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国家と市場の成立→崩壊構造に迫る(1)〜私権時代の統合様式(力の序列共認)〜

 ’08年リーマン・ショックを契機にギリシャ破綻 やドル暴落 の危惧が叫ばれるなど、金融危機・経済危機への不安感が高まっているのは間違いありません。これは金貸しが築き上げた社会システム(国家・市場)が破綻寸前であることを意味しています。
 
 上記事象が社会不安・秩序崩壊の不安を呼び、今の社会システムはどのようにして出来たの?今後どうして行けばよいの?といった社会統合課題に人々の目を向けさせています。
 
 本シリーズでは、次代の社会システムをどのように構築してゆけばよいかということを考えるために、「るいネット」の超国家・超市場論7〜14を引用しながら、私権時代の国家・市場の成立→崩壊構造を抑えてゆきたいと思います。
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 超国家・超市場論7 [1]に入ってゆく前に、どうやって私権時代(同類闘争の社会)が始まったかを押えておきたいと思います。
 
■私権時代の幕開け
  
 人類は自然外圧に対処するため、五〇〇万年に亙って本源集団として暮らしてきた。本源集団ではみなが生き抜くための集団規範(共認)が絶対であり、個人の自我は共人によって封印されていた。そこでは当然、欲と欲がせめぎ合う闘争も無く(身内でもめていたら生き抜くことは出来ない)、皆が規範を尊重しあう共同体的集団であった。
 
 しかし、五五〇〇年前の乾燥期、性的自我から性闘争を顕現させた遊牧(邪心)集団によって、人類最初の同類闘争=掠奪闘争の幕が切って落とされた。  
 
 掠奪闘争は、部族から部族へと玉突き的に拡がり、勝ち抜き戦を通じて、次第により強大な武装集団の下に統合されてゆく。こうして、数百年に及ぶ掠奪闘争の結果、ほぼ全ての本源集団が破壊されて終った。
 
 こうしてより強大になった武装集団が国家の前身である。
 
 
では、早速「超国家・超市場論7」に入ってゆきましょう。
 

自我は「自分以外は全て敵」とする。しかし、「全て敵」である以上、共認は成立せず、従って共認機能で止揚・統合することはできない。従って、この様な自我と自我がぶつかり合い、欲と欲がせめぎ合う性闘争→私権闘争は、必然的に掠奪闘争(縄張り闘争、つまり戦争)を生み出して終う。
この様な自我に基づく性闘争→私権闘争→掠奪闘争は、力によってしか制圧できない。従って、これらの自我に基づく同類闘争(性闘争・私権闘争・掠奪闘争)は必然的に武装集団を生み出し、最終的には力による制圧を土台とし、それを追共認した力の序列共認によって統合された武力支配国家を作り出す。

■武力支配国家の登場
●参考記事:略奪闘争の開始と都市国家の成立 [2]
 
○略奪闘争を通じて、部族連合から都市国家が成立
・略奪闘争は最初は部族ごとの皆殺しの争いであった
・略奪闘争を繰り返す中で、戦闘力=防衛力の上昇のため部族同士が手を組み、部族連合が発生する。
・略奪闘争に勝ち続け、巨大化組織化された戦闘集団が、最終的にその地域で最も生産力の高い地域を占有し、都市国家を形成する。
 
構造としては 私権闘争→掠奪闘争⇒力による制圧⇒力の序列共認⇒武力支配国家 という形です。
あくまで、「力」が序列を決めるため、「力」による争いが絶えない不安定な状況といえるでしょう。そして、「力」が行き届くには、すぐに制圧に向かえる範囲など、規模にも限界がありました。
そうして、超肥大集団を統合する仕組みが産み出されてゆきます。
 
 

この力の序列原理も、互いに顔が見える範囲の集団内部でこそ有効に機能する原理であり、それだけでは数百万人もの超肥大集団=国家を統合するには無理がある。互いに顔の見えない社会を統合するには、統合指標(評価指標)となる観念の共認が不可欠になる。そこで、力の序列共認を下敷きにして、士・農・工・商etcの身分制度が確立された。つまり、最終的には身分(肩書き)という観念の共認によって国家は統合されており、武力時代の評価指標とは、この身分観念に他ならない。

■身分制度の登場
 
●参考記事:身分制度の確立 [3] 
 簡単に言うと、身分制度とは、力の序列を社会的に固定制度化したものですね。
 力の序列共認だけでは、争いが絶えない国家という肥大集団を統合(秩序化→安定化)するために、序列格差を固定化→社会的な階級=身分が制度化されたのです。
 
 

私権社会での活力源となっているのは、性闘争・私権闘争の圧力である。しかし、性闘争・私権闘争の圧力は、武力による制圧⇒力の序列共認⇒身分制度の共認による徹底した収奪によって(つまり、人為的に作られた飢え=貧困の圧力によって)、生存圧力に等しいほぼ絶対的な強制圧力となる。つまり、無政府的な性闘争・私権闘争を止揚(秩序化)した筈の私婚→私権の共認は、真の統合原理たる力の原理によって絶対的な私権の強制圧力に転換する。

■絶対的な私権の強制圧力
 
 身分制度で身分が固定されると、当然、税金という形で身分の下位のものは収奪を受けることになります。
 
たとえば、江戸時代の時期にもよりますが幕府の領地である天領で30%、大名の領地で50パーセントくらいが年貢(税金)でした
酷い大名はもっと重く取り立てましたし幕府も比率は高かったこともありましたが大名家よりは低くしていたようです。さらに年貢の他に用水の取水料や肥料のための草木を得る山に入る料金など農民が農業に掛ける費用は別に必要なため小作農などは苦しかったようです。
 
国家など関係無しに生きてゆくだけであれば何不自由なかった農家も、国家の成員として身分序列に組み込まれてしまうと、私権を手に入れなければ生きてゆけないので、万人にこの私権の強制圧力がかかる。
 そして、「私権を手に入れる」ことが、万人に共通する活力源 になっていたんですね。
 
 

この私権闘争の圧力が生み出した(力の原理に基づく)私権の強制圧力(私権を獲得しなければ生きてゆけないという圧力)は、最末端まで貫通する圧力であり、従って、「私権」という価値の評価指標(=最先端価値)たる「身分」観念は、立派に統合機能として働くことになる。(例えば、この肩書きという統合指標=評価指標は、現在でも官庁や企業において、普遍的に使われている評価指標であり、ほんの数年前まで「肩書き」こそが、人々の最大の圧力源とも活力源ともなっていた。)

■「身分」観念は、現代まで立派に統合機能として働いてきた
 
 この序列(身分)原理による統合様式は残っていますね。部長・課長・係長・平社員などその代表例ですね。少し前までは、いい大学・いい会社・出世・よい暮らしという私権獲得が大きな活力源になっていました。
 そして、集団内では出世をするには、上司の言うことは絶対であり、統合原理として機能していたんですね。
 
 
 
 本投稿では、武力統合国家の成立過程とその統合観念の共認について解説してきたが、事実、武力統合国家成立後も戦争により繰り返し国家の統廃合が繰り返されてきた。次回は武力統合国家の統合限界と新たな可能性に迫ってゆきます 👿

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