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経済学って正しいの?13 『 政府紙幣を発行してもハイパーインフレは起こらない 』

『 経済学って正しいの?』と謳ったシリーズ 第13弾です。
 前回は政府紙幣の仕組みについて触れました。政府紙幣の発行というと、すぐに「ハイパーインフレ」を懸念する声が聞かれますが、前回検証した通り「デフレギャップ」が生じているうちはインフレが生じることは無いことが分かります。
 今回は、過去の政府紙幣の事例を検証しつつ、引き続き政府紙幣の可能性を探っていきたいと思います。
[1]
50銭政府紙幣(昭和23年3月10日〜昭和28年12月31日) 
 


◎政府紙幣を発行してもハイパーインフレは起こらない!② リンク [2]

日本経済再生政策提言フォーラム「カネがなければ刷りなさい」(リンク [3])より引用します。(※1998年5月の論文なので、古い内容が含まれます。)
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■明治新政府も「政府紙幣」で成功した
 そこで政府紙幣の発行に戻りますが、すでに日本ではこの一見、荒唐無稽とも見られる政策で国家財政と国民経済を救った例があります。それは明治維新のとき、新政府のいまで言えば大蔵次官のような立場にあった由利公正の献策で行われた「太政官札」(その後、「民部省札」)の発行です。由利は「五箇条御誓文」の下書きをしたことで有名ですが、明治政府きっての財政家でもありました。
 当時の日本は、三百年続いた徳川幕府が崩壊し、経済は先行きの不透明感で麻痺、萎縮し、江戸の町がすっかりさびれるなど、いまでいうデフレ・ギャップが生じていました。それを憂慮した由利は、太政官札という「政府紙幣」を発行することで、新政府の財政収入を確保し、戊辰戦役の戦費を賄い、近代化のための政府支出も積極的に行ったうえ、さらにはこの紙幣を民間にどんどん融資して経済活動を刺激しました。おかげで明治政府は文明開化とともに富国強兵にも成功することができたのです。
 しかも明治十年に西南戦争が起き、その戦費支出でインフレが発生するまでは、基本的に物価が安定していたことは注目に値します。デフレ・ギャップという「真の財源」がある間は、いくら紙幣を刷ってもインフレ的な物価上昇にはならないことの証左です。
 ちなみに、政府紙幣発行に反対する論者は、その理由として西南戦争後のインフレ処理のため、松方正義蔵相による苛烈なデフレ政策、いわゆる「松方デフレ」が必要だったではないかと指摘するのが常ですが、これはまったくの誤りです。当時の物価を調べていくと、松方が蔵相に就任する明治十四年以前、大隈重信蔵相時代に、すでにインフレはおさまっていたことがわかります。「松方デフレ」は不必要だったのです。


※大蔵卿松方正義は、国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制を導入をめざして、「緊縮財政」を実施しました。そして不換紙幣を回収・焼却処分にし、1882年に日本銀行条例を公布して日本銀行を設立します。一般には、西南戦争による戦費調達で生じたインフレーション解消のためとされていますが、上記のように既にインフレが収まっていたのだとしたら、
中央銀行設立したかっただけちゃうんかと…

ちなみに、松方正義は薩摩藩の出身で、三菱財閥の2代目総帥・岩崎弥之助とは姻戚関係にあります。三菱といえば 『ロックフェラー』 … 限りなく怪しいニオイがします。

■1930年代は緊縮財政によって大恐慌に
 ついでにケインズ経済学が確立するきっかけとなった、1930年代の大恐慌も振り返っておきます。
 アメリカは20年代の終わりに一種のバブル景気を迎えました。それが29年、ウォール街の株の大暴落をきっかけに、バブルがはじけたわけですが、ときのフーバー政権は、きびしい金融引締めと財政支出の緊縮をやって、不況を極めて激しいものにしてしまいました。
イギリスでも、初の労働党政権であったマクドナルド内閣が、緊縮財政に走り、いまの日本と同じく、景気が悪くなると財政収入が減るので一層財政を緊縮する、それが再び景気を冷却するという悪循環に陥りました。フランスも、政権はめまぐるしく交代しながらも、だいたいにおいて厳しい緊縮財政で、景気を冷し続け、ドイツも練達の財政家と自認していたブリューニング首相が、大戦の賠償金を支払う必要もあって、これまた極端に厳しい緊縮財政と金融引締めを長く続けたといった具合に、世界の主要な国家のほとんどがデフレ政策に猪突猛進していたのです。
 日本もいうまでもなく浜口雄幸内閣のもと井上準之助蔵相が財政緊縮と金融引締めを行いました。さらに井上財政では、一種の固定為替レートである金本位体制への復帰を断行します。ところが非常に円高なレートで復帰したため、日本の輸出は壊滅的な打撃を受けます。かくて昭和5年ころの日本の景気は、それこそ目も当てられない惨状を呈することになりました。
 このようにして「世界大不況」は起きたわけですから、これはまったくの「デフレ政策不況」、つまり国際的な政策不況であったということができます。


 こうして、日本全体がデフレ不況と社会不安に陥る中、浜口雄幸は東京駅第4ホームにおいて右翼青年佐郷屋留雄によって狙撃されます。かろうじて一命は取りとめるものの健康状態の悪化により、昭和6年4月14日に首相を辞職。犯人の佐郷屋は「浜口は社会を不安におとしめた。だからやった。何が悪い」と言いきったそうです。当時、農村では、困窮のあまり青田売りや、女子の身売りなどが深刻な社会問題となっていました。

■新規発行国債を日銀が直接引き受けし、大々的内需拡大政策により不況脱出
 日本が大恐慌から脱出できたのは、昭和6年末からの高橋是清蔵相と深井英五日銀総裁のコンビが行った、いわゆる「高橋財政」のおかげです。新規発行国債を日銀に直接引き受けさせ、それで得た資金で大々的に内需拡大政策を行ったのです(それは「政府紙幣」の発行と極めてよく似た政策と言えます)。同時に対外為替政策でも、金本位制をやめ、フロート制に変えたため、円安になり、輸出が伸びた。当時、日本からの輸出品は諸外国から差別的な扱いを受け、あちらこちらでボイコットの憂き目にあっていますが、それでも「高橋財政」は日本経済を回復させるに十分に効果的だったので
す。


「高橋財政」がどれほどの効果をもたらしたかデータを見て見ましょう。
昭和恐慌と高橋財政(リンク [4])より
【昭和恐慌時の実質経済成長率(%)】
      経済成長率
 昭和2年  3.4%
 昭和3年  6.5%
 昭和4年  0.5% 浜口雄幸内閣発足
 昭和5年  1.1%
 昭和6年  0.4% 高橋是清大蔵大臣就任
 昭和7年  4.4%
 昭和8年 11.4%
 昭和6年に高橋是清が大蔵大臣に就任したときに、まさにボトムを打っていた日本経済は、氏の積極的財政出動によってみるみるうちに経済を回復させ、わずか2年後には、2桁成長をみるに至っています。
 しかもこの間、物価の上昇率は、年3〜4%にとどまっている。見事なものです。工業生産高は2.3倍に拡大、銀行の不良債権処理もいっきに進みます。
 そしてこの間、日銀券の発行量は40%増えています。これは日銀が引き受けているので実質政府紙幣を大量に市場に流したのと同じですがハイパーインフレは起きていません。

■「国民経済予算」が、必要
  これまで政府紙幣の発行が非常に優れた政策であることを縷々述べてきましたが、一つだけ気をつけなくてはならないことがあります。それはデフレ・ギャップが解消し、インフレ・ギャップが生じかけているときに、なおも発行を続行して支出を増やし続けると、それはハイパー・インフレを引き起こし、国民経済を破壊するということです。
 ですからその「歯止め」のために、いまどのくらいのデフレ・ギャップ(またはインフレ・ギャップ)が発生しているかを計測し、どの程度の規模の内需拡大策をどのくらいの期間続けるとそれが解消されるかを見積もることを「国民経済予算」といいますが、それを作成する必要があります。これを管理する「国民経済省」あるいは「総需要管理庁」といった担当官庁を設立して、そこに政府紙幣の発行の権限も付与し、毎年、国民経済予算も議会の審議、承認を受けるようなシステムを構築して、それを現行の市場経済に加えれば、それは人知の及ぶかぎり最も望ましい経済システムといえるのです。
 これはノーベル経済学賞を受賞したオランダのティンバーゲン教授などが提唱したシステムで、かつて大来佐武郎氏が経済企画庁にいたころ、同教授を日本に招聘して、講演会などを開き、この「国民経済予算」の制度化について国民に理解を求めたことがありました。当時、中曾根康弘氏も、マスコミなどでそのような主旨の提言の観測気球を上げておられたのですが、結局、高度成長期だったこともあって実現には至りませんでした。いまから考えると残念な限りです。


国民経済予算をググッて見ると…

【国民経済予算(こくみんけいざいよさん)】
 経済全体に占める政府の経済活動の比重が高くなれば、政府の諸々の財政活動は経済の他の部門に大きな影響を与えるようになる。
 したがって,政府活動を政府予算の範囲内だけで捉えるのではなく、経済全体の関わりのなかで見る必要が生じる。このような意図で眺めたときの国民経済計算を国民経済予算という。

 「政府活動を政府予算の範囲内だけで捉えるのではなく、経済全体の関わりのなかで見る必要が生じる。」というくだりは至極まともで政府としては当然考慮すべき点であり、これ無しに予算をばら撒くのは、かなり乱暴な手法なのではないでしょうか。事業仕分けでパフォーマンスを行うより、こうしたことを検証して予算の執行を行ってほしいものです。
 『政府紙幣発行の可能性』というテーマは、『国の借金(700兆)をどうする?』(リンク [5])というのがそもそもの発端ですが、これまでの分析から、国債を政府紙幣に置き換えていくことでどうやら解決の目処が立ちそうです。
 
 しかし、その為にはいくつか条件があるのも事実です。 まずは①発行額がデフレギャップを超えないこと。これは要するにモノ余りの状態が続くということで、果たしてこれが正常な経済状況といえるのかが疑問が残る処です。次に②政府紙幣に置き換わり利子がつかなくなったマネーがどこへ向うのかということです。目先の利益を求めて別の金融商品に群がるというのでは新たな危険性が生じてきそうです。
 
 この辺り、これまでの経済学がやはりおかしいのなら、これからどのような方向に進むべきなのか、引き続き考えていきたいと思います。

 

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