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【需要発から供給発へ】3.活力再生需要に対しては、『供給者不足』

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【需要発から供給発へ】2.「役に立つ答えを探す事」が、社会活力の基礎構造 [2]に続く第3回です。
前回は、国家や学者,財界などが「消費=活力源」の固定観念と自らの立場に捕らわれて現実の「新しい需要」=「役に立つ答えを探す事」が社会活力の基礎構造になっているということが見えていない、ということを扱いました。
貧困を克服してしまった’70年以降は、いくら国家が国債を発行し資金を市場に大量投入したところで、物的市場は既に飽和限界をむかえており、需要<供給という供給過剰の構造から抜け出すことは、不可能な状況にあります。
そこで今回は、現実の社会を生きる人の視点に立って、物的需要に代わる「新しい需要=類的需要」「新しい活力源」となっていくということに目を向けて考えてみたいと思います。
「新しい需要」といっても、現状では市場の中でなかなかペイしなかったり、供給体制(人材育成)が整わない、制度的な制約がある等、新しい可能性として明確に顕在化されていないが故にまだまだ「潜在的な需要」に留まっている段階にあります。
しかし、これは供給側の体制が整いさえすれば、潜在的に眠っていた膨大な需要がいっきに顕在化され、新しい活力源へとつながっていく可能性を持っていることを示しています。
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以下、るいネットからの引用になります。
活力再生需要に対しては、『供給者不足』


リンク [3]

みんなに正確な状況を伝える役割を果たすべき、マスコミや官僚や学者=統合階級の認識では、民間には『3つの過剰』が存在していることになっています。
いわゆる『過剰設備・過剰債務・過剰雇用』=『供給過剰』です。
しかし改めて考えてみると、こうした状況認識に違和感を感じます。
確かに、不必要な設備や返すべき借金や生産性の上がらない人材を抱えた経済主体が存在していることは事実でしょう。
しかし、それらの多くはあくまでみんな期待からズレた、物的需要=旧い需要に過剰に投資した結果として発生した供給過剰であり、特に民間の経済主体であれば、それらは日々の市場淘汰圧力によって自然に合理化されていくはずのものだと思います。
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↑岐路に立つ百貨店 【全国百貨店売上】
また長期為替レートでみても、変動相場制に変わった71年以降、一環して円高基調となっており、それだけ日本の生産性が評価されつづけている、ということであって、先行きを悲観する必要など全くないと思います。
逆に、現実社会から隔離された空間に居座って、悲観ばかりしている彼ら統合階級こそ、もっとも合理化や淘汰に無縁な存在と化しており、彼らの作り出してきたものこそ、過剰=ムダそのもの なのではないでしょうか?
これでは、新しい現実を直視して、日本国内に膨大に潜在している、物的需要に代わる新しい需要=類的需要の萌芽に気づくことすら、難しいのでは、と思います。
>ポストカードに留まらず、心の潤いを求めた需要というのは着実に存在している。美容・健康志向やペット需要などもそう。さらに、なんで屋でも時々出会う、悩み相談も・・・。しかし、この時代閉塞の中で、これらは当然の需要でもあり、『心の潤い』からさらに『活力再生』を求める需要なのではないかと思う。みんな『活力』を欲しがってる。(77001浅田さん)
『活力再生の必要性』という視点をもとに、改めて社会を俯瞰してみると、浅田さんが指摘されたような需要は、ほかにも、老人介護の領域や、子育て支援の領域など、担い手が必要なものは沢山ありそうです。
また、集団、とりわけ家庭のなかでは、悩み相談も、お年寄の世話も、子育ても、当たり前のように無料で行われていたのが、もはや家庭内では処理しきれなくなり、集団の外に溢れ出てきています。
現実には、『供給過剰』ではなく『供給不足』である類的な需要領域が膨大にある、ということです。
こうした脱集団系の、未だ市場化されていない潜在需要に気づき、それらを担う真っ当な供給者に対して、国家紙幣によって積極的に支援していくことこそ、次代の社会統合者に期待される役割だと思います。

現状は活力再生需要に対して、圧倒的に『供給者不足』の状況にあるということ。
まずはこの認識転換がマスコミや官僚や学者=統合階級には、今最も必要なのではないでしょうか?
その上で、
①子育てや老人介護などが類的活動、活力再生事業であることの認識転換と
 これを実感できる仕組みづくり 
②これら類的活動や活力再生事業に対する新たな評価軸の設定とこれを構築、
 共認するの場の創出
③モノ化されることで生じる購買意欲を、モノ化されなくても純粋に共認需要として
 生じるようにする仕組みづくり
④税金や国債などの既存の「集金システム」と、補助金、助成金、貸付金、投資など
 の既存の「分配システム」を廃棄し、共認需要システムへと実際に転換させる方法
 (みんなの役に立つ活動には、積極的に国家紙幣での支援を行い供給者を育てていく)

などを具体的に考えていく必要があるように思います。
◆供給不足事例
待機児童3割増 [5]
公立保育所は、一つずつが社会保険庁のように出先の独立王国である [6]
◆高齢者による供給事例
京都市の高齢者育児支援活動 [7]
◆活力再生事業
るいネット [8]
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次回は、 「需要発から供給発へ」です。
お楽しみに!

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