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【需要発から供給発へ】2.「役に立つ答えを探す事」が、社会活力の基礎構造

【需要発から供給発へ】1.働かない人に支援金を払って、活力が上がるわけがない [1]に続く第2回です。
 12月1日、日銀が10兆円規模の資金を金利0.1%で市場へ供給する大規模な量的緩和政策を打ち出しました。
 「量的緩和」といえば、過去にも聞いたことがありますね。
 それは、01年3月〜06年3月に実施した金融政策で、金融機関が日銀に預ける資金量(当座預金残高)を、目標の量に達するまで金融機関に大量の資金を供給したというものです。
 当時の金融システム不安の沈静化には一定の役割を果たしたが、景気浮揚効果は限定的だったとの見方が主流です。
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 今回の「量的緩和」は過去に実施したものと何が違うのでしょうか?また、このような政策を取るのは何故なのでしょうか?
 中身を少し詳しく追いかけて見ましょう。
↓次に行く前に押して行ってください。


毎日jp [2]より引用

◇Q・今回の金融緩和策って?
◇A・国債など担保に超低利で貸し出し
 日銀が新たな金融緩和策に乗り出す。導入の狙いや景気への影響を探った。【山本明彦】
 Q 具体的に何をするの?
 A 金融機関が、投資目的で保有している国債や社債、コマーシャルペーパー(CP=企業が短期資金を調達するために発行する証券)などを担保として差し出せば、日銀が年0・1%の超低金利で資金を3カ月間貸し出すというものです。日銀は今月から毎週1回、8000億円程度を貸し、3カ月間で計10兆円程度が金融機関に流れる計算です。
 Q どんな影響があるの?
 A 年0・1%という金利は、日銀の政策金利と同水準です。政策金利は、返済日が翌日、という極めて短期の貸し借りに適用されるものです。その水準で、今度は3カ月間、お金を貸すわけです。金利は通常、貸出期間が長いほど高くなりますが、今回の対策で、上がりにくくなります。調達コストが下がるお陰で銀行は、企業に運転資金を貸し出す際の金利を抑えやすくなります。さらにもっと長期の金利にも低下効果が波及し、お金が企業の設備投資や個人の住宅購入などに回っていくことも期待されます。
 Q 政策金利の方は下げないの?
 A すでに0・1%ですから下げる余地はほとんどありません。「ゼロ金利」にすると、資金の貸手がメリットを失い、市場がほとんど機能しなくなります。このため日銀は、引き下げ余地のある借入期間が少し長めの金利を動かし、超低金利政策の効果を上げようとしたわけです。
 Q 画期的なことなのかな?
 A 実は日銀は、今年1月から、似たような対策を実施しています。今回と同じ年0・1%の金利で銀行に資金を貸す「企業金融支援特別オペ」です。違いは、日銀が認める担保にあります。特別オペでは、担保を社債やCPなど企業が発行する証券に限定しました。企業の資金繰りを助けるためです。
 今回の追加策は担保に国債などを含めました。企業の資金繰り対策というより、金利全般の低下に焦点を当てています。
 Q 量的緩和政策って言うの?
 A 日銀の白川方明総裁は、「広い意味で量的緩和政策」と説明しています。ですが厳密には過去に日銀が実施した量的緩和と違います。かつての量的緩和は、市場の資金量を増やすことで企業などに資金が流れやすくする狙いでした。今回は、あくまで金利の低下が目的です。

 過去の量的緩和政策との違いは、資金量の増加ではなく、金利の低下が目的であるという点のようです。
 現在は円高基調にあるため、円キャリートレード(円を借りて、ドルに変えて運用する)のように、供給した資金が国外へ流れるような状況が少ないことから、国内で循環する可能性は高いとは言えます。
 とはいえ、金利を下げれば企業の設備投資や個人の住宅購入などが喚起されるという考えには疑問符がつきます。
 疑問点をまとめると大きくは以下の二つ。
・借り手がいない!
→ゼロ金利政策をとっても借り手が増えない状況(都市銀行6行(みずほ、三菱東京UFJ、三井住友、りそな、みずほコーポレート、埼玉りそな)の短期プライムレート(1年以内の貸付金利)は1.5〜1.8%程度)で、資金供給量を増やし、銀行金利を無理矢理下げさせたところで根本的な解決につながるとは考えにくい。そもそも金を借りても投資する先が無いというのが現状ではないのか?
・何故、このような政策を取るのか?
→今回の政策は政府・日銀が一体となって推し進めるとの事。無駄な事業を削減し、国家予算の縮減を目指した”仕分け”(行政刷新会議)を立ち上げながら、根本的な解決には繋がらないことに大量の資金を投入するという矛盾。政府の考えは、国民の意識とあまりにもずれていないか?
「るいネット」 [3]より引用

あくまで、消費意欲をどう作り出すかという点にこだわった狭い思考というべきであろう。また、財界では、不況脱出の手がかりとして、いまだに(60年代、70年代のような)新しい3種の神器たる電化製品探しに期待がかかっている。どうも、経済学の背景には、「だれにとっても消費がすべての活力源である」というような固定観念が存在しているらしい。
ところで今、閉塞の中で、多くの人が求めはじめ、「何か、みんなの役に立つ事はないか?」あるいは「答えがほしい」というような欠乏(需要といってもいい)が、消費意欲とは全くちがう(むしろそれが閉塞した)ところから立ち上がってきている。統合への欠乏というものだろう。

 この文章は、先の疑問に対する半答えを提示しているように思います。
 消費=活力源という固定観念に捉われ、国民が本当に持っている欠乏に気付くことすら出来ない。
 今の統合階級は、まさに無能の極みではないでしょうか?
『自分のことしか考えていないのが無能。みんなのことを考えて追求するのが有能』
(るいネット「社会における有能・無能とは」 [4]より引用)
「るいネット」 [3]より引用

国家・学者・財界は、「消費=活力源」の固定観念と自らの立場に捕らわれて現実の新しい需要が見えていない。一方、普通の人々は繰り返し発信される固定観念の主張にウンザリして、別の、役に立つあたらしい答えを期待して路上の「なんで屋」にもお金を払うようになってきている。
社会の基礎的な活力源が見えず、そして、そこに人々の意識があつまるなら「役に立つ答えを探す事=活力源」が、あたらしい社会の基礎構造となっていく事は必然である。

(なんで屋露店の風景)
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 国民みんなのことを考えて、今の日本をどう導いていくかという視点で政策を追求するのであれば、今必要なのは、「金」の供給ではなく、「答え」の供給なのではないでしょうか?
 次回は「答えの供給」とは何か?その中身に迫って見たいと思います。

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