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『国家と市場の力関係の逆転』 3 十字軍遠征〜騙せば官軍

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前回『国家と市場の力関係の逆転』2王権を上回る力を持ったキリスト教教会、背後に金貸し登場 [1]では、皇帝と教皇の力関係の変化とその裏で動いていた商人・金貸しの動きを追ってみました。
11C半ばまでキリスト教・教皇は皇帝ににより指名されていましたが(皇帝>教皇)、その後の聖職叙任権闘争〜カノッサの屈辱(1077年)を契機に、教皇は教会の選挙により選出されることになりました(皇帝と教皇は対等)。この時、裏で教皇派として動いて教皇の地位を高めたのが、ベニス・フェニキア人のヴェルフ(ゲルフ)家です。

この聖職者任命の叙任権を王から奪取することでローマ教皇は、それまでバラバラだった各地の教会を、ローマ教皇を頂点とする統一組織に再編成することが可能になり、王権から独立してヨーロッパ全体にネットワークを張り巡らした。

この流れの中で、十字軍遠征が始まります。今日は、十字軍遠征と商人・金貸しとの関係について調べてみました。
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上記画像は、こちらからお借りしました。リンク [2] 、リンク [3]


●十字軍遠征が始まったのは何で?その目的は?

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以下。るいネット「欧州貴族の源流1 十字軍遠征」 [4]より。

◆十字軍遠征
地中海を囲むパレスチナは、神聖ローマ帝国を中心とする西ヨーロッパ、そして東ヨーロッパの東ローマ(ビザンツ)帝国、およびイスラムの三大文化圏がひしめく接点であった。この中で8世紀以降、窮地に立たされたのが東ローマ帝国であった。東からは新興のイスラム勢力(セルジューク・トルコ)によって脅かされ、一方11世紀になると、農業生産力を基盤に、西ヨーロッパが力を蓄えて膨張してきたからである。しかも1054年以降は、「正統と異端」をめぐって東西のキリスト教教会が分裂(東ローマ帝国にギリシア正教が成立)し、西ヨーロッパとの不和は深まっていた。
このような情勢の中、東ローマ帝国の復興を目論んだ皇帝が、ローマ教皇に支援を要請する。
東ローマ帝国皇帝は、パレスチナにおけるセルジューク・トルコ(イスラム教徒)によるキリスト教徒迫害を、大々的に誇張してローマ教皇に報告し、“異教徒制圧”のための援軍を要請したのである。教会の再合同=西ヨーロッパとの和解がその交換条件であった。
それを受けて、東方のキリスト教に対する優位を確立し、自らの勢力を拡大しようという野望を持つローマ教皇が、東ローマ帝国の支援要請を受けイェルサレム奪還を呼び掛け、十字軍を組織したのである。
すなわち十字軍は、東西ヨーロッパ指導者の政治的野心による合作であった。キリスト教徒による「正義の戦い」という大義名分は、「政治的野心」を正当化するための方便として用いられたのである。
そして「十字軍遠征」の呼びかけに、西ヨーロッパの諸侯や騎士が応じる。当時の諸侯や騎士たちは、封建制の完成によりヨーロッパでは新たな領地獲得が困難になっていたため、ヨーロッパ外部で領地や戦利品を獲得する必要があったからだ。そこに、十字軍遠征を利用しての商圏拡大を狙う商人が加わり、1096年十字軍遠征は実行に移されることとなった。

十字軍遠征:イェルサレム奪還のためのキリスト教徒による「正義の戦い」。
これは、教皇・皇帝・諸侯・騎士団、商人・金貸しによる政治的野心の正当化、領地拡大、商圏拡大のための方便「大義名分」でしかありません。まさに騙しで始まったのです。
●ヴェネチアによる第4回十字軍〜コンスタンティノープル攻撃
そしてイェルサレムを中心とするイスラム圏から富を掠奪するに留まらず、ヴェネチアが中心となって組織された第4回十字軍では、彼らの優勢な海軍力を生かして、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のコンスタンティノーブルまで占領します。占領後、新たにラテン帝国という国まで作ります。
ヴェネツィア十字軍側は当時の慣習に従って、3日間の略奪を行い、ハギア・ソフィア大聖堂に立てこもった市民や聖職者たちを殺戮し、総主教の座も犯します。
これ以降、十字軍はローマ教皇の制御から離れ、参加した王侯の利害に左右されることが一層強くなっていきます。 ヨーロッパ全体が騙し・掠奪へと向かい「騙せば官軍」の世界が加速していきます。

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●十字軍遠征により商人化・金貸化していく諸侯・騎士団
以下、るいネット「裏の支配勢力史1 ヴェネチア〜十字軍・騎士団〜スイス都市国家」 [6]より。

聖地の守護、巡礼者の保護を目的に結成された騎士団は、どんどん入団者を増やし、ヨーロッパと聖地イェルサレムをつなぐ「巡礼領域」において、一大勢力に発展して行く。中でも、地中海の制海権を独占し、独自の船舶を保有していたテンプル騎士団は、中東へ兵員を輸送するばかりか、巡礼者も金を取って輸送、その帰途には香料やシルクなどの中東の物産を積載してヨーロッパで売りさばくことで、莫大な富を得た。また、この財を元手に手形取引や銀行業務など金融にも手を出して行く。
・テンプル騎士団の勢力拡大を見たフランス王が、1307年財産と金融システムを手中に収めるべく弾圧を強行する。騎士団の一部は弾圧を予測し、船団に移しておいた富で交易を続け、海賊行為にも手を染める。そして交易ルート確保のため、港々に「ロッジ」(集会所・支部)を構築していく(→フリーメーソンへ)。ロッジでは保険業務も行われており、今日の金融・保険業の源流となる。

十字軍は始めからヴェネチア商人等が裏で動いていましたが、200年以上に亘る遠征により、富の大半を領有する貴族や騎士の大半が、交易に関わり、商人(投機)貴族化していきます。これが現在の金貸しの上位に位置する欧州の金主へと繋がっていきます。
また、第4回十字軍の遠征以降、イタリア商人は東地中海や黒海の主導権を奪い取り、ヴェネチア、ジェノヴァ等の国家が力を付け、商人・金貸しに都合の良い法制・芸術・思想を生み出して行きます。
●十字軍遠征とは?何だったのか?
・ヨーロッパ全体に「騙せば官軍」の意識が広がった。
・諸侯・騎士団を、商人(投機)貴族化していった。
・200年に及ぶ掠奪による持続的市場拡大により、富が蓄積された。

*次回は、十字軍の掠奪品を原資として始まるルネッサンスについて追求して行きます。
年表・地図出典:ユニバーサル 新世界地図

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