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国家と市場の成立→崩壊構造に迫る(5)〜市場は社会を統合する機能を持たない〜

Posted By cosmos On 2010年9月23日 @ 10:27 AM In 07.新・世界秩序とは? | 2 Comments

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前回は、今の社会が「何をするにもお金がかかる社会」になってしまった原因について明らかにしました。
今回は、「市場は社会を統合する機能を持たない」ということを明らかにしていきます。
全世界を巻き込んだ昨今の金融危機は、すでに市場が国家を越えて全世界規模まで膨張した可能性すら示唆します。また、この混乱を目の当たりにすると、まさに市場には社会を統合する機能などは全く持ち合わせておらず、どこまでも身勝手な存在であり、社会に対しては様々な混乱を引き起こす存在でしかないことはすでに誰の目にも明らかでしょう。しかし、改めて市場には社会を統合する機能が無いということを構造的に解明しておきます。
応援よろしくお願いします


それでは、<超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない> [1]を引用しながら明らかにしていきます。

「身分」も「お金」も、評価指標として夫々の社会で固く共認されており、その共認圧力が夫々の社会での最大の圧力源=活力源にもなっている。しかし、この両者には大きな違いがある。
その違いは、根本的には、身分を作り出す国家が闘争圧力に対応した「集団(統合)適応」の存在であるのに対して、お金を作り出す市場は闘争圧力からの抜け道としての「共生(取引)適応」の存在である点に由来している。
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身分(という評価指標)は、肉体的に備わった統合原理である力の序列共認を下敷きにしており、それが上から下まで貫通する身分という観念に置換された事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。
それに対してお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の行われる局部・局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。
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少し前までは私たちも、「身分」「お金」を評価指標として、出世のためや良い暮らしをする為にあくせく働いてきました。そのおかげで日本は高度経済成長を成し遂げ、戦後のどん底から世界の経済大国にまで登り詰めました。これは、社会船体が、すなわち国民全員が、「身分」「お金」という評価指標を圧力源=活力原として邁進してきたことを意味します。
圧力源=活力原となる「身分」は、良くも悪くも社会全体を統合する機能を果たしてきました。そのことは封建社会から私権社会まで一貫しています。しかし、「お金」が社会全体を統合する機能は持ち得ていません。身分序列で統合された社会で商人が、隙あらばとまさに身分の抜け道として利用し拡大してきました。その行き着いた先が現在の暴走する金融市場の姿であり、社会を統合するどころか私益のみを追求した結果、世界を混乱させる元凶とさえいえる状況に到っています。

「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。
しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。
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これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。

市場が社会を統合することが出来ない究極の理由は、①市場は外圧に対する「共生(取引)適応」存在であり、②絶対的な身分制度や闘争圧力、すなわち統合という地平からの抜け道としての存在にすぎないこと、③故に市場に出来ることは(生み出せるのは)抜け道機能しかないこと、である。
現在の市場を見てもそれは明らかだろう。市場が生み出したものは、抜け道機能としての様々な市場システムであり金融市場であり、金融商品であり、大衆が金融バクチに参加できるシステムであり、個人が儲けられる場であり・・・どれも社会の統合とは無縁のものです。
その結果が、過去の日本のバブル崩壊であり、現在の世界金融危機である。

事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
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ここまで来れば、市場が国家の寄生物でしかないことは、誰の目にも明らかだろう。

市場は、安い原料や安い労働力を元にした商品を高く売るという差益で成立し、拡大することが基本構造であり、常に貧困と格差を生み続けました。大航海時代以降の後進国の植民地化は格差を生みだしながら市場を拡大するという典型かもしれません。また、市場が国家を利用し始めるに到っては、最大の消費ともいえる戦争を誘導しては、敗戦国などに市場を拡大させました。現在でも民主化の名の下に自由な市場を拡大するための戦争は絶えません。

要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。
カビがどんどん繁殖すれば、やがてカビ同士がくっつく。世間では、それをグローバル化などと美化して、そこに何か新しい可能性があるかのように喧伝しているが、それも真っ赤な嘘であって、市場が国家の養分を吸い尽くせば、市場も国家も共倒れになるだけである。国債の暴落をはじめ、その可能性は充分にあると見るべきだろう。
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国は国民をまとめるための統合機関であって、市場とは別のもの!
また、市場は自分たちが好き勝手に出来る、言わば、規範からはかけ離れた存在でしかない。
その為、市場の拡大や管理すらも人任せになっている。
例えば:エコカー補助金、エコポイントも、そもそも、物が売れなくなってしまった市場は縮小するしか無く、
そうなると失業や生産、工業が不況となり困る人が出てくる。
それを防ごうと、市場ではなく国家がお金を投じて市場を支えている。
このままで本当に良いのか?
私たちには何が出来るのか?

それを知るためには社会構造(国や市場など)を知ることが大事なんです!
国家と市場の成立→崩壊構造に迫るシリーズ 次回もお楽しみに!


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