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英国王室の成り立ち・・・ゲルフ派とは?

Posted By orisay2 On 2009年9月4日 @ 11:34 PM In 08.金融資本家の戦略 | 5 Comments

300px-British_Empire_1897.jpg [1]
世界を支配する勢力分析が進んでいますが、今回は、かの英国王室に切り込んでみました。
『縄文と古代文明を探求しよう!』に興味深い記事がありました。現在の英国王室は、欧州の2大支配勢力:古代ローマ以来の貴族系とフェニキア以来の金融系の戦いに端を発しているようです。(リンク [2]
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中世を通じてヨーロッパのさまざまな権力の中枢は二つにまとまっていた。一つは神聖ローマ帝国王家(1138年〜1254年)のホーエンシュタウフェン家を支持するギベリン派〔皇帝派〕。もう一つは、神聖ローマ帝国の支配を巡ってフリードリッヒと競ったドイツのベェルフ大公から出たゲルフ派〔教皇派〕である。その時ローマ教皇は、ゲルフ派と同盟し、ギベリン派と対決した。そして結局、教皇側が勝利を収めた。近代史のすべては、この2つの勢力のあいだの抗争から直接に派生したものである。
ゲルフ〔教皇〕派は、またの名を「ネリ」「黒いゲルフ」「黒い貴族」とも呼ばれ、11世紀にイングランドを征服したノルマン人たちも、実はゲルフ派であった。ロバート・ブルース(1274年〜1329年)のスコットランド征服を後押しし、またオレンジ公ウィリアムがイングランドの王位を簒奪するのを支援したジェノバ人たちも、ゲルフ派だった。
ウィリアムの勝利はイングランド銀行と東インド会社の設立という結果を生んだ。そして、この二つの組織が17世紀以来世界を支配してきた。それ以後に勃発したクーデター・革命・戦争はいずれも、ゲルフ派がその権力を維持し、増強するための闘争であった。そしていま、これが世界権力と呼ばれているのである。
ゲルフ派の権力は、銀行業と国際貿易を支配することによって成長してきた。その権力は、イタリアの中部を経てフィレンツェの北方ロンバルディア地方に拡大し、ここが金融の一大中心地となった。その結果、ジェノバ、ヴェネツィア、ミラノを含む全イタリアの銀行が「ロンバルト」と総称された。今日でもドイツ語では、ロンバルトといえば「質屋」「動産質貸付銀行」という意味である。ロンバルトたちは、中世世界全体を相手にする銀行家であった。近代史はかれらが北上して、ハンブルグ、アムステルダム、を経て、最終的にロンドンへと営業活動を移動したことから始まっている。
「偉大なアメリカの富」も、元をたどれば、ゲルフ派が植民地を相手に行った奴隷貿易から発生したものである。
★皇帝・貴族系 
  ローマ帝国→神聖ローマ帝国 
          →2大貴族の抗争                
           ・ギベリン派(皇帝派)  →ハプスブルグ系
           ・ゲルフ派(黒い貴族)  (タクシス・サヴォイなど)
              └——→ 英王室

中世からスペイン・ポルトガルによる大航海時代までは貴族系(皇帝派)が優位。
そして、イギリスが覇権を掌握した後は、ゲルフ派+国際金融系統が世界を動かしてきた。イギリス、アメリカを通じて、金融・軍事・思想を武器に17世紀以来の近代史を動かしてきた。

(引用以上)
神聖ローマ帝国に置けるゲルフ派から端を発し、イングランドは、事実上オレンジ公ウィリアムを中心としたゲルフ派によって征服され、その後イングランド銀行と東インド会社の設立というように、銀行業と国際貿易を支配しながら、今日まで、脈々と続いているようです。
英国王室もこの系譜の中に、中心的な存在として、成立してしているようです。

黒い貴族、ゲルフ派 彼らは、一体どこから来たのか?このあたりが、次なる課題でしょうか?


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