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ブロック経済前夜5 〜アメリカ編1・フーバー大統領と保護貿易〜 

どうも〜
こんにちは
今回がはじめてのエントリーのカナで〜す
女子で〜す
今回は、ブロック経済シリーズの第5弾です
今までのおさらいはこちらで…
ブロック経済前夜1 〜イギリスによる国際金本位体制の成立〜 [1]
ブロック経済前夜2 〜第一次世界大戦、そして英国・ポンドの凋落〜 [2]
ブロック経済前夜3 〜アメリカ大戦景気から世界恐慌へ〜 [3]
ブロック経済前夜4 〜ファシズムは金貸し支配に抵抗するための国家収束〜 [4]

アメリカ編は、世界大恐慌のときのアメリカ大統領にスポットライトを当てていきます
大恐慌といえば、ニューディールのルーズベルトが有名ですが、
今回の主役はその前の大統領、ハーバート・C・フーバーです。
200px-HerbertClarkHoover.jpg
ラジオを聞くフーバーwikipedia [5]より
大統領に金貸しの息がかかっているのは言うまでもないですが、
この人はなんと保護貿易を始めた人なんです
保護貿易したら市場縮小しちゃうのに、なんで金貸しは保護貿易をやらせたの
実は、貿易よりもっと強力な市場拡大に向けての戦略だったんです…
まずは彼の経歴から紹介しま〜す
その前にクリック おねがいします


イギリスでロスチャイルドに目を付けられる
未来の大統領フーバーが初めて金貸しと出会ったのは、彼が実業家だったころです。

フーヴァーはロンドンで鉱山株の斡旋業者を営んでいたが、ロンドン証券取引所から取引停止処分を受けていた。
相棒[スタンリー・ロウ]は公然と処罰され、長い間刑務所に入れられた。
ところが、この事件のおかげでフーヴァーはロスチャイルドの好意的な関心を引くことになり、ロスチャイルドの会社リオ・ティントの役員に迎えられたのである。
さいはてメモ帳 Imagine&Think [6]より

なにか金貸しの萌芽みたいなものが彼にあったのでしょうか…
それはともかく、こうしてフーバーはロスチャイルドの一味になったのです。
第一次世界大戦で慈善事業
WWⅠに彼は慈善事業を始めます。さてその真意とは…

一九一四年、第一次世界大戦が勃発した時ロンドンにいたフーヴァーは、ヨーロッパに在留するアメリカ人を救済する活動の陣頭に立った。その後、「ベルギー救済委員会」の委員長として、食料物資を届ける救済活動を指揮した。
リンク [7]より


一見とてもすごくいい人 のように思いますが、これには彼の背後にいる金貸しのカラクリがあったのです

1916年に、ドイツが食料と資金の欠乏のため戦争の継続は無理だと主張すると、第一次世界大戦の仕掛け人たちは泡を食ってしまった。
・・中略・・
ドイツを戦争にとどめておくため、資金については、連邦準備制度の親玉ポール・ウォーバーグ[1868-1932]がストックホルム経由でハンブルクのM・M・ウォーバーグ商会受取の信用貸しを、兄のマックス・ウォーバーグ[1867-1946]に宛てて急遽手当てした。
食料の問題はもっと厄介だった。しかし、最終的に「ベルギーの飢餓救済」という名目で食料を直接[合衆国から]ベルギーに船で送り込むことが決定された。援助食料を陸揚げしてからは、ロスチャイルドの鉄道に積み替えてドイツに送ればよかった。この[救済]工作の指揮官として、ロスチャイルドはハーバート・フーヴァーに白羽の矢を立てたのである。
救済委員会でフーヴァーの相棒となったのが、ベルギー・ロスチャイルド家の当主ランベール男爵によって選ばれたエミール・フランク[1863-1935]だった。リンク [6]より

なんと 戦争を長引かせるために慈善をよそおって食糧を敵地に送り、戦争を長引かせていたのです
OMG (oh my god!)
大恐慌で大統領・フーバーは…
そして1929年3月に大統領に就任します。この7ヶ月後に世界大恐慌が起こるとか、それにしても怪しいですよね
フーバーはこの大恐慌に対して、RFC(復興金融公社)を創立するなどの金融対策をしたり、保護政策をとったりしました。
まず金融対策の方から見ていきます
以下が大恐慌の背景と、フーバーの執った金融対策の要点だけ押さえます。
大恐慌の背景

■1920年代は大衆消費時代で中産階級が育ち、クレジット販売が盛んになる。この年代に世界経済の資金循環を支えたのはアメリカの対外証券投資だった。
銀行は中小企業金融や不動産担保貸付や証券担保貸付を拡大。
1928年初頭まで株式投資は企業収益の増加と将来の期待をもとに過熱した。将来の値上がり益をねらう信用買(=ローンで株を買う)が増えた。
るいネット [8]より

つまり、そのころアメリカではクレジット販売や投資が盛んで、金融業の中小企業もたくさんあった、っていうことですね。このあと、1929年世界大恐慌が起きます
フーバーの政策

■全米信用会社(NCC:’31年10月設立)
健全な銀行が経営が悪化した銀行に対して連銀再割引の対象外債権を割引という業界内の相互扶助組織。フーバー大統領の提唱によって発足した。
■復興金融公社(RFC:’32年2月設立)
NCC(全米信用会社)の失敗を踏まえ、フーバー大統領の勧告によって創立。発足後直ちに、金融機関の流動性危機回避に向けて、銀行に対して直接かつ大規模な資金供与を実行。
【RFCによる政策経緯と成功の背景】
■当初RFCの流動性供給によっては金融破綻が現実化しなかった。また、’32年末のRFC融資先リスト公表の決定や、金融界の調査体制(ペコラ委員会)が設置されると再び金融システムに対する不安心理が増大した。流動性供与によって表面上経営破綻は回避されてきたものの、不良債権の増大と預金の引き出しによって金融機関の経営基盤が脆弱化したことが主因といわれている。そして’33年3月危機が訪れる。
るいネット [8]より

NCCで銀行同士助け合った。それではダメだったのでRFCで大規模な対策をした。けれども結局金融不安は治まらなかった。
その結果

この恐慌により16000もの銀行が倒産し、そのほとんどはモルガンとロックフェラーが吸収・合併していきました。リンク [9]より

最後に残ったのは、国際金融資本:金貸し連中だけ…
この3つを合わせるとこういう事になるのではないでしょうか…
背景
金融界にはたくさんの中小企業があった。=金貸しが金融を独占できない状態
1929年大恐慌
中小企業に致死的な危機を与える
政策
NCCで銀行同士で助け合わせる。=中小企業が手を組んでもどうにもならない。巨大な力を持つ金貸し達は自分達で助け合う
結果
金貸しの銀行だけ残った…
フーバーの政策で、金貸し達は自分達だけ金融界に残ることに成功したのです
またフーバーは、スムート・ホーレイ法で保護貿易政策をとりました。
でもなんで金貸しがこんなことするの!?
保護貿易をしたら市場縮小しちゃうんじゃ・・・
実はこれは最大の市場拡大である戦争への導火線だったのです
保護貿易にしたら
     
アメリカを最大の消費国にしていた世界中の国は、売り先がなくなってしまいます
     
アメリカに売られなくなった国のうち、植民地を持っている国(WWⅠ勝戦国)は、自分の植民地に自国の製品を売ります。
植民地のない、借金や賠償金はあるドイツや、戦後莫大な借金を抱えていたイタリアは、貿易が困難になり、経済的にさらに追い詰められます
     
そして、ファシズムが台頭し、第二次世界大戦へ世界は向かっていきます
(詳しくはこちら ブロック経済前夜4 〜ファシズムは金貸し支配に抵抗するための国家収束〜 [4]
この時代の保護貿易は、戦勝国については植民地があって成り立つ経済で、さらにその他の国の戦意を誘発するためのものとして使われたようですね
それにしても、アメリカにもこんないい大統領がいたのか!と言われているほど、慈善事業で活躍していた大統領が、慈善事業を装っていたわるものだったとは驚きです。内心はやっぱりな・・・!という気持ちですが。笑
つづきはかの有名なフランクリン・ルーズベルト のお話です あの人は一体どんな人なんだろう… すっごく気になりますね
みなさん読んでいただいてありがとうございました〜
次回もお楽しみに〜 😉

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