- 金貸しは、国家を相手に金を貸す - http://www.kanekashi.com/blog -

新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)

経済を追求するブログで、今なぜ『新しい潮流』シリーズを扱うの と疑問に思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか 「意識潮流」と「経済」一見遠い関係のようですが、実は切っても切れない関係だったのです
経済の基底部には、人々の意識があるにも関わらず、経済系ブログで意識潮流が扱われる事はほとんどありませんでした。しかし、今後の経済活動をどう導いていくのか は、(潜在思念が作り出す)現実の中に、その方向性が示されています。換言すれば、目先の枝葉の現象に目を奪われないで人々の意識を押さえる事が出来れば、可能性をキャッチする事が出来るのです!!ということで、今回は、貧困の圧力が高かった’50年代〜’60年代、貧困が消滅した ’70年代以降の意識潮流を掘り下げていこうと思います。
続きを読む前にポチっとよろしくお願いします


【写真銭ゲバ】
%E9%8A%AD%E3%82%B2%E3%83%90%EF%BC%93.gif
【新しい潮流1前半】 『新しい潮流1 社会捨象→不全捨象の充足基調(’70・’80年代)』 [1]より引用 

***************************************
これまで私権闘争やその私権圧力は、永い間人々の本源的な社会収束を封印してきた。とりわけ、その私権闘争(やその奥の私権欠乏や自我欠乏)を正当化した「お金だけ」「自分だけ」etcの私権観念は、もともと強く社会捨象を付帯させている。
それでも、’50年’60年代は、外向欠乏や私権規範解体の流れやそれらを導く社会思想によって、多くの人が(表層的に)社会収束した。
******************************************


【図解:私権時代(’70年まで)の意識潮流】
zennhan.jpg

******************************************
しかし、’70年、貧困の消滅→思想の無用化→運動の敗北・衰退によって、流れが一転する。
私権が衰弱過程に入ったにも拘らず、(思想と運動の敗北・消滅によって)逆に私権観念による社会捨象・思想捨象が強まり、外向欠乏さえ衰弱していった。
そして、私権圧力の衰弱と、残存する私権観念による社会捨象・思想捨象→衰弱する外向欠乏によって、不全捨象の充足基調⇒本源収束の潮流が形成される。これが、’70年代・’80年代である。
注:この時代は社会捨象・思想捨象によって社会不全も捨象されるので、衰弱してもなお私権不全(私権の強制圧力によって抑圧された共認充足の不全)>社会不全である。
******************************************


【図解:’70年代以降の意識潮流】
kouhan.jpg
【サークル写真】
%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AB%E6%B4%BB%E5%8B%95.jpg
貧困の圧力が強かった’50・60年代は、私権獲得の為に、(表層的にでも)社会収束していて、それが、要求運動・労働運動と云う形として表れていただけで、みんなで生きる場=社会のことを考えて行動していた訳ではなかったんですね〜。
それが、’70年以降、残存する私権観念(自分第一)と、思想の無用化を受けて社会の事を全く考えなくなり、さらに社会のことのみならず社会不全もろとも捨象してしまった事で初めて、(周りにいるみんなと充足を求める)本源収束へ繋がる充足基調が生まれてきた事がわかりました。災い転じて何とやらって感じですね。一見自分の事しか考えてこなかったような時代でも本源収束に繋がっていたんだ!!ってことが発見でした。
次回潮流2以降、’70年代に芽生えた本源収束の潮流が、90年のバブル崩壊を受けて本格化していく流れを扱います。お楽しみに☆

[2] [3] [4]