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『国家と市場の力関係の逆転』7 近代市場:西欧発、市場が国家を超え世界を覆い尽くしていく

ドバイのバブル崩壊やアイスランドの破綻、ギリシャのソブリンリスクなど、国家はグローバル化された市場を通じて、簡単に破綻してしまう状況が現れている。それは今にはじまったことではなく、1990年代のアジア通貨危機や日本のバブルを崩壊させたBIS規制、さらに古くは幕府を崩壊させた幕末の通貨戦争など、市場を通じた国家への揺さぶりは数多い。
市場による国家への操作。それは貨幣経済化→市場化が広がりネットワーク化されることで、国家の規制を離脱したところで独自の金融システムを形成することにより可能になった。
今回は、その始まりと経過について調べてみました。


主な構造は、

市場ネットワークの形成
(教会ネットワークと離散ユダヤのネットワークから形成)

金融技術を発達させ、資力が国家の枠を超えて移動可能に
(市場制度とルールを設計)

・外部から国家間・勢力間の対立を煽り、双方に金を貸す(戦争が頻発する近代へ)
・近代思想で洗脳→自由に制度設計

操作・従属されられる国家 (=金貸し支配)

■1.教会の集金網から始まった市場ネットワーク
中世ヨーロッパで国家を超えた権威を持ち、国家を超えたネットワークを形成していたキリスト教教会。そのお布施は、最終的には教皇のお膝元のローマに集められた。そこに目をつけたのがメディチ家などの銀行家だった。
フィレンチェに設立されたメディチ家の銀行のなかでも、教皇のお膝元にあるローマ支店の役割は重要だった。メディチ家は財務代理人として、さらに戦費を調達する銀行として、きわめて重要な取引関係をローマ教会と築いていた。メディチ銀行の大半の利益はローマから上がっていたといわれています。
●ローマ教会の集金力 リンク [1] より

他の国家が税金を、自国民から、しかもしばしば大変な苦労をして集めたのに対し、ローマはヨーロッパのいたるところから金を引き寄せた。
(中略)
お布施はイタリアの銀行のヨーロッパ各地の支店に集められ、ローマには手形で支払われる。ローマ教会は銀行を通さないで集金することはあまりにもリスクがありすぎるので双方の関係は密だった。
だから銀行家でローマに店を持たない銀行は無かった。ちなみにローマの聖職者達は銀行にお金を預けたが、利子は・・・請求したのであった(正確には銀行側が “贈り物” という形で利子をつけた。
メディチ・マネー〈ティム・パーク著〉参照)。

>「1410年にはローマ教皇庁会計院の財務管理者となり教皇庁の金融業務で優位な立場を得て、莫大な収益を手にすることに成功した。」(Wikipedia メディチ家 より)
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(メディチ家の支店網 「早分かり世界史」より 北イタリアと英・オランダを含むフランドルに注目)
このように教会ネットワークに乗っかる形で、メディチ家などの銀行家は国家を超えて市場ネットワークを形成していきます。同時に北イタリアで資本家が支配する小国家群が勃興していくが、その後彼らは交易の舞台が地中海から大西洋に移るにつれ、そのネットワークを利用してオランダ次いでイギリスへと移動していく。
■2.迫害から逃れるための金融技術
キリスト教教会のネットワークに乗っかる形でネットワークを築いたメディチ家などの銀行家、それとは全く別に金融技術とネットワークを築いた人々がいる。中世から迫害され続けたユダヤ人です。
日本人の知らない恐るべき真実より [3]

・・・・ところが、それまで利子は罪悪だっただけに、金融の技術はほとんどの人々にとって未知のものでした。その技術を持っていたのは、ユダヤ人だけだったのです。
 中世には、弾圧を受けたユダヤ人の移住が何回も起こりました。ユダヤ人の金融家は、この離散状態を生かし、貿易決済業にたずさわるようになり、為替技術を発達させます。また、貿易商人から毎月積立金を徴収し、船が海賊や遭難の被害にあったときの損失を肩代わりする保険業や、事業のリスクを多人数で分散する株式や債券の考え方も生み出します。
 また、中世にはユダヤ人だと分かっただけで財産を没収されることもあったので、ユダヤ人にとって自らの名前を書かねばならない記名型の証券は安全ではありませんでした。そのためユダヤ人の金融業者たちは、無記名の証券である銀行券を発行・流通させる銀行をヨーロッパ各地で運営していました。この技術は、やがてヨーロッパ諸国が中央銀行をつくり、紙幣を発行する際に用いられます。
 このように、現在の金融業は、ユダヤ人の迫害から生まれてきたともいえる技術なのです。ユダヤ人は自らの構築した金融システムのノウハウを積極的に提供してきました。それが、産業革命という時代の波にのり、資本主義を世界に広めていくことにつながります。産業振興や、市場獲得のための侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、ヨーロッパの各国の王室にとって「なくてはならない存在」となり、国家財政や金融政策を担うようになりました。

このような金融技術を持ったユダヤ人を各国王は重宝したが、お金も財政も握られているわけで、宗教的な理由から迫害して追い出してしまうことも相次いだ。
絶対王政の時代、当時覇権を握っていたスペイン・ポルトガルからのユダヤ人の追放です。
■3.金貸しが支配する国家の成立:〜オランダ・イギリスが金融システムを整備〜
スペイン・ポルトガルから追い出されたユダヤ人が向かったのが、オランダ、次いでイギリスです。その地は、古くから教会と結託してネットワークを形成していた金貸し(教皇派・ゲルフ派)たちの大きな拠点でもありました。彼らは、金融技術と独自のネットワークを持つユダヤを組み込み、金貸しにとって都合の良い政体を模索していく。
その成果が1642年の清教徒革命と1688年の名誉革命です。それまでのイギリス国王を追放し彼らの支持するドイツ貴族オラニエ家のウィリアム3世送り込んだ。そして、名誉革命後の1694年にはイングランド銀行が成立する。
・国家に金を貸すシステム:中央銀行+国債発行
・資金を集めて資本化するシステム(投機市場と植民地経営を組み合わせたシステム):
 →東インド会社(株式会社の始まり)
・植民地からの略奪が一服すると、次に植民地への輸出で儲ける為の産業革命へ。
■4.大衆も市場に組み込まれた近代国家の成立 
産業革命の開発により、幅広く大衆を巻き込み市場拡大に邁進する可能性が開けます。金貸しは、その可能性が開けたことによって、大衆を扇動して邪魔になった権力者(絶対主義王家)の抹殺に入ります。
それまで強大な力を握っていたフランスのブルボン王朝は革命によってあっけなく倒され、フランスは近代思想が導く近代国家へと変わります。フランスだけではなく、アメリカ独立や明治維新も同系の近代思想が導いた革命と言えるでしょう。
自由・平等・博愛・・・この思想の目的は今や明らかです。大衆を旧来の身分制から解き放ち、都市=市場に導くための自由だったのです。
かつ金貸し・市場にとっては、どこにでも参入できるように、市場システムを移植していく必要もありました、その際も自由は便利な概念です(規制撤廃→自由市場・楽市楽座)。

このようにしてオランダ・イギリス→フランス・アメリカ次いで日本、というように幅広く大衆まで市場に組み込まれた近代国家が世界中で成立していきます。(その他の発展途上国は市場による最末端の収奪対象だった。)
・・・・・こう市場社会が蔓延すると、もう頭のてっぺんからつま先まで、近代思想と市場にどっぷり漬かって生きているので金貸し支配の構造がほとんど見えなくなり、彼らの意図したとおりに学校で“作られた”歴史や社会を学んで、その認識の範囲内で日常を生きている私達です。
しかし、近代国家の行き詰まり(膨大な借金がその象徴)と金融市場の崩壊を迎え、金貸しが作ってきた近代システムは限界を迎えている。今や近代数百年の総括と次代を見通した新たなシステムが求められているのだと思います。

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●図解メモ
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