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シリーズ 認識形成の場が国家と市場を超える(5)〜認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である その1

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前回、「認識形成の場が次代の社会を統合するようになる」の中間のまとめを行いました。
今回は、改めて、「認識形成の場が社会を統合する」という事が、人々の共認形成の土台なっていく事を展開していきましょう。

その前に応援よろしくお願いします。
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それでは、超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である から引用します。【リンク [2]

社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。従って、社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。
なぜなら、共認こそ人類の命綱であり、その共認内容は人類の命運を左右する(例えば、共認内容を誤れば人類は滅亡する)ものだからである。また、人々の認識さえ変えることが出来れば、それに応じて社会制度や体制を変えるのは簡単だからである。要するに、認識形成こそ、社会形成の生命部なのである。

ここでいう「社会が人々の共認によって形成されている」 「共認こそが人類の命綱」とはどういう事なのかについて、検証していきたいと思います。
では、まず、共認機能とは、一体、どういう意味なのでしょうか?
共認機能(リンク [3]
相手に同化する、サル・人類に固有の機能。元々は、サル時代に形成された不全から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としている。そこで相手と同化することによって充足(安心感等)を得ることができる。この機能を土台にして、相手の課題=期待と自分の課題=期待を重ね合わせて、課題や役割や規範や方針を共認する(共に認める)ことが可能となる。

更に人類だけが、有する共認機能とはどういうものかを「実現論」から引用してみましょう。
実現論【引用 [4]】 

この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に替わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。しかし、観念機能がDNA組み替えを超えた新たな進化機能であるという事は、その機能を獲得した人類は、その共認=観念内容によって進化もすれば退化もする可能性を孕むことになる。

人類は、今まで、観念機能(特に言葉)を使いながら、提案や行動に対して、みんなが評価を下し、それが共認されることによって、課題や役割や規範や方針を一つの中身に収束させ、個人を超えた社会を形成してきました。
歴史を振り返ると、人々の期待(=欠乏)に応えるものは、人、宗教、思想、政治、規範、制度、生産物、創作物であれ、全て評価競争の圧力にさらされ、人々の評価の共認によって淘汰され、その中で、みんなが良いと評価された仕組みや物が生起しては消え、一方では残り続けていったのです。
ここで言うように、人類は、共認=観念内容によって進化もすれば退化もします。つまり、人類にとっての命綱となるわけです。常に、外圧をつかんで、可能性を探索し続け、共認を組み替えてゆくことで、新たな現実を切り拓いてゆけるということなのです。
反対に、世の中がおかしな共認(事実に反する共認、自然の摂理に反する共認)に支配されてしまったら、人類の集団や社会は、とりかえしのつかない方向に進んでしまうという事なっていくと思いませんか?
では、次に「認識形成の場」とは、一体どういう場なのかを取り上げてみたいと思います。

従って、認識形成の場に参加すること(=場を構築すること)が、求められる真の社会活動となる。実際、大衆自身の手で社会の生命部を成す共認を形成してゆく活動であるという点でも、誰に要求するのでもなく自らの手で新しい社会統合機構を構築してゆく活動であるという点でも、これこそが、真の社会活動であり、それをおいて他に真に有効な実践活動はない。
従って、今成すべきことは、新しい社会統合機構(の中核)となるべき『認識形成の場(まつり場)』の構築に参加することに尽きる。具体的には、まつり場に入って皆の投稿に親しむこと(ロムし続けること)、そして新しい認識に得るところがあれば知人にも参加を勧め、できれば自分も発信することであり、それこそが最も豊かな唯一の実践活動である。
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新しい祭り場の形成過程を図解を使って説明してみましょう。【リンク [6]
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・共認形成の主役は、統合階級(プロ)から素人たちへ
・意識潮流は、私権収束(自分)から本源収束(みんな)へ
・活力源は、私権圧力から同類圧力へ

と大転換し始めたのです。これらは、素人による新しい社会の実現可能性と実現基盤が出揃ったことを意味します。
つまり、貧困消滅とは、素人による新しい社会の実現基盤が出揃った大転換点なのです。
私権圧力衰弱 により現在では、私権が衰弱し、統合階級によって作られてきた社会統合機能は崩壊の危機にあります。(現在の検察の暴走や官僚の抵抗は、既に明らかでしょう。)
一方、人々の意識は共認不全が顕在化し、どうする?が見えない状況へと進んでいます。
ならば、社会統合という課題や役割や規範や方針を一つの中身に収束させ、人々自ら考え、自らの手で統合していく仕組み(個人を超えた社会)をつくり出すことが、これからの次代に求められる有り様ではないでしょうか?
可能性を探索し続け、共認を組み替えてゆくことで、新たな現実を切り拓いてゆける仕組み(=社会)が、まさに『認識形成の場=社会統合サイト』なのです。
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要するに、認識形成こそ、社会形成の生命部であり、それだけに最も困難な活動である。しかし、本気で社会を変えようと思うのなら、まず心ある人々から率先して、認識形成の真っ只中に身を置くべきであろう。もちろん、(その様な不全発の社会派ではなく)可能性発の実現派なら、時代の可能性に導かれて何のてらいもなく新しい『まつり場』に加わってくれるだろう。
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「共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである」より引用します。【引用 [10]

いずれ、この統合という課題や期待や評価の共認を母胎として、その上に(その中から)規範共認や制度共認あるいはそれらの正否判断の基礎となる事実共認(現象事実から構造事実まで)が確立されてゆくことになるだろう。そこで、今まず必要なのは、社会統合という課題・期待・評価の共認の場であり、従って何よりも重要なのは、まずもって皆の共認の場=新しいまつりの場を形成することである。
しかし、まつりの場は自ら参加しなければ成立しない。つまり、見ているだけでは駄目で、投稿してはじめて場が形成される。もちろん、はじめは単なる評価投稿や感想投稿でいい。又、まつりは、参加者が多いほど盛り上がるし、場が盛り上がれば上がるほど参加者が増えてゆく。

2011年、既に様々な事件が社会を震撼させています。官僚の不祥事や大手マスコミの偏向報道、事実を捨象した姿勢は目に余るほどになってきており、その勢力に対抗する形で、真実・事実はどうなのかを追求していく素人の発信するHPやブログが、増えてきています。
時代は、もう新しい祭り場に移行しているのは明らかです。それらのHPやブログを紹介して、今日は終了したいと思います。【リンク [11]
     chumoku_site_1.jpg [12]
次回は、

(それに対して、これまで一部の「社会派」が関わってきた既存の「社会」運動や「実践」活動は、全て偽物である。それは、彼らの「運動」が、結局、社会を閉塞させただけで何の突破口も示せなかったことが証明している。それどころか、むしろ彼らこそ、この社会をここまで閉塞させた張本人なのである。詳しくは、『チンケな運動』(リンク [13]),『運動信仰を捨てて共認革命を』(リンク [14])『現実否定の自己欺瞞』(リンク [15]),『社会運動の自己欺瞞』(リンク [16]),『観念パラダイムの逆転2』(リンク [17])を参照して下さい。)

上記のように、これまでの運動や活動が、うまくいかなかった理由を検証していきたいと思います。
続く

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