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経済学って正しいの?14「自我経済学から共認経済学へ」

「経済学って正しいの?」シリーズの14、最終編です。
このシリーズの最初の問題意識は「今回の経済危機で、世界的にも近代経済学への疑問の声が出始めている」ことから、そもそも『経済学って、本当に正しいの』 というものでした。
シリーズ1は「現状の経済システムに問題あり [1]」という投稿の紹介でした。
その後経済学のベースである「市場」の絶対視の問題、「GDP信仰」、「国の借金700兆」、「ハイパーインフレ」、の問題記事を紹介しながらアダムスミスを祖とする近代経済学の矛盾と限界を見てきました。
今日はその最終回「自我経済学から共認経済学へ」という記事を紹介します%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A8%BC%E5%88%B8%E4%BC%9A%E7%A4%BE.jpg
「1月8日、中国新聞社は中国が株価指数先物、空売り、株式信用取引の導入を原則承認したと伝えた。写真は広東省・深?市の深セン証券取引所 [2]前で昨年10月撮影(2010年 ロイター/Bobby Yip)」いよいよ中国も「国際金融賭博市場」への仲間入りとなるのでしょうか
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紹介記事は「自我経済学から共認経済学 [3]」からの引用です

どれだけ国債を発行して税金をつぎ込んでも、経済が好転しないことが示すように、従来の経済原理はもはや無効になった。
従来の経済学の基礎は、人は(無限に)物や金をほしがる、という原理に基づいてつくられている。この原理は、すべての人にとって私利私欲の追求が最大の価値であるという、さらに深い原理から導き出されている。
これまでの経済学は、私利私欲の追求を第一とする自我を人間の行動基準の原点において経済理論を組み立てているという意味で、自我経済学と呼べる。

税金をばらまけば消費が活性化し経済が活性化するという予測も、お金を水増しすればインフレが起こるという予測も、人々が私利私欲を追求し物や金をほしがるという前提があって初めて成立する。
しかし、豊かさが実現した現代日本は、もはや自我経済学の原理は成立しない。若い人たちを中心に、特に欲しい物はない、お金のためだけに働く気にはならない、特に出世したいと思わない、という人が既に多数派になっている。

人々が私利私欲の追求を第一とし、(無限に)物や金をほしがるという自我経済学の原理は崩壊した。
人々は自我の充足から、共認の充足(課題・役割・規範・評価を共に認め合う充足)に意識を転換している。従って、共認充足を人間の行動基準において経済理論を組み立てる共認経済学が必要となる。

共認経済学においては、お金や物は二義的存在であり、お金はあくまでも人間の活動を円滑に進めるための潤滑油の役割でしかなくなる。従って経済学の役割も、潤滑油がうまく行き渡るように制御することが目的であり、お金を増やすことやGDPの拡大は目標でも目的でもなくなる。
お金や物は二義的だから、お金の量が増えることが直接、物価の上昇につながらない。貨幣の価値は発行者の評価が安定している限りにおいて安定しており、貨幣の発行者の評価を損なわない範囲であれば、貨幣を発行しても何ら問題ない。

そしてお金は人間活動の潤滑剤であると考えるならば、むしろ潤滑剤として必要なだけ紙幣を発行するべきといえる。
また、お金や物は二義的だから、人間活動を活性化させるためには、従来のようにお金(税金)を金儲けや物的生産につぎ込んでも人間活動は(経済活動も含めて)活性化せず、共認充足が得られるような活動を促進する方向でお金(税金)を使うべきといえる

現代の日本を運営している政治家も官僚も学者もマスコミも、自我経済学の原理が崩壊したことを知らず、逆に規制緩和・民営化に示されるように、自我経済の手法をより強固に貫徹しようとしている。
このままでは、社会は悪くなりこそすれ良くなることは全く期待できない。
共認充足の時代においては、経済活動そのものが二義的な位置づけとなり、経済学の重要性は低下すると思われるが、過渡期の現在においては、自我経済学の原理に凝り固まってしまっている、人々の意識を解放するために、共認経済学の原理を明確にしていくことが重要であると思われる。

引用終わり
この記事で述べられているように、人々の欲望をひたすら刺激する「自我経済学」による財政運営の結果、既に人々の潜在的な意識としては、もう必要の無いものは要らないという意識に転換しているにも拘わらず、無理やり市場拡大を行い、国の借金は今や800兆円を超えようとしている。
○さらに’10年度には新規国債44兆、借換え債と財投債を加えると162兆円もの国債費が必要となる(’10年1/5日経新聞)、且つ国債残高の利払いは20兆円を越し保険医療費の25兆円に迫る。
○国債の引き受けは民間金融機関(銀行生保等)が約32%(少し古い資料だが)、地方債では約60%を占める。(リンク [4])(リンク [5]
ということはざっと毎年6〜7兆円が濡れ手に粟で金貸し階級に流れ、今後更に増える
○この800兆円の借金をどうする?
・税収と同じ規模の国債を発行せざるを得ない財政運営を今後も続ける限り、国家経済が破綻するのは子供にでも分る。
そして利を得るのは金貸し階級だけとなる
・江戸時代のように武力を背景にした強権発動で「徳政令」を出すわけには行かない以上、このシリーズで見てきたように、利子の付かない「政府紙幣」の発行に国債を切り替えていくしかどうみても方法は考えられない
○政府紙幣の発行可能性
1 これまでのような何が何でも景気対策(市場拡大)のために使うのでは、ますます財政を悪化させるだけとなる。使い道は「必要か否か」の大衆的検証を経て決められ、身の長けに合った予算規模とする。
例えば、新エネルギーの開発、活力再生事業(仲間作りや共同体化活動)、インフラ保全、農業支援等々。
2 当然、金貸し階級とそのお先棒を担ぐ経済学者・マスコミは猛烈な抵抗をすることになる。
おそらく有りとあらゆる手を使って。
しかし彼等には答えが無い以上、いずれこの方法に収束するしかなくなる
結局既存の経済学は「国債800兆円をどうする」の答えは出せない。
このシリーズ最後の記事にあるように、「自我経済学」のくびきから解放された人々による、全く新しい経済理論(と実践)の模索の中から答えは登場することになる

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