条件に応じた生産専門化が進行し、その中から効率的な生産者が出現したことである。

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第3 の要因は、農業政策の変化である。 
 
市場経済への移行開始直後の農業政策は、ソフホーズ・コルホーズの農業企業への再編成、農民経営の創出といった構造改革にその中心がおかれていた。その基調には、自由化と競争による弱者の淘汰という発想が存在していた。 
 
しかし、ほぼ2000 年を境として、農業政策には、国内生産者の保護という視点が全面に現れるようになった。これは、農業生産の回復に直接および間接的に貢献することとなった。

農業政策の転換

農業政策の転換のきっかけとなったのは、1998 年の通貨・金融危機であった。 
 
すでに述べたように危機の結果、ルーブリは大幅に切り下げられた。それは、期せずして国内農業生産者に対する保護となった。そして、その後の農業生産回復は、保護政策の高い効果を実地に示したのである。 
 
こうして、かつての「土地改革およびソフホーズ・コルホーズの民有化さえおこなえば、後は市場がすべてを解決してくれる」という市場メカニズム至上主義は、徐々に見直しが加えられることになった。・・・

農業部門での国家支持および国家規制の必要性、適切な貿易政策による国内生産者の保護の必要性とその高い効果等を繰り返し強調したのである。近年の農業政策は、 
 
利子補助金制度の導入(利子の20%相当額を支給)
財務的に不良な農業企業の健全化の試み(税金・債務の帳消 支払い猶予の実施)
さらなる貿易保護政策が実施されている(特定農産物の輸入制限の実施)。
また、長年の懸案であった土地売買にも法的な決着がつけられた。 注:(  )は拙者記

ロシア政府は、より農業を重視するようになっている。 
 
たとえば、2005 年9 月の政府関係者を集めた会議では、農業の発展が、医療・教育・住宅供給とともに国家の社会・経済政策の優先的事業の一つに選定された。 
 
この決定に基づき、優先的国家プロジェクト「農工コンプレックスの発展」が2006〜2007 年の2 年間の期間で、300 億ルーブリの予算規模で実施されている。
優先的国家プロジェクトは、「畜産発展の加速化」、「小規模経営形態[農民経営・住民の個人副業経営を主な対象]の発展促進」、「農村の若い専門家(およびその家族)への住宅供給」を3 つの目標としてかかげている。

  (以上で引用終わり) 
 
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メドベージェフが大統領になる直前の2008年2月に次のように表明しています。

「世界の耕地の10%以上を保有しながらロシアは自給できていない」 
 
「怠慢な土地所有者に土地を手放させるか、或は土地に対して出資させることを可能にする法的規制を実施することが不可欠である。また、土地所有者を刺激する条件の設定や罰則の実施も必要である」 
 
「国家の農業発展5ヵ年計画の枠内で今後ロシアの農村に1兆ルーブル投資する予定」 
 
「農工業施設の開発計画は、弱点の分析に基づき既に作成済みであり、農業発展に多額の資金(5000億ルーブル)が投入される。これは国からの投資のみで、各地方からはそれ以上の融資が必要」 
 
「現在ロシアの農業が直面している課題には先例がない。重要なことは、農地を正しく使用することである。この資金により農業改革を行ない、生産効率を高めたい」 
 
「世界市場におけるロシア農業分野の立場を強固なものにしたい」

「ロシアは主要農業国へ」と国家宣言をおこなったのであります。 
 

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