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市場縮小の深層:4 自己中の親の過干渉が子どもをダメにする!

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              画像は こちら [1] からお借りしました。
 
前回の「勉強しないといけないのは、なんで [2]?」ではみんなが貧しかった時代は「豊になる」
のがみんなの目標(社会期待)でした。だから子供でも「社会の役に立つ為に
勉強しなさい」と言われたら、何となく分かっていたのだと思います。
 
しかし豊かさが実現した現在、大人は子供に対して、次のみんなの目標(社会期待)
が何なのかを提示できないでいます。
だから「勉強しないといけないのはなんで?」に答えられないのです。
 
今回はそんな「親の行動とそれに対する社会の評価」に着目して見たい、と思います。
続きを読む前にいつものようにブログランキングのUPに協力願います。
          
 


少し前の投稿になりますが「るいネット」の「自己中の親の過干渉が子供をダメにする [3]!」
という投稿を抜粋して紹介します。

■「親の過干渉が子どもをダメにする!」 (サンデー毎 日9月3日号より)
記事は3人の大学教育事務関係者(女子栄養大学広報部長・芝浦工業大学
事務理事長・共立女子大入試事務室長の対談である。
 
・男子が多い大学ですがオープンキャンパスに一族郎党でやってくる方は非常に
 多いです。入試に親が関るということは今では当たり前ですが、合格したら
 入学手続きまで親が来る。
 入学式やガイダンスと放っておくといつまでも親と一緒なんです。
  
・普通の大学は受付が始まると一斉に電話が鳴ります。「どうやって書類を取り
 寄せたらいいか」「どうやって書いたらいいか」「どうやって送ればいいか」
 子どもがすぐそばにいながら電話をしてくるのは90%が親で、それも母親です。
 
・毎年、特にセンター試験の時には、部屋が寒いということを子どもが携帯で
 親に電話し、親が大学に「教室が寒いと息子が言っているので何とかして下さい」
 と言ってくる。
 
・最近は就職活動までそんな兆候が見えています。例えば会社訪問に行くとなれば、
 会社への道を調べてあげるとか、途中まで一緒になって行ってあげるとかですね。
 
・試験についていく親だけでなく、入学後にガイダンスに参加する親、子どもの
 時間割を作ってしまう親もいるほどです。次は学生生活です。
 
・「提出レポートを忘れたので、それをファックスで送るから渡してくれ」と。
 また子どもが体調を崩して親が「今日は休みますから、先生に連絡してくれ」
 と言ってくるケースもあります。
 
・そういう親に共通するのが、人が頼んでいるのに何でできないの、という
 態度です。子どもに代わり、私がわざわざ連絡しているのに・・・という感覚
 なんです。

 
同様な記事を探してみると、

■『 増える学校への「無理難題」 [4] 』( 産経新聞2006年9月11日夕刊より )
 
・「子供の勉強ができないのは学校のせい」「あの子の親とは仲が悪いから子供も
 別のクラスにしてほしい」というのは、ほんの序の口。実例を挙げるときりが
 ないが、小野田教授や大阪市の調査で判明した中からいくつか紹介したい。
 
・学校の健康診断で再検査が必要と診断され、専門医を受診したが異常はなし。
 怒った親が学校に「無駄足を踏ませた」とクレーム
 
・父親が学校に「母親が朝起きないので先生が起こしてほしい。子供が学校に
 行けない」と依頼
 
・卒業アルバムのスナップ写真に自分の子供が1枚しか写っておらず、「5回も
 映っている子供がいる。不公平だ」とクレーム ─など。
 
無理難題を言う理不尽な保護者急増中 [5]( 産経新聞2006年7月22日より )
<保育園・幼稚園>
・「うちの子は箱入り娘で育てたい。誰ともけんかさせないという念書を提出しろ」
・「行事のスナップ写真でうちの子が真ん中に写っていないのはなぜだ」
 
<小学校>
・「石をぶつけてガラスを割ったのは、そこに石が落ちていたのが悪い」
・「義務教育中だから給食費は払わない」
・「(夜中に電話で呼び出して)飲食店での話し合いに応じろ」
 
<中学校>
・「(保護者がクレームを言いに来た日の)休業補償を支払え」
・「(怪我をした生徒を病院に連れて行ったところ)なんでやぶ医者に行かせたんだ」
<その他>
・「あの子の親と仲が悪いから、今すぐうちの子を別のクラスに移して」
・「うちの子が怪我をして休む間、怪我をさせた子も休ませろ」etc…

引用した元の投稿(自己中の親の過干渉が・・・)には以下のように纏めてある。 

他にも事例は多々報告されていたが、同様の事例の山である。
記事では少子化、大学全入時代を迎えてこれからは子どもより親の方を見なければ
生徒は獲得できないというような括りでまとめていました。→これ自体かなり
変な括り方ですが現役の大学事務の人の対談としてはそこまでが限界なんでしょう。
 
しかし記事の内容は全編、まさにタイトルの通り(自己中の)親の過干渉が
子どもをダメにする。(ダメな子どもが社会に大量輩出されている。)
これでいいのか!という問題を提起しているものでした。
 
先の投稿の新聞の記事、今回の雑誌の記事と明らかに自己中の大人の実態が
明らかにされている。これら自己中排除の共認の大きな流れが社会で始まっている
と言えるのではないか?

 
このような親の異常な過保護ブリにたいして新聞等では《家庭に原因》があり、
無理難題を言う保護者の養育態度を「過保護型」「放任型」「過干渉型」の
3種類に大別する。いずれも家庭内の人間関係に原因がある場合が多く、
過干渉型の場合、親にとって「良い子」を演じる子供が教師の言動を大げさに
報告し、事態を悪くすることもある、と評価している。
 
親の過干渉が子供に与える影響は、
(1)子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。
(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、
   かたよったりするようになる。
(3)常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。
また、「家庭を聖域にしてはならない」と言うブログの
近ごろの自己中現象の兆しが13年前の子どもの人間関係の中に見える [6]
 
と言う投稿ではさらに突っ込んでアンケート調査などの結果から母親の
社会との関わりの希薄さと囲い込みが、そのような結果を招いていると見て
間違い無さそうだ。
 
最近増大してきている、自己中な大人たちは、彼らの親たちの囲い込みに
よって産み出されていたのだ。
  
では、母親の社会との関わりの希薄さと囲い込みと言う現象が生まれたのは
何故でしょうか?
根本原因はこのシリーズの始めの「市場縮小の深層:1「三食昼寝付きの
永久就職?

 で投稿されているように
貧困の消滅→私権の衰弱→市場縮小 にあります。
  
社会は「豊かさ実現」を成し遂げ、あくせく働かなくても良くなりました。
家庭では少子化もあいまって、親が子供に掛ける時間も期待も大きくなって
行きます。
こうした親たちに自己中な行動が多くなり、ついに2006年、こういう現象に
対して自己中排除の共認の流れが新聞や雑誌の記事だと言えるのではない
でしょうか。
 
しかし自己中を排除する共認(白い目圧力)が生じたとしても問題は解決
しません。漠然とした不安や社会の事象から、みんなの期待(社会期待)
を捉え、答え(=可能性)を発信していく必要を感じます。
 
最近の子ども達の状況はどうでしょうか。るいネットから紹介します。
子どもたちの共認原理による共認充足(^-^) [7]

私も今、塾で働いています。塾でやっている公開テストの成績上位者一覧を
貼り出していると、生徒たちが誰が載っているかをみに集まってきます。
 
居合わせた10人ぐらいで輪になって、「おお、載ってるやん。」「おお。」
「おお。」「あっ、○○さんも載っている。」「おお。」(みんなで拍手喝采)。
また時間をおいて、別の10人ぐらいが集まって「おお、載ってるやん。」
(同じように拍手喝采)。という現象が繰り返し起こりました。思わず、この
輪の中にはいりたくなるような場になっていました。
 
自分は上位者一覧には載らなかったけど拍手している子は、“載っている子に
拍手してあげると相手は嬉しい→相手が喜ぶと自分も嬉しい”というのが、
ごく自然にわかっていて、拍手している(=評価する充足をごく自然に
知っている☆)。
 
上位者一覧に載っていて拍手喝采をしてもらった子は、「ありがとう♪」と
喜んで、ほかに載っている子を探して、今度は拍手をつくりだしたり。
また日常的には、周りの子たちに勉強を教えてあげる役割をになってくれていま
す。
“勉強ができるようになると相手は嬉しい→相手が喜ぶと自分も嬉しい”と
いうのが、ごく自然にわかっていて、教えている。
 
これぞ、共認原理による共認充足(^-^)
  
子どもたちにとっては仲間圧力が絶対。いじめにならない肯定的な共認充足の
場はこのような現象事実として顕れています。
大人には今だ残存する私権の強制圧力をも軽く上回っている。
マスコミの共認支配も軽く上回っている。
  
子どもたちがこのように活き活きするには、実は仕掛けがあります。
  
それは、入塾時期も通っている学校も、バラバラの子どもたちに、まず同類圧力
をかけ、課題を明確にしてあげること。
「これから先どうするん?今はこうこうこういう状況やで。」というように。
そこから「同じ勉強課題に向かっている仲間。」と課題を共認した仲間意識を
高める。これを繰り返し繰り返し伝えることで、定着させていく。
  
それだけ。
  
圧力→課題が明確になれば、いじめなどの否定的な場にはならない。
課題が明確になれば、そこから役割→規範→評価は、子どもたちが試行錯誤
しながら、課題を共有した仲間関係の中で肯定的につくってくれています。

親は未だに課題を見出せずにいますが、子ども達は課題を共有し、仲間関係を
肯定的な共認充足の場と捉える方向(可能性)に向かっていると考えられます。
  
否定発から肯定発、不全発から充足発への転換へ、勉強に対する子どもたちの
意識を肯定課題、充足課題に置き換えてやる、そしてその場作り、この中身を
具体的に語ってやることが大人たちの『答え』なのではないのでしょうか。

  
次回は、大人(親)たちの子どもに対する関わりについて扱ってみたいと思います。
 

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