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自主管理への招待【1】 〜工業生産から意識生産へ。時代は今、歴史的な生産力の転換を遂げようとしている〜

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共同体類グループ [2]の会議風景。社員全員参加の場で経営方針が決定される。

今回から新シリーズとして、「自主管理への招待」 [3]を7回にわたってお届けします 🙂
 
「自主管理への招待」は、’72年に共同体企業:類設計室を設立するにあたり「自主管理綱領」として執筆され、その後’79年に類グループ [4]の募集パンフレットとして書き改められたものです
 
’70年当時、貧困を克服した日本をはじめとする先進国は、物的な豊かさを求める活力が衰弱しはじめ、市場拡大停止という今までにない状況におかれていました。しかし、国家はその後も国債大量発行による公共投資を続けることによって、むりやり経済成長を演出し、そのツケが、’90年バブル崩壊、’00年世界同時不況、そして’08年からの金融危機を引き起こすことになったのです
 
社会構造の変化を鋭敏に捉えて書かれた「自主管理への招待」は、40年後の今になってもその認識が少しも古くなっていないどころか、混迷した現在に、これからどのような社会を作れば良いのかを考える上での必要な事実認識を与えてくれます
是非、じっくりと読んでください
 
 
応援よろしくお願いします


いつもありがとうございます
るいネット [5]から転載します

自主管理への招待【1】
定年まで三〇年間、「花形」であり続けた産業があっただろうか?
その時々の世間の風潮に流されて、一生の職業を選択してしまう若者が増えてきている。だが三〇年前の石炭、二〇年前の繊維、一〇年前の鉄鋼、これらその時々の花形産業は、工業生産の発展の過程で次々と凋落し、その度に〈自前の認識〉を持たなかった者は苦汁を飲まされてきた。まして今、諸産業を次々と興亡させながら凄じい勢いで発展してきた工業生産は、遂に物の(消費の)飽和限界に行き着き、すべての進路を塞がれようとしている。これは史上、人類が経験したことのない事態である。このような大転換の時代に、あいも変わらず目先の「花形」や「安定」をもてはやす世間の評価ほど、当てにならないものはないだろう。

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工場写真:60年代には、製鉄・鉄鋼があこがれの花形産業だった

それどころか今、経済は、あり余る工業製品の山に埋もれたまま、立ち上がる気配もない。すでに数多くの企業が潰れ、残る会社にも人員整理が頻発している。しかもこれまで数世紀にわたって、良くも悪くも社会をリードしてきた経済界の指導者たちは、今では展望を喪い、何の指針も出せないでいる。しかし他方では、物を超えた、いわば〈意識〉を売る教育産業や情報産業あるいはサービス産業が、この不況の中でも着実に生産を伸ばしてきている。

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産業別就業人口の推移:第2次産業は’70年から減少に転じた

よく見れば、これは過去のいかなる不況期にもなかった、まったく新たな状況である。これまで社会の生産の主力部を構成してきた工業が衰退の度を強め、代わって<意識生産>が社会の生産の主力に成りつつある。すでに第三次産業人口は、全労働者の過半数を超えた。時代は今、工業生産から意識生産への歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。生産力という社会の基底部の転換が、社会全体の根底的な変革と激動を伴うのは当然であろう。しかもこの激動の時に、従来の社会のリーダーは無力状態に陥り、それにとって代るべき新たな生産のリーダーは、未だ力を持つまでには成長していない。状況は、さらに混迷の度を増してゆくだろう。私たちは今、指導者不在の社会の中に置かれているのである。

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意識生産:教育や企画・設計は、物を超えた<意識>が売りもの

私たちは、このような時代の到来を、むしろ歓迎している。今ほど社会が自らの停滞を打ち破る、革命的な活力を求めている時はないからである。このような時代には、大樹の下に身を寄せる「お抱え」型の安定など、一時の気休めにしかならない。むしろ、どのような状況にも対処してゆける強靱な思想と能力を獲得してゆくことこそ、本当の安定への道ではないだろうか? たしかに状況は混沌として、頼るべき思想も今はない。しかし歴史を振り返れば、頼るべき全ての指標が失われた混沌の状況こそ、常に真の創造の土壌であった。そして時代が変る時、常にまず新しい思想が登場してきた。かつそれは、常に既成の思想の批判的超克として現れてきた。そこで私たちも、まず近代の思想から問い直してゆこう。(※本稿では、近代とは現代を含む、工業生産の時代を指す。)

次回以降、以下の内容を予定しています
自主管理への招待(2) 社会は、生産力の転換によってしか根底的な変革を遂げることはできない
自主管理への招待(3) 生産から離脱させ、消費へと逃避させるだけの近代思想
自主管理への招待(4) 「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換
自主管理への招待(5) 否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ
自主管理への招待(6) 実現思考とは何か
自主管理への招待(7) 労働の解放のために:自主管理の原則
「自主管理への招待」シリーズは、毎週火曜日にアップ予定です お楽しみに

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