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ブロック経済前夜4 〜ファシズムは金貸し支配に抵抗するための国家収束〜

現在、日本では新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)で持ちきりです。ちなみに、これも金貸しによる生物兵器であるとの噂があるようですが〔BenjaminFulfordより [1]〕、マスコミの熱狂をよそ目に、当ブログでは 淡 々 と 市場経済の構造を追求していく所存であります 🙄
シリーズでお伝えしている「世界はブロック経済化するのか?」
世界はブロック経済化するのか?〜プロローグ〜 [2]
ブロック経済前夜1 〜イギリスによる国際金本位体制の成立〜 [3]
ブロック経済前夜2 〜第一次世界大戦、そして英国・ポンドの凋落〜 [4]
ブロック経済前夜3 〜アメリカ大戦景気から世界恐慌へ〜 [5]

これらの記事に続いて、一次大戦以降の流れを見ていくに当り、今後は各国の情勢について追求していきます
史実では、世界恐慌からブロック経済化(保護貿易)、そして二次大戦に至ったわけですが、そのブロック経済に至る背景としてのファシズム国家収束の思想・潮流〜に焦点を当ててみたいと想います。
[6]
その前に・・・


◆1.「ファシズム」から連想されるもの
「ファシズム」と聞くと、決して良いイメージが浮かばないのが一般的だろう。
ネットで辞書検索をかけても、
全体主義、排外的政治理念or思想、独裁政治、ナチスドイツ・・・
といった説明が並び、一般的には体制的(≒極右的)思想を連想させる。
しかし、元々「ファシズム」とは、イタリアのムッソリーニによる1922〜1942年までのファシスト党による政治体制のことを指し、『ウィキペディア(Wikipedia)』にもあるように、

一般的にファシズムは極右の政治思想とされるが、左翼の影響も多く見られる。例えば、ファシズムに絶大な影響を及ぼし、ムッソリーニから「ファシズムの精神的な父」とされたジョルジュ・ソレルはマルクス主義理論家でもあり、一部ではソレルの修正主義にムッソリーニが国家主義を加えてファシズムとなったという見方もある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より


Mussolini.jpg [7]
また、ムッソリーニはマルクス思想を崇拝していた

ムッソリーニは「我々共通の永遠の教師」としてカール・マルクスの思想に心酔しており、「危機の時代にあっては、中間的諸階級はその利益と思想にもとづいて、基本的階級のどちらか一方に引きつけられる」(1914年)と階級闘争を肯定する主張をしていた。だが次第にムッソリーニの階級論は「階級の破壊」から「民族的な団結が社会に階層を越えた繁栄を齎す」と考えるようになり、民族主義的な社会主義へとその思想が変化し始める。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より


どうやらファシズムが右寄り、独裁の思想・体制というのは、現代人の安直なイメージに過ぎないようだ(実際、ムッソリーニのファシスト党は20年に渡る長期政権を維持した。出版・表現の自由の抑圧、国家公務員の罷免権等、独裁的な政治体制の一方で、国民にレクリエーション活動のための施設等を整備し、大衆の評価を獲得していたようだ。参考:Field Z [8]
では、なぜ「ファシズム」と聞くだけで、私たちは冒頭のようなマイナスイメージを描いてしまのだろうか?この思想が形成された社会背景を探っていくと興味深い事実が見えてくる。
◆2.なぜ国家収束思想〜ファシズム〜が生まれたのか?
ファシズム思想の成立は、一次大戦以降の世界情勢に起因する。一次大戦とは・・・

一般的な理解では、この大戦は、英仏と独の植民地の奪い合いの戦争だったとされている。イギリスは、フランスと協調関係を築いて、先進的にアジアやアフリカ地域で植民地を獲得していた。このイギリスの「3C(カイロ、カルカッタ、ケープタウン)政策」の推進に対して、「3B(ベルリン、バグダッド、ビザンチウム=コンスタンチノープル)政策」を推進したのが、ドイツを代表とするヨーロッパの後進新興国だった。
つまり、第一次世界大戦は、後進新興国が「資源と植民地の再配分、再分割」を要求して起こった「帝国主義戦争」だったとされている。これにオスマン・トルコ帝国支配下の東ヨーロッパ地域やバルカン半島での民族問題が複雑に絡んで激化した。
しかし、もっと違った側面からみれば、この大戦はロスチャイルド財閥による世界管理戦略に従って遂行されていたのだと見ることもできるのだ。ロスチャイルド財閥は、大英帝国以外で当時世界に存在した旧態依然の「4つの帝国」を崩壊させようとしたのである。
「4つの帝国」とは、
【1】ドイツ=ホーエンツォレルン帝国
【2】オーストリア=ハンガリー二重帝国(ハプスブルク家)
【3】ロシア帝国(ロマノフ家)
【4】東欧中東のオスマン・トルコ帝国である。
るいネットより [9]


[10]
(画像は、1924年時のヨーロッパ地図)
上記の説明は、一次大戦の結果、世界に何がもたらされたのかを見ると繋がってくる。

ファシズム、ナチズムに言及する場合、当時の社会状況抜きには語れない。事実は、ムッソリーニのファシスト党は、ヒトラーのナチス党も然りであるが、第一次世界大戦後における歴史状況に深く関係している。第一次世界大戦後、戦前危惧されていた通り、国際金融資本即ち現代パリサイ派とも云うべきネオ・シオニズムユダヤ即ちロスチャイルド派が戦勝者となり、大挙して社会進出してくることになった。彼らの得手とする格差社会が広がり、「シオン長老の議定書」に基づく世界支配が進んだ。
 他方、同時並行してマルキシズムを主流とする社会主義運動が活性化し、特に第一次世界大戦過程で発生したロシア10月革命を起点にしてロシア・ポルシェヴィキ派の世界支配即ちコミンテルン運動が進んだ。且つ、ロスチャイルド派の世界支配運動とコミンテルン運動は地下水脈で呼応していた。つまり、西欧諸国は、伝統的主権国家としての地位を表から裏から揺さぶられていた。
‘れんだいこ’さんのサイト [11]より


戦争は国家を消耗させる。一次大戦で敗戦した独は、多額の賠償金を戦勝国(英仏等)に払わなければならなかった。ロスチャイルドに代表される金貸し(国際金融資本家)は、国家に軸足を置かない市場の住人であり、戦争もビジネスの一つ [12]だ。
この状況下で、ロスチャイルドはレーニンやトロツキーに資金援助し、革命の誘導もしている。第一次世界大戦中の1917年にボルシェビキ革命が成功し、翌年にニコライ2世とその家族が全員銃殺されたが、その結果、ロシアのロマノフ家が保有していた世界最大の金塊は、超安価でイギリス(ロスチャイルド)に流れた。(参考:るいネット [13]

当時(1920年前後)、ロスチャイルドの本家は、ロンドンとパリとウィーンの三家族になっていた。フランクフルト家はゴールドシュミット家に変り、イタリアのナポリ家は1860年に閉鎖していた。ロスチャイルド本家がなくなったドイツとイタリア、そこからヒットラーとムッソリーニのファシズムが誕生したのである。
相変わらず多くのユダヤ人は社会から排斥されていた。ロスチャイルド家が途方もない利益を計上するたびに、実業界からその噂が巷に流れて、ドイツとイタリアでは民衆の怒りが身近なユダヤ人に向かっていった。
ユダヤ人の多くは、事業の上でロスチャイルド家と非常に深い関係を持っていたが、ほとんどは一介の市民か、それ以下の貧困に喘ぐロスチャイルドの使用人にすぎなかった。それが一身に、ユダヤ王の責任を負わされる運命に置かれていた。
世界中の不満がロスチャイルド一族に向かっていたのである。
日本人が知らない 恐るべき真実 [14] より


この時代的危機に感応して生まれたのがイタリアでのムッソリーニ率いるファシスト党であり、ドイツでのヒトラー率いるナチス党であった。両者は妙なことに共に、在地型の社会主義運動を志向していた。実際、ムッソリーニは元社会党員である。ヒトラーも社会主義に造詣が深く、自ら国家社会主義と名付けている。その意味は、ロスチャイルド派とコミンテルン派の国際主義的世界支配に対抗するということであり、国家的主権を護るということから必然的に祖国主義、民族主義に立脚していた。且つ、政治に大衆を動員すると云う意味で国家社会主義運動と位置づけていた。ファシズム、ナチズムの特質がここに認められる。
‘れんだいこ’さんのサイト [11]より


利益を貪る金貸し(ロスチャイルド=一部のユダヤ人)が経済格差を拡大したため、大衆のユダヤ人に対する反感が高まり、その矛先がユダヤ人全般に広がっていったのが、ファシズム誕生前夜だったようだ。つまり、大衆には既に反金貸し・ユダヤの意識が芽生えていたということだ。
市場拡大をもくろむ金貸し支配に抵抗すべく、始まった民族収束・国家収束によりファシズム思想が形成されていった。

金貸し丸儲け→金貸し支配→反金貸し・反ユダヤ→民族・国家収束→ファシズム
この一連の流れが、敗戦国のドイツや戦勝国でも経済的に不安定だったイタリアで強まっていった。「持てる国」のイギリスは保護貿易へと転換し、ブロック経済の口火が切られる。一方の「持たざる国」は、経済的・政治的にも秩序を保てず、追い込まれる形で戦争に踏み切った。
混沌とした現在の世界情勢に重なって見えてこないだろうか?

尚、イタリアのファシスト党の成立の詳細は、世界史ノート ファシズムの台頭 [15] に詳しいので是非ご一読を。

[16] [17] [18]