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ブロック経済前夜9 〜ドイツ編2・ドイツの「ハイパーインフレ」が終息したのはなんで〜 

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1レンテンマルク紙幣。リンク [1]よりお借りしました。 
 
ドイツ編、第2弾です。
 
前回のエントリー [2]では、ハイパーインフレが起こる原因は、
 
①需要>供給でモノ不足
②大量の紙幣発行
 
 
が同時に起こるから、という構造を明らかにしました。
 
今回は、②の紙幣が大量に発行された原因を振り返り、それがどのようにして収まったのか、見ていきます。
 
応援よろしくお願いします!


1.ドイツのハイパーインフレは意図的に作られた?
 
元々、戦後の賠償金の支払いのために紙幣を大量に発行したのに加え、フランス軍によるルール占領の影響で物的な供給が滞ったことで、天文学的なハイパーインフレになったと言われています。確かに1923年1月のルール占領の段階で戦前の4200倍以上になっています。しかしそれだけでは、その後何億倍にも膨れ上がった理由が説明できません。
 
既にインフレが進んでいたにもかかわらず、中央銀行(ライヒスバンク)によってその後も紙幣が大量に発行され続けたことが、よりインフレを悪化させた要因だと考えられます。
 
  年 月    為替(=1ドル)マルク   備 考
1914年7月             4.2  戦前
1919年5月             13.5  戦後
1919年12月            46.8
1920年1月             64.8
1920年6月             39.1
1920年7月             39.5
1921年7月             76.7   5月頃?賠償金支払う(200億〜450億金マルク?)
1922年6月             320.0
1922年7月             493.2
1923年1月            17,972  ルール占領
1923年7月           353,412
1923年8月          4,620,455
1923年9月        98,860,000
1923年10月    25,260,280,000
1923年11月  4,200,000,000,000   レンテンマルク発行
「ビジュアル世界史」(東京法令出版2000年)ほか リンク [3]より加工しました。
 
ではなぜライヒスバンクは紙幣を無制限に刷ることができたのでしょうか?また無制限に刷り続けた目的は何だったのでしょうか?
 
前回のエントリー [2]からまとめると、
・ライヒスバンクは、賠償委員会の監督下に置かれ、ドイツの政府や国会から完全に独立した存在になった。→これにより政府の監視が届かなくなり、発行量はライヒスバンクの自由になります。
そうなると、
・政治家シュティンネスの一派がライヒスバンクを乗っ取り、勝手に私企業の手形の割引を始めた。
・企業を倒産させて、銀行家はそれを担保物件として手に入れた。
・投機家に大量に貸し出し、マルクの空売りを促進した。
リンク [4]
 
といった投機行為(収奪行為)が横行するようになりました。それらを促進するために、意図的に紙幣の大量発行が行われた可能性があります。
(尚、元々中央銀行は政府から独立していることで通貨を安定的に保っていると言われますが、この事例を見るとそれが欺瞞であることがわかります。)
2.なぜレンテンマルク発行で終息したのか?
では中央銀行の私物化に対して政府はどのような手を打ったのでしょうか?
リンク [5]より引用

このハイパーインフレの中で、政府は通貨の信頼を取り戻し、経済を再建することを決意し、その役割を担わせる男を探し出した。その男とはノルトシュレスウィヒ生まれの元銀行家ヒャルマール・シャハトである。彼は学生時代、医学、文学、経済学を学び、社会主義者シュモラーの影響を受けていた。この時46歳である。政府は価値のなくなった古いマルクに代えて、新通貨を発行することを考えた。しかし問題は紙幣発行量の裏付けをどうするか、ということであった。金本位制に戻ろうにもドイツに残された金はごく僅かである。前蔵相カール・ヘルフェルトは、ドイツが大量に生産出来るライ麦を基礎にしたライ麦マルク、というアイデアを考え出した。この発案をベースに、不動産を担保にした新通貨レンテンマルク(RM)が発行されることになった。(レンテンとは地代、利子を意味する。)それは18世紀のフランスでジョン・ローが行ったように、国家の生産力を裏付とした紙幣の発行による信用創造であり、農業用地や工業資産から一定の利子を受けとり、それを元本にして銀行券を発行する仕組みだった。


シャハトは10月13日全国通貨委員になり、新しい発券銀行としてレンテンバンクが設けられた。11月15日、14兆2000億DMが、1兆対1という比率でレンテンマルクに交換された。レンテン銀行の発行できる通貨の量は、32億RMに制限され、国債の引受額も12億RMまでとなった。


11月20日、ハーフェンシュタインが急死すると、シャハトは中央銀行総裁を継ぐ。彼は投機活動を禁じると共に、マルクの対ドルレートを1$=4.2兆RMにまで切り下げた。中央銀行の断固たる決意を受けて、未曾有のインフレも収束に向かう。これらの施策により、運転資材と資産への投機は収まり、ようやくドイツ経済は復興への道を歩み始めるのである。


レンテンマルクと言うと、旧マルクとの交換比率の大きさがクローズアップされることが多いですが、ここからインフレが収まった要因を拾い出すと、
 
①国家の生産力を通貨の裏付けとしたこと
②通貨発行量をコントロールしたこと
③投機活動を規制したこと

 
が挙げられます。
※レンテンマルクは金とは交換できない不換紙幣でしたが、担保(国家)の信用があれば、通貨の安定は可能であると思われます。
 
このような政府主導の通貨管理によって、ハイパーインフレを克服できたのではないでしょうか。

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