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ゴールドの真相に迫る−11 ゴールドの歴史(7)〜ブレトンウッズ体制とその崩壊=ニクソンショック〜

Posted By mtr919 On 2010年11月7日 @ 12:48 AM In 06.現物市場の舞台裏,08.金融資本家の戦略 | 2 Comments

前回からの続きです。世界大恐慌→金本位制の崩壊を迎え、世界は第二次世界大戦へと突入します 。結果、ヨーロッパ中が徹底して破壊され、戦後、国際協調の足並みを揃えるべく、ブレトンウッズ体制が構築されます。
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●ブレトンウッズ体制〜1960年代のドル危機(第19章)【1945〜1970年】
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第二次世界大戦後、最小限の被害で勝利した米国は、世界の貨幣用金のゆうに75%を保有していた。そして、ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた会議で、ドルのみを金(ゴールド)との間で1オンス=35ドルに固定し、他国通貨はドルとの交換比率が固定される『金ドル本位制』によって世界を運営することが取り決められた(ブレトン・ウッズ体制)。しかし、米国は、その旺盛な消費による輸入超過、日本や欧州への投資により、15年も経たないうちに経常赤字が膨らみ、その金準備が急速に減少していった。

一九五〇年から一九五八年まで、合衆国の貨幣用金は二二〇億ドル前後で安定していたが、一九五八年末から一九六〇年末にかけて、三〇億ドル以上も減少した。その一方で、アメリカ人は海外でドルを使ったため、外国人が所有するアメリカの銀行預金と財務省短期債券は、一九五〇年にはわずか八〇億ドルだったのが、一九六〇年には二〇〇億ドル以上に増えていた。その時点で、外国人がドルによる流動資産を巣すべて金に交換すると決めたら、合衆国の金保有高は底をついてしまったことだろう。

金準備の減少を受けて、ドルの評価が下落してくると、逆に市場で売買されるドル建ての金価格が35ドルを超えて上昇を始めた。これはドルの地位にとって致命的な問題となった。海外のドル保有者が、金ドル本位制に則って手持ちのドルを1オンス35ドルで金に兌換し、市場で売れば、確実に儲けることができるからだ。こうして米国の金準備の減少はさらに加速し、1960年代のドル危機が訪れた。

一九六一年に、合衆国、イギリス、フランス、イタリア、スイス、オランダ、ベルギーの各国が、こうした投機家の動きを抑えようと、共同で資金をだしあって「金プール」を組織した。金の価格が三五ドルを数セントでも超えそうな兆候が現れると、金プールが市場で金を売るのだ。
 当初、その基金は新たに算出された金が大量にロンドンへ流れこんだおかげで、売らなければならない量よりも多くの金を三五ドルで買うことができた。だが、ド・ゴール将軍が鳴りもの入りで金の価格の上昇を支持しはじめてから、投機家との戦いはますます一方的なものとなった。実際、ド・ゴール将軍は一九六七年に、フランスを金プールから脱退させたのである。一九六八年三月初めに、三五ドルに近い価格を維持するため、合衆国は九億五〇〇〇万ドル分の金をロンドンへ送らなければならなかった。イギリスが戦後二度目のポンド切り下げを実施した一九六七年十一月十八日以降、フォート・ノックスから二五億ドル近くの金がもちだされていた。

金ドル本位制は、以下の引用に示す点で、米国に明らかに優位な仕組みだったため、この制度に批判的な国も少なくなかった。その筆頭が、米国が金準備を減少させるのと対照的に金保有量を増やしていたフランスのド・ゴール将軍だった。ド・ゴールは、金ドル本位制に反発し、金価格の上昇を支持し、金本位制の復帰を目指していた。

国際取引での赤字を埋め合わせるのに、アメリカ人はドル——自国の通貨——を外国人に支払うだけでよかった。それに反して、他のすべての国は、他国の通貨か金で清算しなければならなかった。(中略)合衆国だけが、ドル紙幣を印刷するのと本質的に同じことをして、外国への支払いの資金を調達できるという状況である。一方、それ以外の国には、外国との貿易で利益をあげることによって外国の通貨または金を「稼ぐ」必要があったのだ。

しかし、ドゴールのこの目論見は結果的には失敗に終わり、ドルはその基軸通貨の地位を、その後半世紀にわたって守り続けることになる。
●ニクソン・ショック〜通貨制度からの金の退場(第20章)
一九六〇年代の後半、ベトナム戦争などにより政府支出が増大すると国内需要が刺激され、それによって物価が上昇し、輸入が増えることが多かった。金を基礎として固定為替レートをとるブレトン・ウッズ体制のもとでは、政府がどんなに対策しても、国民や投機家はドルを見捨て、安心な通貨or金への関心がよみがえることになる。
そこで、ニクソンがジョン・コナリ−を財務長官に任命し、取った策は、

第一の手段は、合衆国にとっての金の問題をきっぱりと解決するために計画された。財務省は金の窓口をあっさり閉じた。つまり、ドルを交換しにやってくる外国の政府や中央銀行に、金を一オンス三五ドルで売るのを拒否したのである。この根本的な措置によって、ドルが金と交換できる制度はフィナーレを迎えることになった。

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一九七一年八月の日曜日、テレビで公式声明を発表した。
これにより、需要と供給によって通貨の価格が決定されることになった。そうなると、外国もドル資産を持っているので、ドルの下落を防ごうと動くはず。すると、アメリカからの輸出の魅力が増し、外国からの輸入の魅力が減って、ドルの切り下げが自動的に修正されると判断した。しかし、この結果、外国は大混乱におちいった。外国の株式市場では相場が急落した。ドル売りの洪水に刺激されて、外国の政府は固定為替レートをすぐに回復するように要求。何度もドルの切り下げを行うも為替は安定せず、OPECの石油生産抑制圧力などもありインフレは止まらなかった。一九七三年には、各国の中央銀行は金の取引は中央銀行同士でしか行わないという一九六八年の決定も破棄した。
財産の避難所として、またインフレへの防衛手段として金への需要が高まったため、金の価格は上昇した。一九七二年の初めには一オンス四六ドルだったのが、一九七九年には五〇〇ドルになっていた。

一九七五年の初め、通貨制度を金から完全に切り離そうとする試験的な措置が取られた。アメリカが2回にわたって財務省が保有する金の約六パーセントを競売にかけた。またIMFも金の公定レートを廃止することに同意し、保有する金の一部を競売にかけることにした。金の退蔵が中央銀行の慣習だった時代から一〇〇年後、にわかに退蔵がすたれて放出が流行するようになった。

一九七〇年代にアメリカ経済の競争力が悲劇的なほど低下したことは、軍事的な大敗北にも等しかった。インフレは制御不能と思われ、失業率は手が付けられないほど高く、財政政策は混乱をきわめて、ドルはその一〇年が終わるころに大きな危機を迎えつつあった。世界市場でのアメリカ製品のシェアはおそろしいスピードで悲惨なほど下落していた。
一九七九年十月、合衆国のインフレは一二パーセントを超えようとしていた。一方、ドルも外国為替市場で窮地に立たされ、世界経済の先行き不安から、一九八〇年一月、金の価格が一オンス一一〇ドルから六三四ドルへと跳ね上がった。
にわかに、各国の中央銀行は自国の通貨制度に金の伝統的な役割を復活させることを口にしはじめた。一九七八年以降、金の価格が上昇したおかげで、金準備の市場価値は、退蔵されているすべての外国通貨の三倍以上にふくらんでいたのである。その後、財務長官のウィリアム・ミラーの「いまのところ、わが国が金を売るのに適切な時期ではないようだ。」の声明後、金の価格は急騰し、八五〇ドルまで高値をつけたが、カーター大統領の合衆国は金本位制にしないとの声明により、金と外国為替市場は落ち着きを取り戻した。次の日には、一四五ドルも急落し、一九八一年の高値は、一オンス五九九ドルだった。

一九八一年、合衆国の貨幣用金の保有量は、およそ八〇〇〇トンになっていた。一九四九年のピーク時の三分の一強、一九三三年とくらべても五〇パーセント多いだけで、世界中の貨幣用金の約四分の一に相当する量だった。

しかし、一九八一年時点でみると、公定価格でみても、市場価格でみても、保有する金の価格よりも、外国への債務(三〇〇〇億ドル)の方が多かった。
一九八〇年代初め、資産保有の手段からも、通貨を担保とする役割からも主役の座を奪われ、その役割は債券や株にうつっていった。一九九二年から一九九九年にかけて、金の価格が下がろうとしていたので、中央銀行やIMFは金を売りはじめた。しかし、彼らは金を沢山保持していたので、一度に大量に売るとニュースになり、自分で自分の首をしめることになる。だから、金の価値を守るために、主要国の中央銀行は年間の金の売却量をその後5年間にわたって四〇〇トンに制限することで合意していた。
また、中央銀行は市場での重要な売り手であるだけでなく、採鉱会社と緊密に協力していた。

一九九〇年代、他の多くの人びとと同じように、金の将来の見通しを心配した採鉱会社は、当面の生産量よりも多くの金を売りはじめた。要するに、あとでさらに低い価格で売らなければならなくなる事態を会費するため、将来の産出分を現行の価格で抵当に入れたのだ。だが、売買契約を結ぶとき、買い手は品物の引渡しを求めた。そこで、採鉱会社は中央銀行に協力を求めたのである。つまり、採鉱会社は将来の産出分から融資を返済するという約束で、中央銀行に協力を求めたのである。つまり、採鉱会社は将来の産出分から融資を返済するという約束で、中央銀行からわずかな金利で金を借りて、その金を買い手に引き渡したのだ。中央銀行は、かつては経済力を示す栄誉だったが、いまでは不妊資産と考えていた金から、何がしかの利益が得られることを喜んだ。

世界中での金への需要は、装身具や産業の分野で活発になっていたが、金の価格は一九九〇年代を通じて下がっていた。
ニクソンショック以降、一時ダメになると思われたドルが二十世紀も基軸通貨を守り続けることになり、かわりに世界の通過システムから金は姿を消した。次回は総まとめとエピローグをお届けします☆


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