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ドルに代わる通貨システムは?〜11.新しい通貨システムの必要条件は?

dollar.jpg本シリーズでは、ドルに代わる国際通貨システムがどのように変わっていくのか、最近の動きを追いかけながら記事を書いてきた。その間にも、ドバイ・ショック、民主党の中国への接近、ウォール街の金融機関たちの収益回復(ただし見かけ上)などの動きが起こった。しかし、中期的に見て米国=ドルの衰退は不可避である。
今後、世界がどのように動いていくのか?これは、金貸しや欧州奥の院の動き、米国の崩壊状況、中国バブルの動向、そして日本の出方次第で大きく変わる。しかし、より巨視的に見れば、現在進行中の経済危機は、300年間続いた金貸し支配の終焉、そして資本主義・市場社会が大きく変質していく始まりである。では、もう少し先の未来、通貨(お金)はどうなっていくのか?より根本的な部分からイメージを試みて、本シリーズの一旦の区切りとしたい。
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●通貨(お金)は存在し続けるのか?
という、大前提から考えてみたい。内田樹氏のブログに以下のような提起がある。

今年最後の最後の死のロード [1]より
経済活動ということを多くの人はGDPとか株価とかいう数量的なもので考量するが、実際の経済活動は商品経済には限定されない。
「モノの交換」があれば、それはすべて経済活動である。
私たちの時代において経済が停滞し始めているのは、「商品とその代価」という等価交換がもはや限界が来ているということである。
(中略)
だから、資本主義社会が「市民的成熟が経済活動への参与条件として必須」であるようなシステムに書き換えられてゆくのは人類史的には必然なのである。

『通貨』とは、まさに内田氏のいう等価交換のための代価だ(正確には、等価に見せかけた不等価交換=騙しが市場の本質であるが)。これが限界に来ているということは、代価たる通貨も存在意義を失っていくことはあり得るのだろうか?
かつて人類が顔の見える数十人までの単位集団で暮らしていた時代、通貨は無用だった。現在でも、家族や仲間との間には通貨を介さずに成り立っている行為は幾らでもある。これは、対面で互いに共認可能な集団規模(学説では150人や300人という説がある)の中に関係が包摂されているからだ。
しかし、現代社会は、対面で意思疎通が可能な規模をはるかに超えた規模になっている。かつ、この関係を全て断ち切って、小集団や単独国家で暮らすことはほぼ考えられない。仮に国家規模なら完全自立できたとしても、お金を無くそうとすれば国民の全行動を国家管理下に置くしかないだろう。
しかも、現在、お金は単なる資産や交換ツールだけではなく、人々の活力に繋がる「評価指標」という側面を持っている(参照新しい『場』は、古い評価指標の洗礼を受けて、はじめて顕在化する [2])。したがって、市場の縮小に伴ってお金の活躍の場も縮小するが、おそらく完全には無くならない。ゲゼルマネーのように、その性格が変質していくことは考えられる。
●各国別の通貨は必要か?
上記の通り、通貨の発行主体が国家や国家共同体だとしたら、経済状況の異なる国を同じ通貨を使用するわけにはいかない。このようなことを行えば、物価や人件費の違いによって、人やお金の激しい移動が起きてしまう。また、今後は金融資本による大規模な資金移動は規制によって縮小し、経済の縮小とグローバリズムへの反省・反動から、モノやサービスの貿易そのものも現在に比べれば縮小に向かっていくことが予想される。
従って、国家・地域ごとの通貨は残り続け、また単一の世界統一通貨も当面有り得ず、国ごとの通貨と国際決済通貨との併存状態が続くのではないかと予想する。

[3]

世界各国の通貨記号

●通貨の発行主体は?
現在は通貨は各国の中央銀行が主に発行している。が、これが金貸し支配の根源となっており、中央銀行は国家から独立した公的機関などではなく銀行業界の代弁者である。通貨発行権は社会経済主体である国家や国家共同体などの集団単位に属しているのが本来だろう。政府紙幣論への反論によく登場する通貨発行量のコントロールという問題は、その次の話だ。
では、基軸通貨(国際決済通貨)はどうか?基軸通貨をある一国の通貨が担うことの問題は、前々回の記事で書いた。新たな国際決済通貨は、どこの国家にも属さない機関が発行することが必要だろう。従って、国際決済通貨の存在が必要ならば、これを発行する超国家組織の存在が不可欠となる。最大の課題はここにありそうだ。
●新しい基準通貨(国際決済通貨)は兌換性か不換性か?
では改めて、新しい国際決済通貨は、どのような信用を元に発行されるのか?これまでの通貨は、兌換⇔不換を歴史的に繰返しており、現在、世界の大半は不換紙幣である。果たして新通貨は、兌換・不換どちらになるのか?そして、その決定要因はどのようなところにあるのだろうか?
注目したのは・・・前回投稿の

なぜ、FRBはここまで徹底的にゴールドの価格を抑える操作を行う必要があったのか?もちろん、不換紙幣となったドルの価値を維持するためであるが、それは逆を返せば、ゴールドがいまだに通貨としての普遍的価値を持っていること、不換紙幣はそれに代替し得るものではなかったことを、金貸したち自身が認識していたことを意味している。

つまり、ニクソンショック以降に不換紙幣となったドルの信用力は、金貸し達によって創造されたものである。そもそも、不換紙幣というのは単なる「紙」であり、その信用は、いつでも、どこでも決済可能という中央銀行の金融仲介機能によって成立している。そのシステムをみんなが(強制)共認することで成り立っているのである。
ここで改めて、兌換・不換紙幣の信用力を整理すると、兌換紙幣は、兌換対象となるモノ(金など)に対する信用を背景に発行されている。不換紙幣は、発行主体又は金融システムに対する信用力を背景に発行されている。

不換・兌換のメリット・デメリット
不換紙幣
<メリット>
・兌換はモノの量が経済(生活)の制限になる可能性がある。不換であれば、人に合わせて発行が可能なため、人に合った経済を組めそうである。
・不換紙幣は、共認原理によって信用されている。発行主体又はシステムに対する共認形成が上手くいけば、今後の可能性は不換の方がありそう。
<デメリット>
・不換紙幣は、発行主体によって管理されるため、管理側の支配度が圧倒的に高い。発行主体によっては、より金貸し支配が高まる可能性が高い。
兌換紙幣
<メリット>
・兌換対象には、絶対量があるから、発行主体の好き放題にならず、通貨は安定できるのではないか?
<デメリット>
・全てのモノやサービスが、兌換対象をモノサシとして決められることに違和感。
・兌換対象の高騰など投機の対象となりそうである。
・絶対量(モノ)によって経済(人)が制限されることへの違和感。
<その他>
兌換対象の可能性
・金・土地・石油・炭素・米・トリウム・水・マグネシウム・労働力

そのため、新通貨の発行主体が何処になるかが大きな分かれ目となるだろう。仮にアメリカのような信用力の低い国や組織が発行すれば、発行主体に信用力が無いため、兌換になる可能性が高い。一方で、ユーロ等の超国家や世界統一機関が発行すれば、発行主体に対する信用力が高いため(むしろ否定できない)不換紙幣になる可能性が高い。
新しい国際決済通貨のカギを握っているのは、やはり「発行権(発行主体)」がどのような組織に委ねられるのか?という点になりそうだ。今後も世界経済の動向を追跡しながら、いずれシリーズの続編を再開したい。

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