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『これからの消費はどうなる?』5〜新たな消費スタイルの萌し〜

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先週は「お金を超える評価指標」としての“人数”について、その重要性も含めてお伝えしました。
今週は少し視点を変えて、リサイクルなどが孕む欺瞞性とは何かを押さえた上で、変わりつつある消費スタイルを見て参りましょう。
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るいネット「リサイクルという欺瞞観念とは別のところで現実の消費は変わりつつある」 [1]より

>(ゴミ問題がなく)うまくいっているころは「リサイクル」って言葉自体ないだろうし、そんなこと考えなくても自然と成り立っている。(倉橋さん)
リサイクルとは、モノの再利用を促進することで現在の消費スタイルへの執着を正当化しようとする欺瞞観念だといえるのではないでしょうか。同じような感覚で「無駄を減らそう」という呼びかけもあります。しかしこれもまた便利さ快適さは追い求めながら必要以上の無駄は省く?という都合のいい掛け声に聞こえてしまいます。
既に麻丘さんが指摘されているとおり、現代の消費スタイルは快適さや便利さを求めること、その充足を是とする『私権社会における代償充足の共認域』が根底にあるのだと思います。「今の便利さを捨てられるか否か?」という価値対立に終始してしまうのも、そこにしか充足の可能性が開かれていない(感じられない)「代償充足の共認域」を脱することができないからなのだと思います。
しかし最近の若い人たちが古着を愛好している様子にはリサイクル意識など感じませんし、携帯などの通信費がお小遣いの大半をしめている実体は、充足の足場が従来の便利・快適とは異なる方向に向かいつつあることを予感させます。古いものを大切に着続けることはかっこいいし、友達とのつながりは何よりも大事。という感覚は、無意識のうちに『私権社会における代償充足の共認域』を脱した、新たな充足スタイル(消費スタイル)の萌しなのかもしれません。
「リサイクル」にこだわる限り問題の本質は見えてこない。むしろ現在の消費が代償充足を求めるための過剰消費である事実を知った上で、消費という現実の中に新たな可能性を探ることもできるのではないかと思います。

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リサイクルやリユース、リデュースなどを3Rといいますが、これらは近年特に環境への配慮、地球へのやさしさなどの概念として流布され、その行為自体が善であるかのように捉えられつつあります。
しかし、ここには大きな誤りがあります。
3Rを強調する意識の裏には、市場拡大を温存させたまま、個々人が私権(私的権益・権限)を求め、現在の快適さや利便さを維持・向上することを前提とした自己中心的な考え方があるのです。
そんな私権意識が皆の中に広く留まっている限りは、互いに都合の悪いことには目をつむるばかりで、決して持続可能な世の中にはなりません。 😥
ただ、日本では1970年を境に物的充足を満たし、私権意識そのものが減退傾向にあります。そのような意識潮流の変化に素直に感応している若者世代から、リサイクルなどの欺瞞意識ではない自然な消費スタイルが登場してくると予想されるのです。 😮
卑近な例ですが、昨今の小学生に人気のミニカーは、意外にも外見的にかっこいいスーパーカーではなくて実用性の高い国産ハイブリッド車なのだそうです。これなどは嘗てのスーパーカーブームに少年期を送った中年世代からみれば隔世の感があり、当に消費意識の変化の現われなのかもしれませんね。
みんなの役に立つ真っ当な消費とは何か。これからも追求して参ります!!
次回は、豊かさの実感が遊びや消費ではなく、仕事によってもたらされるという目から鱗のお話を紹介します。
お楽しみに〜 😀

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