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止まらない円高=世界通貨戦争どうなる?〜番外編 通貨危機とは?〜

こんにちは
世界通貨戦争の構造(前編)(後編)の追及を通して、その本質がドル元レートを巡るアメリカと中国との通貨戦争にあったことを明らかにし、ドル元レートの攻防を中心に、今の通貨戦争の現状を整理してきました。
 
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そこで今回はちょっと番外編、世界の“通貨危機”について見てみましょう
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1949年固定為替相場制が開始されて以来、為替相場の変動には“通貨危機”が大きく関わってきました。
“通貨危機”とは、経済事情の悪化などにより、自国通貨を政策として一段階安くすること(通貨の切り下げ)、もしくは固定相場制から変動相場制への移行を強いられそうになることです。
直接的には日本円にあまり関係のない国で危機がおきていることが多いのですが、政治も経済もグローバル化している中、別国の通貨危機であってもそれが基軸通貨のドルに波及し、結果的に円へ多大な影響を与えることになります。
  
以下代表的な通貨危機についてみてみましょう
 
◆「欧州通貨危機」1992.09.16
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EC(欧州共同体)では域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定するEMS(欧州通貨制度)とERM(欧州為替相場メカニズム)を進めていた。
1990年10月に東西ドイツが統一されて以来、旧西ドイツ政府による旧東ドイツへの投資が増加し、欧州の金利は高目に推移していた。高めの金利は欧州通貨の増価をもたらした。ERMによって欧州通貨と連動したポンドは次第に過大評価されていくことになり、持続可能性を喪失していった。
それに目をつけたジョージ・ソロスはイギリス・ポンドの価値が崩れると読み、中央銀行のイングランド銀行に対してポンドを徹底的に売り浴びせた。
その結果、イギリスはERMを正式に脱退し、変動相場制へ移行した。
 
そして、欧州の通貨は下がりドル高を招き、結果的に円高要因となった。
また、ポンドが主要国通貨に対して大幅に減価したことによりイギリス製品の価格競争力が高まったことなどから(イギリスの)輸出は大きく拡大した。
 
 
 
◆「メキシコ通貨危機」1994.12.20
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急激な短期資本の対外流出による流動性不足をきっかけに起きた通貨危機である。
固定相場を維持する政策のもとでの経常収支赤字の拡大は,ペソを過大評価させることとなり,1994年12月20日,メキシコ政府はペソの対ドルレートの15.27%切り下げを発表、一挙に通貨不安を強め,22日には変動相場制への移行を余儀なくされた。
 さらに大量に発行したドル連動型の短期国債(テソボノス)の償還問題が重なり,1ヶ月の間に数十億ドルの資金が流出し、ペソはおよそ、40%も値下がりした。
 
米国とメキシコは自由貿易協定を結ぶなど緊密な関係を持っていたため、「ドル安・円高」要因となった。
 
 
◆「アセアン危機」1997.7.2.
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1997年7月よりタイを中心に始まった。アジア各国の急激な通貨下落(減価)現象である。
アジアのほとんどの国はドルと自国通貨の為替レートを固定するドルペッグ制を採用していたが、ヘッジファンドが通貨の空売りを仕掛け、買い支える事が出来ないアジア各国の通貨は変動相場制を導入せざるを得ない状況に追い込まれ、通貨価格が急激に下落した。
固定相場制の中で金利を高めに誘導して利ざやを求める外国資本の流入を促し、資本を蓄積する一方で、輸出需要で経済成長するという成長システムを採用していたタイ、インドネシア、韓国はその経済に大きな打撃を受けた。日本に関しては融資の焦げ付きが多発し、緊縮財政とタイミングが重なった結果、金融危機の引き金の一つとなり、政策金利引下げ、円急騰(2日間で20円の急騰)、長銀・日債銀国有化へとつながる一連の金融不安の遠因となった。
 
◆「ロシア危機」1998.8.17
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1998年にキリエンコ政府並びにロシア中央銀行の行った対外債務の90日間支払停止と、これに起因するルーブル下落、資金の海外流出などの経済危機を指す。
 
元々財政が逼迫していたところに、1997年タイにて始まったアジア通貨危機の余波を受けて、世界景気が後退。ロシアは輸出の80%を石油や天然ガス、木材などの資源に頼っていたが、「主要輸出産品の価格が下がったこと」が経済に決定的なダメージを与えた。
 
世界経済への波及を恐れたIMFは226億ドルもの融資を実行しながらも、財政不安からルーブルの売りは止まらず。これが引き金となってアメリカの著名ファンド「LTCM」が破綻に追い込まれたことは有名。
最終的には1999〜2000年にかけての原油価格高騰が、資源産業の復活を後押しし、財政収入を安定させていくことで危機が収束する。
 
◆「ブラジルの通貨切り下げ」1999.1.13
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1990年代後半、海外資金流入が進みインフレが進んでいたブラジルでは、固定相場制のもとで、為替レートの過大評価が生じ、経常収支赤字とそれを補うための財政赤字が拡大の一途を辿った。加えて、1997 年のアジア諸国の通貨危機、1998 年8月のロシア危機から、ブラジルは断続的に通貨アタックに襲われ、通貨の信用を失いかけていたブラジルから海外資金の流出が始まった。IMFと米国は11月、総額415億ドルにのぼる緊急融資を決定したが、ブラジル経済への信用が回復することはなかった。
 
1999年1月6日、ミナスジョライス州知事は、財政悪化を理由に90日間の対連邦債務の返済停止を通告。これを機に海外投資家は資金を一斉に海外に逃避させ始めた。1月13日、ブラジル政府はレアルを9%切下げ、1ドル=1.20〜1.32レアルに、1月15日にはレアルの変動相場制への移行を正式に発表。3月には1ドル=2.15レアルまで下げた。
  
◆「アルゼンチン通貨切り下げ」2002.1.6
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2001年12月にアルゼンチンで表面化した経済危機と外貨流出による通貨危機。
政府は1320億ドルの公的債務の支払いを一時的に停止し、固定相場制度が廃止されたため、アルゼンチン・ペソの価値が大幅に下落した。
 
アルゼンチンは輸出によって発展したが、第二次世界大戦以降は政治の混乱が経済の混乱を招き、1989年には年率5000%の超インフレを経験。1990年代に入ると経済は自由化され、ペソの為替相場は1ペソ1米ドルで固定する(ドルペッグ)政策が取られた。為替変動のリスクがないため、アルゼンチンへの投資が盛んに行われた結果、アジア通貨危機が起きた時でもペソはその価値を下げることなく、通貨危機に強いことが証明された。しかし、他国が自国の通貨を大幅に切り下げられたため、輸出を行う際の対ドルに換算した際に価格が高くなってしまい、アルゼンチンは不況に見舞われた。2001年にはマイナス11%の経済成長を記録し、失業率も20%に達した。この結果、国内から外資資本が流出し、インフレや経済の混乱などが連鎖的に発生したことで通貨危機を招いた。
 
2002年に変動相場制を導入してから輸出が拡大し、IMFの干渉を排除するため百億ドル近い債務を完済し、2000年末の経済破綻直後の失業率24%を、2006年5月には11.4%にまで改善した。さらに、2003年から2007年まで平均約8%の高成長を続け、2002年の経済崩壊以来の遅れから立ち直りつつある。
 
 
 
こうして見ると、ドルペック制の国に外国から資本が流入し、一時的に景気が良くなるものの、その後は貿易赤字・財政赤字が増加。更に外資も引きあげ、自国通貨が暴落変動→通貨危機が引き起こされる。という構造が共通しているようです。
ドルと人民元の通貨戦争の危うさを感じますね・・・。
  
それでは、次回もお楽しみに☆
 

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