- 金貸しは、国家を相手に金を貸す - http://www.kanekashi.com/blog -

止まらない円高=世界通貨戦争どうなる?13〜世界通貨戦争の行方は?【後編】〜

前回の記事『止まらない円高=世界通貨戦争どうなる?12〜世界通貨戦争の行方は?【前編】〜 [1]』に引き続き、今回も原田武夫氏の著書『世界通貨戦争後の支配者たち』 [2]をご紹介していく 😀
%E6%9C%AC_1_~1.JPG [3]
ぜひ続きをご覧下さい
いつもありがとうございます


 
■欧州の戦略〜IMFに代わり欧州通貨基金(EMF)の設立を!! 
  
これまでアメリカが構想する戦略を見てきたが、それに対して欧州勢も着々と対抗策を準備→実行へ動いているようだ。
そこでは、彼らが得意とする金融手法を武器に、世界の覇権を握ろうとする戦略が見て取れる。

欧州勢を代表するシンクタンクの一つである「欧州政策研究センター」は2010年2月、ドイツ系「越境する投資主体」の雄であるドイツ銀行にてチーフ・エコノミストを務めるトーマス・マイヤーらによる論文「欧州における国家債務不履行にどのように対処するか 今こそ欧州通貨基金を創設せよ!」を公表した。

この構想には、デフォルトすらやむを得ないという前提のもと、他の欧州加盟国を切り落としてでも、その方向に政財あわせて動き始めたことが示されている。
具体的な中身は推測の域を超えないが、今のところ識者の一致した見解としては、IMFと同様の運営形態や構造を持つ可能性が高い。そして、その場合、欧州最大のGDPを誇る「ドイツ」が基金の最大の出資国になる=意思決定の要となるようだ。
一方、アメリカはこの構想に反発を強めている。
その理由を理解するためには、現状のIMFの歴史経緯を押さえると明らかになる。
これまでIMFは「デフォルト」危機を理由に財政介入。その結果、IMFの実権を握るアメリカ勢にとって、有利な経済環境が整備されてきたわけだが、その縄張りを欧州勢(ドイツ)が侵食しようとしているからである。
  
 
■独立債務委員会<国家財政警察>
この欧州通貨基金(EMF)の設立に加え、世界的な金融危機によるEU各国の共倒れを防ぐ方策として、国家単位を超えて財政赤字問題の解決に当たる「独立債務委員会」の設立が議論されている。

●国際的な支援パッケージを各国政府が考える際には財政ルールを定め、当該政府の財政赤字および黒字をそれぞれの段階で算定することでこのルールを適用するような独立した債務委員会を設置すべきである。
(中略)
●財務諸表に透明性を与え、資本比率を大幅に増す共に、全ての金融機関を規制の枠組みの下に組み込むべきである。

原田氏は、各国の財政を強力に監視し、財政赤字やデフォルト危機を阻止しようとする国際機関となるこの独立債務委員会を、「国家財政警察」と表現している。
 
 
結局、世界金融危機以降の米国と欧州の覇権闘争は、米国勢によるデフォルト、戦争、あるいは欧州勢による強力な金融規制という結末へ向かって突き進んでいると筆者は考えている。 
 
 
■国際金融資本家(ロスチャイルド)は日本をどのように観ているのか?
このような欧米勢力の覇権争いは、そのまま国際金融資本家達の覇権闘争である。そのひとつで最大勢力でもあるロスチャイルドが、日本をどのように観ているのか。筆者の見解はここにまで及んでいる。
筆者によれば、日本とロスチャイルドとの関わりは江戸末期の1862年に始まり、今日に至るまで日本の繁栄とそこからの富の収奪を繰り返してきたらしい。
しかし、彼らの想定外の経済成長を遂げていく日本は、逆に脅威となる。欧米から見れば、日本は、どれだけ痛い目に遭っても復活し、富を退蔵する国に映っている。そして近未来においては日本をはじめとする東アジア諸国の台頭を意識している。と著者は説いている。
さらには、米欧がそのような意識であるならば、富(収奪標的である国民の貯蓄)をこれだけ貯めるにいたる日本の経済システムを倣うことの必要性まで論じている。

●金融資本主義を膨らませるのが善という「インフレ至上主義」からの脱却。
●需要と供給のバランスが崩れたために発生した大量の財政赤字の消去。
●縮小させた後の経済で「出と入り」を厳密にコントロールするための仕組みづくり。
●以上に従わない国家に対する国際的な制裁措置。

また、著者は日本経済の状態をこのように書いている 😀

私たち日本人はどうやら平成バブルの熱狂の後、世界に先駆けて「次なる未知なる経済体制」へと突入したようなのである。もちろん問題が無いわけではない。みしろ山積みというべきだ。だが、そこにあるのはいわば「低空でありながらも墜落はしないという意味で安定した飛行」ともいうべき経済状況なのだ。

つまり、市場縮小を世界規模で実行せよということであろう。本書で著者が「自然(じねん)」という概念を強調しているが、それは即ち“右肩上がりの経済学”という固定観念に対する反論に違いない。現在の通貨安戦争は、常に“自国が他国より如何に多く儲けるか”という視点に立っている。つまり、ここからの転換こそが何より伝えたいことなのだろう。
そのように考えれば、今なお金儲けに血眼になっている米欧が時代遅れに見えてくるという。

米欧勢は今、私たち日本人からすれば「一周遅れ」の場所を走っている

著者は本書の結びに、山本空外(1902〜2001)という僧の言葉を用いている。

「戦争といっても、古来いつでも経済のために起こったのが多く、今日でもほとんどそうである。それで、人間が経済的動物である間は、いつ戦争になるかもしれないし、戦争をすればともだおれであるし、戦争しなくても絶えずその危険の前にしか生きられない。むしろこうした環境を助長するような機械や科学の進歩に心まで奪われずに、心のほうが優先する日々を生活したいものである。」

世界通貨安戦争に限らず、今日の市場経済というパラダイムにいる限り、我々は上記の如く存在なのであろう。そういう意味で、市場経済の行き詰まりと、それに代わる新たなシステムの必要と構築を再認識させられる一冊だった

[4] [5] [6]