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農産物はなぜ安いか?

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画像はこちらからお借りしました⇒(リンク [1]
日本の食糧自給率は40%しかない、といった話しは既に国内に知れわたっていますね。
40%という数字については異論のあるところですが、それ以前に、社会にとって必要不可欠なはずの食糧が市場の中ではまっとうに評価されず、農業の採算が成り立たないということこそが問題です。
また、世界中を巻き込んだ金融危機から経済破局へと一気に進みそうな状況の中で、これからの日本社会をどうするか、とりわけ、食糧自給をどうするかについて、早急に答えを出さなければならない課題だと思っています。
今回は、農業生産を市場に委ねていてはうまくいかないことの理論的な根拠を示している記事を紹介します。
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以下、引用です。⇒(リンク [2]

例えば、ブランド品と農産物の価格格差は、よく言われるような生産コストや需給バランスだけでは説明できない。たとえ同じ原価と労働量であったとしても、農産物に比してブランド品の方が何倍(〜何百倍)もの高値になることは稀ではない。ブランド品も需要に見合うだけの供給量が増えれば、価格は下がるはずだが、現実には農産品ほど価格が下がることはない。
素直に考えるとおかしいが、市場原理にはみんなが必要とする必需品ほど安くなり、みんなが必要としない贅沢品ほど相対的に(異常に)高くなって、価格格差が開いてゆくという基本法則がある。これはなぜであろうか?
その謎を解く鍵が幻想価値である。必需品は幻想化の余地が少ないので低価格になり、贅沢品は幻想化の余地が大きいので高値がつくと考えれば辻褄が合う。

みんなが必要とする必需品の場合は、それを消費する(使う)目的も明確だし、そのモノがどのように役に立つのかも明確である。だから、価格に対する効果も分かりやすく、売るほうからすると消費者を騙せる余地が少ない。従って、実体価値(使用価値)を大きく超える幻想価値は捏造しにくい。(一部にブランド食品等も出回っているが、高級ブランド商品に比べると価格格差は知れている。)
それに対して、ブランド品の場合は、そもそもそれを消費する(使う)目的も不明確だし、そのモノがどのように役に立つのかも不明確である。(はっきり言ってしまえば、生活するうえではほとんど必要のないモノばかりであると言ってもいいだろう。せいぜい、他人の羨望の的になったり、それによって自己顕示欲を充たしたりするぐらいの効能しかない。)主観的な好みが支配する世界であるだけに、価格に対する効果も非常に分かりにくく、売るほうからすると消費者を騙せる余地が大きい。従って、実体価値(使用価値)を大きく超える幻想価値が捏造しやすい。
要するに、市場という駆け引きの世界では、人を騙しやすいものほど高値になり、騙しにくいものほど安値になる。
農産物が安くなるということは、消費者にとっては有難い反面、他の幻想価値のくっついている商品に比べて安くなりすぎると、生産者の生活が成り立たなくなる(担い手もいなくなる)という切実な問題がある。騙しの上手い者が甘い汁を吸い、汗水垂らして働く騙しの下手な者が苦労をするという市場原理はやはりどこかおかしい。価格格差の問題も、必要か否かという観点で捉え直す必要がある。

どうやら、商品市場そのものの存在意義を改めて問い直すことが必要なようです。
そして、緊急の課題として、食糧生産を脱市場化させることが必要なんだと思います。
税金の使い道として、社会にとって本当に必要なものに投入するという意味で、採算が成り立たないならば税金で補填してでも農業を支えるべきだといえます。
あるいは、農業生産には様々な人が関わることができる作業がたくさんあります。また、農業による子どもたちの教育効果も認知されてきていることから、  子どもから高齢者まで、みんなで食糧生産を担ってゆくような仕組みを考えることが求められていると思います。(事例⇒リンク [3]) 
これまで、都市と農村を分けることが当たり前だったわけですが、人口減少社会に突入したこともあり、都市圏の中の余剰化した宅地を農地に戻して、都会の余剰労働力が担い手になるといったことも有りえる話だと思います。(事例⇒リンク [4]
都市環境も改善されるし、なによりも、社会にとって必要な供給者になるという役割を得た人々の活力が高まることが期待できるのではないでしょうか。
改めて原点に立ち返り、脱市場という切り口でかんがえるだけでもいろいろなことが見えてくるように思います。
by わっと

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