前回 [1]は、社会的共通資本の根幹に迫ったところで、今回は引き続き、宇沢弘文教授の「社会的共通資本の理論」を、小島寛之氏「環境と経済と幸福の関係」 [2]を基礎にして、各論に入って勉強していきたいと思います。
社会的共通資本とは、自然環境や社会インフラ、それに教育制度・医療制度のような社会制度を合わせたようなものである。
その中で都市とは、社会インフラの根幹を成す重要な領域になりますが、都市設計において設計者が誤りがちな点を、小島寛之氏は下記のように指摘されています。
都市設計者が陥りがちな誤りは、安易な「機能優先の合理主義」で都市を設計してしまう、ということだ。
↑在りし日の「プルーイット・アイゴー」 ウィキペディア [3]より引用
では、何故、機能優先に走ってしまうのでしょうか?具体的には何が誤りだったのでしょうか?
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市場原理の社会では、個々人が自らの私権を最大限確保するために、またはその実現可能性を与える場として市場が拡大し、生産効率を飛躍的に上昇させる必要性に駆られます。
都市設計における考え方も、大元にある人々の「私権欠乏」を土台にして、機能性や経済合理性を最大限高めるための工夫がなされ、「ゾーニング」と呼ばれる発想のもとオフィス・工業・商業・住居地帯という形で人間の活動の場が、徹底的に機能別に分解されていきました。
その最たる事例が、「ゾーニング」という手法で実現された都市計画
・プルーイット・アイゴー [4]
・チャンディガール [5]
・プラジリア [6]
であり、それらの都市は暮らしづらく、人々を憂鬱にし、犯罪の多発する危険な都市になってしまったのです。
※プルーイット・アイゴーは、その犯罪率の高さが社会問題化し、爆破解体されるに至る
これらの事例からは、その国家が持つ社会制度や階級制度などの国家政策によるところも有り、必ずしも都市計画それのみに原因を求められるものではありません。しかし、市場主義に基づく徹底的な機能分化によって、逆に徹底的に排除されてきたものがあります。
それは、人々の活動から刺激を受ける場であり、日常的な会話(井戸端会議的な)ができる場であり、コミュニティの場です。
その背後には、人同士の語らいやそこで得られる安心感を母体にした「共認充足」が存在します。
よって、今後の都市設計を考えるにあたっては、まず「コミュニティの場=共認充足を感じることのできる場作り」が、社会的共通資本として扱われるべきだと思います。そして、そこに参加する皆が、共認充足を高めることを目的にする規範やルール作りを主体的に担い、後世に残せるように知恵を持ち寄って維持管理することがまた、共認充足を体感できる場にも繋がるのだと思います。
ちなみに、アメリカの都市学者ジェーン・ジェイコブス [7]が魅力的な都市の備える4条件という形で、新たな切り口を提示しています。
第一 街路の幅が狭く、曲がっていて、一つ一つのブロックの長さが短いこと
第二 古い建物と新たらしい建物が混在すること
第三 各区域は、二つ以上の機能を果たすこと
第四 人口密度ができるだけ高いこと
これらの街からも想像するに、人々との語らいや共認充足を得られる仕掛け作りが見て取れます。