- 金貸しは、国家を相手に金を貸す - http://www.kanekashi.com/blog -

新しい潮流6 解脱仲間から認識仲間への逆転

前回「新しい潮流5実現派は仲間収束から社会収束へ」 [1]では、
仲間世界を健全に生きる実現派は、新しい答えさえ与えられれば、すぐにそれを吸収し、可能性収束=社会収束に向かうであろうことを扱いました。
そして、現在既に友人関係は単なる解脱仲間を越えて、日常会話でマジ話をする認識仲間に転換しつつありますが、今回は、これまでの社会収束の流れについて、単に人収束だったものが、どの様に認識仲間へ脱却し、可能性収束していくのか、その様を扱います。
%E7%8C%BF%EF%BC%93.jpg
このままでいいんだろうか・・・・
応援よろしくお願いします

社会収束(外向収束)は、人類史的に全く新しい潜在欠乏であり、その答え欠乏は深く潜在している。
かつて、それは掠奪闘争→私権闘争として顕現したが、それが衰退して封鎖されつつある今、人々の潜在思念は、まずは分かり易い「人」とのつながりや「人(意識)」探索に向かい、同時に、多種多様な事実認識に向かっている。
今生起しているのは、闘争ではなく、つながり=共認を母胎とした社会収束。つまり、人を媒介にした意識の探索と共認と伝播。今、それは潜在思念の共鳴とごく簡単な言葉の共認に留まっている。
その潜在思念が求めているのは、パラダイム転換の認識や状況認識、つまり現実や状況や時代の捉え方。それを明確化した構造認識は共認され、自分の認識に転化する。その先は共鳴や応援よりも、応用や実現に向かう。
確かに、現代は言葉が力を失った時代である。だからこそ、人々は言葉以前に何よりもまず人へ・つながりへと向かっているのであろう。しかし、それは云わば原猿と同じで、答えが見付からないので、人に収束しているだけである。実際、現在のつながり・広がりには、成すべき課題がなく(あるいは誤ったチンケな課題しかなく)、無為徒集に近い状態にある。
%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A.jpg
これを突破するのが新パラダイムに基づく新しい認識であり、新しい認識こそが、従来の親和や解脱に代って人と人とを繋ぐ真の紐帯となる。
また、答え(可能性を指し示す構造認識)を与えられて初めて答え欠乏が顕在化し、新しい認識の追及という課題が姿を現す。答えが同類圧力を生み出すのである。そして、答えが与えられて初めて無為徒集のつながりから、認識の追及という課題を結集軸としたネットワークへと脱皮する。
つまり、今求められているのは、解脱仲間から認識仲間への転換である。(注:解脱仲間とは、古い私権時代の仲間様式であるに過ぎない。活力源が既に私権圧力から同類圧力へと転換した今、求められているのは、本源収束・外向収束を体現した認識仲間である。)それは、ただの人収束=つながり・広がりが、真の社会収束へと脱皮する過程でもある。

%E5%9B%B3%E8%A7%A3.gif [2]
図  解
最近は、社会人の間での朝会や、女子会の流行など、明らかに従来の親和や解脱を超えて、新しい認識や、役割の模索が始まっています。
つまり、これまで人収束に留まっていた人たちも、私権原理が完全に崩壊し、社会のガタガタ状態がますます顕在化するにつれ、仲間内の馬鹿話ではまったく充足できなくなり、マジ話を中心とした認識仲間へと転換しつつあるわけですが、今後は、そんな人たちの為に、チンケな課題を越える為に、構造認識とより本格的な社会課題が必要になりそうですね。

[3] [4] [5]