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『国家と市場の力関係の逆転』 1.ヨーロッパの特殊性〜国家を超えたキリスト教ネットワークの形成

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前回の12月29日・なんでや劇場で、中世から近世にかけてのヨーロッパの持続的な経済成長について、以下のような分析がなされました。
るいネット「12/29 なんでや劇場レポート②〜近代市場は近世欧州社会の特殊事情の中から生まれた〜」 [1]より

ルネッサンス運動の拠点となったベネチアの金融力の興隆は、十字軍以前にまで遡る。つまり、十字軍遠征の時代200年を通じて、ベネチアは持続的成長を続けたのだが、このような長期にわたる成長は、他の古代市場では起こり得なかったことである。この古代市場で実現しなかった市場の持続的拡大は何故、ベネチアをはじめとする近世欧州において起こったのだろうか?
その背景には、国家を超えた普遍宗教としてのキリスト教が教団としてのネットワークを形成していたことが大きい。もともとキリスト教自体に騙し的要素が内在されているが、この国家権力を超えた教会権力をうまく利用して(騙して)、教会ネットワークを金貸しネットワークへと変換させたことが、欧州商品市場が国家の枠組みを超えて特殊な長期にわたる繁栄を実現させた原動力である。しかも欧州はイスラムの富を略奪しただけではなく、欧州内での騙しあい、奪い合いも激化させ、欧州全域に「騙せば官軍」というムードが確立していき、多くの貴族や騎士に商人的(投機的)体質が形成されていった。

今日は第1回目として、国家を超えたキリスト教のネットワークがどのように始まったのか?商人・金貸しとどう関係があったのか?を調べてみました。
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上記画像は、キリスト教を国教化したテオドシウスローマ皇帝 こちら [2]からお借りしました。


●キリスト教がローマ帝国の国教となったのはなんで?
キリスト教のネットワークの形成は、ローマ帝国がキリスト教を国教としたことで一気に加速します。
ヨーロッパを武力により統一したローマ帝国は、313年キリスト教を認め、392年に国教とします。そして、キリスト教が国教となった3年後、ローマ帝国は分裂していきます。
ではなぜ?キリスト教を国教としたのでしょうか?国教とするには、それなりの理由があったはずです。
よく数々の宗教を廃して帝国を安定させるため!といわれますが、国教とした途端に帝国は分裂?
なぜでしょうか?
るいネット「キリスト教はローマ帝国解体の契機だった?」 [3]より。

ローマ帝国は広大な国土を一つにまとめあげるために、キリスト教を利用した。という見解が一般的だが、歴史的流れでは、統合ではなく、東西の分裂、西ローマ帝国の崩壊へ向う転機に位置している。
ローマ帝国は広大な領土を属州制によって支配したが、それは監督官として送り込まれた有力貴族が徴税の上前を撥ね、資力を蓄える土壌を形成していった。やがて監督地を領土化した貴族が更なる資力拡大のためフェニキア商人と結託し、キリスト教の伝播を促していったのだろう。(フェニキア人は古代から奴隷商人として繁栄した民族であり、もともと奴隷支配の道具としてキリスト教を利用していたのも彼らだったのではないか)
つまり、ローマ帝国のキリスト教国教化は、フェニキア商人の浸透と有力貴族の台頭という、統合の崩壊過程で認めざるを得なかった、帝国の存続手段に過ぎなかったのだと考えられる。

キリスト教国教化は、フェニキア商人と有力貴族の結託により実現したと考えられます。この裏にはフェニキア商人による騙しが透けて見えます。その後、キリスト教とフェニキア商人は、帝国・国家の分裂・統合の上位に、495年に始まるローマ教皇を頂点として広域なネットワークを形成し力を拡大していきます。
●キリスト教を利用して力を拡大したフェニキア商人
紀元前ポエニ戦争で滅んだフェニキア商人のカルタゴ。しかし、フェニキア商人は、ローマ帝国内で生き残り、キリスト教を使って力を拡大していきます。
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図:ローマ帝国に滅ぼされるまでのフェニキア人の勢力地図(新世界史資料より)
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図:キリスト教の発展(新世界史資料より)
濃いピンクが3世紀までにキリスト教化された地域〜フェニキアのカルタゴ等
薄いピンクが7世紀までにキリスト教化された地域
るいネット「上位国際金融資本家はフェニキア発」 [6]より。

ロスチャイルドやロックフェラーより上位にいる国際金融資本家は、古代のフェニキア商人の流れを汲んでおり、カルタゴ→ヴェネツィアと移動したという説もあるようです。
晴耕雨読さんの記事「有力国際金融家の源流」 [7]「近代システムの破壊について等」 [8]を要約しました↓
バビロニア(前18世紀、メソポタミア)が本格的な金融活動及び金融制度の源であり、フェニキア商人(前12世紀、地中海貿易独占)はバビロニアの商人・金融家の流れを汲んでいると思われる(これらはセム系国際商人と呼ばれる)。フェニキアが展開していた地中海沿岸の都市の1つがカルタゴ(シチリア島対岸にあるアフリカ大陸の都市)であり、フェニキア衰退→滅亡後も繁栄を続けた。
そのカルタゴも第三次ポエニ戦争(ポエニ戦争:前264〜146 ※ポエニは「フェニキア」の意味)でローマ帝国に滅亡させられたが、戦争を担ったのは傭兵部隊であり、当時権勢をふるっていたマゴ家を始めとする国際金融家達は、莫大な資産を伴ってイベリア半島に脱出していた。その後情勢が落ち着いてから、地中海全域で拠点を立て直していったと思われる。
戦争に負けたカルタゴ金融商人が、宗教(キリスト教)という手段でローマ帝国を乗っ取り解体していったという「陰謀史観」がある。彼らも表面的にはキリスト教徒だが、キリスト教自体が彼らの代理人によってローマ国教にまで高められた。
※フェニキア≒ユダヤ説:カルタゴ滅亡後に、イベリア半島を中心に地中海沿岸にユダヤ人都市が多数忽然と現れた。また、カルタゴの祭祀はユダヤ教に近いと言われている。
彼らの拠点都市国家の1つがヴェネチア共和国(697年成立)だと考えられている。
古代から中世にかけて、商人達は、キリスト教の普及をもとに力を拡大していきます。まずはキリスト教を普及させ、そのネットワークを使いそして「ヴェネチア共和国」の自らの自由国家を成立させます。

ヨーロッパの一番の特殊性は、国家の統合の上にキリスト教のネットワークを形成していったことです。
国家は武力の力関係で繁栄・衰退したとしても、各帝国・国家間をまたがるキリスト教ネットワーク・商業ネットワークは常に安泰です。
そしてこのネットワーク形成にもっとも力を入れていたのが、現在の金貸しの上位(欧州貴族)に繋がるフェニキア等の商人達だと思われます。
彼らは、このネットワークを利用して商業活動を拡大し力をつけていきます。
そして遂に、自由国家であるフェニキア系の地中海都市:ヴェネチア共和国を成立させ、その後中世では、封建領主と結託し各地に商業自由都市を作っていきます。まるで現在の金融グローバルネットワークを見ているようです。キリスト教が近代思想に変わっただけではないでしょうか。
次回は、ヨーロッパ全体を支配したキリスト教と、その騙しについて更に追求していきます。

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