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ロシアと金貸し−1

【ロマノフ朝末期〜ロシア革命〜ソビエト社会主義共和国連邦成立期】
国際金融資本と共産主義国家や社会主義国家との関係はどの様なものなのだろうか?
今後の国際金融資本の動向を探る上でも、過去の歴史を振り返っておきたく、まずは「ロシア」との関係について数回でまとめてみます。
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当時の口絵。小脇に社会主義を抱えたマルクスがウォール街でジョージ・W・パーキンス(J.P.モルガンのパートナー)が歓迎されている。廻りには、ジョン・D・ロックフェラー、ジョン・D・ライアン(ナショナル・シティ・バンク)、テディ・ルーズベルトが・・・
ネット上では既にいくつか関連情報がありますが、それらの情報元は意外と少ないようで、歴史の闇の部分という印象を拭えません。それらの元となっている当時の状況を論説した代表作が、「ウォール街とボルシェビキ革命」(アントニィ・C・サットン)」だと思われます。いわゆる「陰謀論」として取り扱われがちで、日の目の見ていないのかも知れませんが、第一級の1次資料である公文書その他を元にしていることから、史実としての信頼性は比較的高いものだと思われます。(最終的な真偽の判定は読み手の力量に委ねますが、歴史上の影の部分に光を当てている事は間違いないでしょう。)
ウォール街とボルシェビキ革命(アントニィ・C・サットン) [1]
<アントニィ・C・サットン>に関しては、「Antony C. Sutton」でググって頂いて、Wikipedia(英語版)の[このページを訳す]をクリックして頂くのが(今は)宜しいようです。(日本語では○○八分・・?)。これ以外にもいくつかの貴重な論説があるようですが和訳されていないので、どなたか翻訳してUPして頂けると一気にアクセス数が延びそうですが、<反ロスチャイルド同盟>さんか<副島隆彦>先生に期待するしかありませんかね?
<関連記事等> 本記事に関連して概要を把握するにはこちらをお勧めしますが、是非原書を一読される事を希望します。原書に勝るリアリティは他では得られないようですので・・・
◇ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 :アントニー・サットン『ウォール街とボルシェヴィキ革命』を読む。 [2]
◇るいネット:ロスチャイルドメモ③:ロシア革命とソ連支援 [3]
◇路上で世直しなんで屋【関西】:4/29☆なんでや劇場トピックス 〜ロシア革命と金貸し〜 [4]
◇日本を守るのに右も左もない:「国際金融資本家」と「ロシア革命」2 [5] 


さて、本題の『ロシアと金貸し』の関係、その中でも今回の『ロシア革命』前後に関しては、既に記事化されているものも多く、さらにその詳細は「ウォール街とボルシェビキ革命(アントニィ・C・サットン)」をお読み頂くことで大半は事足りてしまうでしょう。しかし、読者には、文脈の異なる大量の記事に目を通して頂くという無礼を強いることになるのと、今後の記事との繋がりが取りにくいという事もあり、初回の記事としてはやはり概要(ポイント)をまとめておく必要がありそうです。折角ですので、他の記事には無い視点を織り交ぜながら、まとめてみます。
◆−・ 時代背景 ・−◆ ユダヤ&国際金融資本の歴史 近代 [6]ロスチャイルドの軌跡 [7]
19世紀ヨーロッパでは、既にロスチャイルドが金融や鉄道など基幹部分を押さえており、国家を相手にその影響を拡大しようとしている時期に当たる。ロマノフ朝(後のソビエト)との関係では、1860年に設立された(ロシア)中央銀行の財政に既にロスチャイルドの資金が入っていたと云われる。また、ロスチャイルドは当時最大埋蔵量を誇るといわれるバクー油田(ロマノフ朝に近接)の石油販売(シェル石油の前身)を1883年に開始している。南アフリカではロスチャイルド資本によってダイヤ鉱山が大合同し、1888年にデビアス社が創業。概括すると、ロスチャイルドは欧州の支配を固めつつ、世界の資本や資源に向かっていた時期に当たる。一説では、旧態依然の4つの帝国【ホーエンツォレルン帝国(ドイツ)、ハンガリーニ帝国=ハプスブルク家(オーストリア)、ロシア帝国=ロマノフ家、オスマン・トルコ帝国】の崩壊を目論んでいたと云われており、結果的に第1次世界大戦前後で完遂されている。
19世紀後半のアメリカは、1861年にロスチャイルドに近いJ.P.モルガンがニューヨークでJ.P.モルガン商会を創業。同時期にロックフェラー1世が石油販売で成功を収め、1870年にスタンダード石油を創立し、1880年代には全米石油市場の80%を独占していたと云われており、その急進性には目を見張るものがある。その後の1900年代初頭にはモルガンやロックフェラーの金融資本が後の大統領であるウィルソンに資金援助を行うなど、政界への触手を強めている。ロマノフ朝との関係では、フーヴァー(後の大統領)らはロシアの鉱山・鉄道・石油の利権シンジケートに暗躍していた。そして、1913年には、ロスチャイルド系資本やロックフェラー資本によってあの連邦準備理事会(FRB)が設立された。ちなみに、1911年に最高裁がスタンダード石油(ロックフェラー)に対して解体命令を出すなど、金融界・政界の激動期であったと予想される。ロスチャイルドのアメリカ進出は比較的早かったと云われており、ロックフェラーはアメリカにおける基盤獲得競争に躍起になっていたのではないだろうか。ロスチャイルドは既に世界に目を向けていたことは明らかなので、ロックフェラーもその延長線上で闘いを挑んでいたことだろう。(注:一説には、この頃は共闘関係にあったとする見方もある)
当のロシア帝国(ロマノフ朝)は、欧州の近代化に対して大きく遅れを取っており、大衆の帝国に対する不満が拡大しつつある中で、諸外国との紛争や戦争に手を焼いていた。1891年には、あの日露戦争が勃発し敗戦を喫している。有名な話ではあるが、日本はロスチャイルド系のジェイコブ・シフによる外債引き受けの支援を受けて日露戦争を乗り切った。ジェイコブ・シフは、当時ロシア帝国で迫害されていたユダヤ人迫害(1891年にはユダヤ人がロシア帝国からの追放が行われている)に対する憤慨の念を背景に日本支援(=反ロシア帝国)の立場を取ったと云われている。(※私見としては、背後のロスチャイルドの帝国解体の意向を受けたものだと解釈する。ロスチャイルドは直接的な日本支援は断ったが、ジェイコブ・シフを紹介したことは明らかに日本支援を意図している。直接支援を避けたのは、ロシア帝国とは既に一定の関係がある中で、帝国崩壊後の暗躍基盤を残しておきたかったためだろう。若しくは、戦争における彼らの常套手段である双方への支援を表に出さずに実行する為だったのかも知れない。)
(話が前後するが、)広大な国土を持つロシア帝国(ロマノフ朝)は、当時世界最大の金や資本を有していたと云われる。また、国土には未開拓の資源が眠っており、世界はロシア帝国に対して並々ならぬ興味(欲望)を抱くと同時に、このままロシア帝国が近代化の流れに乗って国家を強化・安定した場合の驚異を感じていたとされる。皮肉な事だが、当のロシア帝国は国内産業の遅れを取り戻さなければならない状況にあったため、技術輸入や貿易・市場の整備に対して諸外国の支援を必要としていた。すなわち、ある程度は外国資本を受け入れざるを得ない環境にあったのである。
ロシア革命・第1次世界大戦前夜の世界は、旧勢力と新勢力の群雄割拠の時代、陰謀と暗躍の時代と見て取れる。誰が味方で、誰が敵かも判然としない。しかし、世界金融資本らは、明らかに1つの目的に向かって舵を切り、邁進しており、世界はそれに引きずられていく。
◆−・ ロシア革命と金融資本 ・−◆
1914〜1918年の第1次世界大戦では170万人に及ぶ市民が死亡。貨幣も不安定で、国内は深刻な食料不足に見舞われていた。ドイツとの国境ではいまだ戦いが続く中、政府は崩壊寸前であり、いつでも革命が起こせる状態にあった。ロシア革命の主人公とされるレーニン、トロツキーは以前から革命を画策しており、第一次世界大戦中はスイスやニューヨークに避難していた。
国際金融資本は彼ら革命家に資金を援助し、ロシア革命を後押ししたことは、『ウォール街とボルシェビキ革命(アントニィ・C・サットン)』に詳しい。スイスのレーニンには、ロスチャイルド系の銀行が資金を援助し、ニューヨークのトロツキーにはロックフェラーが資金を援助した。この頃の、ニューヨーク市ブロードウェイ120番地に集まった金融資本家は、こぞってボルシェビキ(レーニンを中心とした革命の一派)を支援していたとされる(その中にはモルガンもFRBの関係者も)。彼らの目的は、革命後のロシア市場の支配だと分析されている。実際に、ボルシェビキ銀行家のオロフ・アシュベルグは、モルガンとの関係が強く、ロシア革後に設立されたソビエトの国立銀行の頭取となっている。ちなみに、ロシア革命後の「銀行国有化令」によって全銀行が国有化され、銀行の資本金は国立銀行に接収された(その資金の行き先は興味深いところ)。
幾多の資本家の思惑を背景とした援助を元に、1917年にロシア革命は成就した。なお、資金援助を受けたレーニンは、1922年までに資金援助を受けたジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会(ロスチャイルドが大株主)に4億ドル強を返済している。
ロシア革命後の1919年のアメリカでは、直ちに外交問題評議会(CFR)が設立され、ソビエトへの物資の輸出が可能になるような働きかけが始まっている。また、1920年には、ロックフェラーのスタンダード石油がロシアのノーベル社を買収した(→詳しい事は不明だが結果的に損をしたらしい)。1922年には、チェース・ナショナル銀行(ロックフェラー)は米ソ商工会議所を設立し、1925年にはチェース銀行とプロム銀行間でヨーロッパ市場にソ連の石油を輸出する取り決めが成された。これらにより、メジャーズの中東進出が加速したと云われる。その後、1927年にはスタンダード石油がロシアに石油精製施設を建設し、ソ連経済回復の足がかりになったと思われる。
ここまでの動きから、ロシア帝国(ロマノフ朝)は国際金融資本の思惑通りに崩壊し、同時にソビエト市場に食い込む足がかりを作っていったことがわかる。
さて、その後のソビエトとの関係はどうなったのか?
次回をお楽しみに・・・
文章だけだと全体が俯瞰しにくいので、年表形式のメモを貼り付けておきます。(ご参考下さい)
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by コスモス

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