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5/31なんで屋劇場レポート【前編】〜大衆共認の行方は? ・ 「闘えない」日本人!〜

【103回なんで屋劇場】金貸し→特権階級の暴走どうする?②〜社会共認の行方は?
のレポートです。
本ブログ5/3〜5の記事でお送りした『なんでや劇場 〜金貸し→特権階級の暴走どうする?』の続編です。
5/31(日)に大阪・東京の会場をつなぐテレビ会議スタイルで開催されました
【なんで屋劇場】については、 こちら [1] をごらんください。 
○前回【102回なんで屋劇場】のおさらい
前回のレポートは↓↓です。本編を読む前にさっと目を通していただけたら、理解度もグンとアップしますよ。
第1回 世界経済はどうなる? [2]
第2回 金貸し支配の現象とは? [3]
第3回 日本だけ、金貸し支配が強まっているのはなんで? [4]
続きはポチッのあとで
↓↓↓
      


■日本の特権階級と大衆共認はどうなる?
1.政府とマスコミの野合⇒「翼賛報道」
元来は政府が保守系、マスコミは革新系(左派)の立場をとり、バランスを保っていました。それが、最近はアヤしくなってきています。
‘00年以降、政府とマスコミが手を握り、国民の共認を押しつぶす「大本営発表」「翼賛報道」を露骨に繰り返すようになっています。
→ 「小泉フィーバー」 、 「郵政民有化選挙」 、最近では全マスコミが大挙して 「小沢バッシング」 を繰り広げました。
その都度、大衆はコロッと洗脳されてきました。小泉元首相の驚異的な支持率はこのようにして作られ、そのオカしさに気づいた人はほとんどいなかったのです。
参考: マスコミのからくり:::露出≒支持 [5]
    テレビ朝日の小泉・安部翼賛を忘れるな! [6]
2.なのに「民主優勢」なのはなんで?
選挙戦を前に起死回生を狙った「小沢バッシング」でついに民主党の小沢氏を代表の座から引きずりおろしました。政府(自民党)&マスコミの作戦は成功したかのように見えますが、どうやら「民主優勢」の世論は変わっていないようです。なぜでしょうか?
自民党の支持基盤は地方(農村)で、都市部では弱いというのが元来の構造でした。それが近年は逆転現象が見られるのです。
経済危機を打破できない政府(自民党)がマスコミと組んでひとびとの共認支配を企てても、生活が土地に根づいている地方では地域(土着)コミュニケーションによって共認が修正されるのです。なにより経済的に疲弊しきっている地方では「脱自民」に舵を切り、自民党の各県連もそれに従わざるを得ない状況なのです。
一方、地域に根ざしていない(根無し草の)都市住民は、テレビを主体としたマスコミに簡単に洗脳されて自民支持にまわっていると考えられます。
参考: 自民党の集票組織が崩壊した [7]
    地方が、国民が、自民党が…日本中から“袋叩き”の小泉元首相 [8]
3.マスコミ報道に対する抵抗力はどれくらい育まれているのか?
実際、都市部では経済危機とマスコミ報道の綱引き状態がつづいています。が、マスコミ報道のおかしさは次々に露呈しています。大衆の側にも「学習効果」があるはずで、徐々に抵抗力がついてきてるはずです。
参考: マスコミ離れ→反マスコミ気運の発現→マスコミによる共認支配の崩壊過程 [9]
    「マスコミの凋落」は、もはや時間の問題ではないか? [10]
とはいえ、先日の「豚インフル騒ぎ」のように新しい事象が登場すると簡単に洗脳されてしまうのも事実です。
なにより、都市にはマスコミに対してなんら疑いを持たない、テレビに収束し続けている「多数派」(完全浮動層)がいます。この人たちの民意が侮れない影響力を持っているのです。この上辺だけの(中身のない)世論共認はどこから来るのだろうか。
ここでひとつの仮説が登場します。
上辺だけの世論共認 = 「みんな一緒」という安心収束
ではないだろうか?
■衝撃!「闘えない日本人」
現在、世界を揺るがす大転換期を迎えています。はたして日本はどう動くのか?
それを決定付けるのは世論(大衆共認)なのですが、大衆共認は今後どこへ向かうのでしょうか?
日本人の特性を形作った歴史的経緯から考えて見ます。
1.「みんな一緒」=安心 という日本人の感覚はどこから?
そもそもこの安心感は 「共認原回路」 と呼ぶ、脳神経回路からわき起こるものです。この 「共認原回路」 は原猿段階に形成されたもので、本能で適応できない危機的状況をこの回路の働きで克服しました。
しかし、これは同類闘争には適応できない回路です。真猿〜人類の社会で起こる同類同士の争いには通用しません。つまり、 「闘えない」回路なのです。
※詳しくは「実現論」 [11]をごらんください。
参考: 第一部:前史「ニ.サル時代の同類闘争と共認機能」 [12]
2.「闘わない」縄文人→日本人に根付く縄文体質 
私たちの祖先、縄文人にこの回路の特質がよく現れています。
「大陸の端っこの、そのまた離島」に定着して以来、縄文人は闘ったことがない民族でした。約3000年前、弥生人が侵略してきたときも敵視することなく受け入れ、集団に取り込んだのです。その結果、(私権闘争を体験してきた)弥生人に支配されることになります。
ですが、縄文集団は「母系総偶婚」で社会を統合していました。侵略者の弥生人も総偶婚制度に取り込まれていき、その特質(縄文体質)が日本人の脳回路に生き残っていきました。
(西欧や中国に比べて戦いの歴史が少ない、外来のものを「良いもの」とする舶来信仰なども縄文体質の現れでしょう)
つまり日本人は他民族にない、特有の共認、観念を持っているのです。
DNAは大陸にいる朝鮮民族とほぼ同じでも、共認内容は明らかに違っており、日本人と朝鮮民族との違いが現れます。やはり日本人は「単一民族」だというべきなのです。
参考: 日本人の可能性 共同性の差がもたらす東洋・西洋の観念体系の違い [13]
3.「闘えない」日本人:外圧に弱く、全体共認に染まりやすい
この縄文体質の致命的なところは
「闘い(ハッタリ、交渉)に弱い」=弱者体質であるということです。
実感される方も多いのではないでしょうか?
現代まで続く歴史の中で、外交場面ではことごとく弱腰であったことがそれを証明しています。歴史上、戦いに明け暮れた時期(戦国時代)もありましたが、諸外国に比べると短く、歴史の大半は平和な集団生活を営んできました。
さらに、
「みんな一緒」=ファシズム共認に染まりやすい特質があります。
セクハラ、嫌煙権に見られる「魔女狩り」が現代でも横行していますが、戦時中には「一億玉砕」「鬼畜米英」、戦争が終わると「一億総ザンゲ」など、とにかく大衆共認が一色に染まりやすいのです。
果たして、このような日本人が、世界を揺るがす「危機」を乗り越えることが出来るのでしょうか?
では【後編】にご期待ください。

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