前回記事『潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向』 [1]では、貧困の圧力が消滅した’70年以降の大転換期について、意識潮流の根底にある「性」 を中心にみてきました。今回はその意識潮流の変化によって、’70以降の経済がどうなっていったのかを見てみます。 🙄
ポチット応援おねがいします♪
ありがとうございます。 😀
るいネット『潮流4:輸血経済(自由市場の終焉) 』 [2]から引用します。
生存圧力が衰弱すると、私益追求の欠乏も力強さを失って徐々に衰弱してゆく。そして’70年、三種の神器が行き渡り、ほぼ豊かさが実現されると、物的充足が飽和限界に達し
たことによって需要が頭打ちとなり、市場は拡大を停止するしか無くなった。
需要の頭打ち(→市場縮小)に危機感を感じた財界、政界および学者、官僚、マスコミの者たち(以下、特権階級と呼ぶ)は、不足する需要を補うために、今日までに900兆もの資金を市場に流し込んできた。そして残されたのが、もはや返済不可能な国の借金である。
(注:但し、金貸し=中央銀行から紙幣発行権を剥奪し、国家紙幣を発行する形に切り換えれば、忽ち国の借金はゼロになる。)
’70年以降の大本営が発表するGDPから、毎年市場に注入された国の借金(国債・地方債etcの借入金)によって作られた人工需要を引くと明らかなように、毎年のGDPはマイナス成長となる。
つまり、自由市場は、豊かさが実現された’70年以降、縮小過程に入ったのである。現在の市場は、国家による資金注入という輸血装置によって生き延びている人工市場なのであってz、決して自然な需要と供給に委ねられた自由市場なのではない。従って、当然、大きな歪みが発生してくる。
需要が飽和している所に、巨額なマネーを流し込んでも、市場は余分なマネーでジャブジャブになるだけである。しかし、いくらマネーでジャブジャブになっても、常に供給過剰・需要不足なのでインフレにはならない(=余分なマネーが吸収されない)。そこで、必然的に余分なマネーは土地や株式etc供給に限界のある投機商品に流れ込み、投機商品のハイパーインフレ=バブルを生み出す。
こうして’85年以降、日本経済は世界の先頭を切って、バブルによってGDPを水膨れさせる偽りの経済=バブル経済に突入していった(続いて’90年以降、米欧はもちろん、新興の中露も巻き込んで世界中がバブル経済に突入してゆく)。つまり、’85年以降、市場はバクチ経済の段階に突入したのである。
「自由市場は、豊かさが実現された’70年以降、縮小過程に入った」 という認識は重要です。その流れに逆らって、いくら国が資金をつぎ込んでも、実体経済が回復することはなく、投機市場に流れ込んでバブル化するだけなんです。 🙄
では、どうすれば良かったのでしょうか? 🙁 次回はこの『失われた40年』 (10年ではありません!)を総括し、その突破口に迫ります。お楽しみに 😀
<参考>
※’70年以降の経済成長率、物価上昇率、株価 [5]
※『私権闘争から形成された国家が市場へ資金を注入し続ける根本原因は?』 [6]