- 金貸しは、国家を相手に金を貸す - http://www.kanekashi.com/blog -

止まらない円高=世界通貨戦争どうなる?15〜円高は本当に問題なのか?【後編】〜

これまで約3ヶ月に渡って追求してきた円高と世界通貨戦争シリーズの、今回が最終エントリーになる。衰退する米国と勃興する中国の貿易戦争を震源地とした世界通貨安競争の中で、なすすべなく円高が進行していく日本。
しかし、マスコミが喧伝するように、円高は本当に日本にとって致命的な問題なのだろうか?前回記事 [1]では、るいネットの記事から、円高にまつわる誤解をときほぐす記事を紹介した。最近発刊された書籍の内容も紹介しながら、円高時代の日本経済がどうなるべきか?これからの展望について考えてみたい。
(参考図書)
「いま日本経済で起きている本当のこと」(増田悦佐) [2]
「1ドル50円時代を生き抜く日本経済」(浜矩子) [3]
「世界同時不況がすでに始まっている」(榊原英資) [4]
「国際金融の大変化に取り残される日本」(倉都康行) [5]
「デフレ時代の国富論」(三橋貴明) [6]
いつも応援ありがとうございます


●円高になっても、貿易収支は悪化しない!
前回記事で、日本は人々が常識として思っているほど輸出立国ではなく、先進国の中でも内需比率が高く、円高による経済のダメージは小さいとの記事を紹介した。その輸出自体も、円高で即、黒字がなくなってしまうと考える必要はないようだ。
①日本の輸出品目の7割以上が資本財・中間財
「いま日本経済で起きている本当のこと」(増田悦佐)によると、日本の輸出品の7割以上は資本財・中間財であり、為替変動による需要への影響がほぼない(“価格弾力性が小さい”という)のだという。海外では、日本の品質のよい資本財・中間財がないと最終製品がつくれない。そのため、むやみに値下げはできず、必要なコストアップとして吸収されるのだ。

masuda.jpg

②発展するアジアへの市場が今後日本の貿易を拡大させる
同じく同書によれば、日本は、先進国〜途上国にバランスよく輸出先を持っている。金額的にはこれまで米国などの先進国が中心だったが、今後は中国やインドをはじめとしたアジアの巨大な途上国が発展し、品質の高い製品を求めるようになれば日本からの輸出需要は十分維持される可能性がある。

貿易には、重力モデルという考え方がある。1969年に第1回のスウェーデン国立銀行賞(別名ノーベル経済学賞)を受賞したヤン・ティンバーゲンが示したのは、2国間の貿易量は、それぞれの経済規模に比例し、距離に反比例するというモデルである。それが今後も当てはまるのならば、アジア諸国の経済発展は間違いなく日本の貿易量を増加させるだろう。
(「国際金融の大変化に取り残される日本」より)

円安策は実質的な輸出産業への助成金であり、購買市場における受益者は外国の消費者であって国内消費者は期待利益を失っている。
(同上書より)

kurato.jpg

●貿易収支が悪化したとしても、国際収支は悪化しない!
上記の書籍の多くで指摘されているのが、日本の経常収支に占める貿易収支と所得収支の比率だ。「デフレ時代の国富論」によると、
2009年の経常収支
所得収支   +12兆3229億円
貿易収支   + 4兆0611億円
サービス収支 − 1兆9415億円
経常移転収支 − 1兆1643億円

※経常収支についてはこちら [7]

日本の場合、何しろ世界最大の対外純資産国で、その「純資産そのもの」からの果実である所得収支が10兆円を上回る域に達している。所得収支は経常収支の一部であり、黒字は当然「対外純資産の増加」になる。対外純資産が所得収支の黒字の元である以上、両者は互いの影響で増え続ける構造になっているわけだ。

mitsuhashi.jpg

万が一、日本の経常収支が赤字化した場合、中期的に円安要因になり、日本の輸出企業の競争力が高まるだけの話なのだ。日本の競争力が高まった結果、輸出が増え、逆に通貨安で輸入が減り、貿易収支は再び黒字化に向かうだろう。
「デフレ時代の国富論」より

日本の債権大国化が進んで対外資産が増えれば、そこから上がってくる投資収益が膨らむことになるから、所得収支の黒字は拡大する可能性がある。その分でどこまで貿易収支の赤字化が相殺されるかは、これからを考える上で面白いテーマだ。
(「1ドル50円時代を生き抜く日本経済」より)

今や日本が海外に持つ株や債券、不動産からの投資収益である所得収支が貿易収支の3倍を超えている。「いま日本経済で起きている本当のこと」でも、この所得収支は一度黒字になると基本的に為替変動に関係なく黒字が続くという。そして、その黒字でさらに投資を行えば、黒字拡大のサイクルが続き、貿易収支をカバーできるという。
現在の世界的な経済危機の中では、海外の株暴落や債券デフォルトのリスクが無いわけではない。しかし少なくともそれまでは、日本の方から国際収支が悪化し経済的な危機に陥る可能性は低い、ということだ。
●円高による購買力を生かした海外進出の可能性
円高のメリットを直接享受するためにも、また、上記の所得収支の源泉としても、海外投資を積極化していくことが、今後の日本の姿ではないかと浜氏は指摘する。

現在のドル安が一段と進めば、債権国としての日本の存在感が高まっていくことは間違いないだろう。
そうした中で、日本の元気のいい企業が高まる円の購買力を利用して、M&Aなどを通じた海外展開を拡充するという流れも出てきそうである。当然のことだが、ODA予算なども円建てでは同額であっても、為替レートが円高に振れればドル建てでは金額が膨らむ。少ない円で世界に大きく貢献できるという側面も出てくる。

hama.jpg

経済の構造としては、日本から流出したジャパン・マネーが海外で収益を稼いできて、その稼いできた収益でモノを輸入し、輸入に伴う経常収支の赤字化を賄ってゆく姿が定着していくことになるだろう。それが成熟した債権大国の一つの標準モデル的な姿であって、日本もそこに向かって進みつつあると考えられる。
(「1ドル50円時代を生き抜く日本経済」より)

今、貿易収支へのダメージに必要以上に怯えて、為替介入や金融緩和によって人為的な円安対策を弄し、米国と中国が主導する世界通貨安競争の土俵に乗ることは、メガ企業と欧米の消費者を潤すだけであり、長い目で見て愚かなことだろう。それは、1ドル360円から80円まで、4倍以上に上がっても国際競争力を維持し続けている日本経済の実力を考えても明らかだ。
単純に考えて、自国通貨の価値が上がっていくということは、日本が金銭的により豊かになるということだ。折りしも、世界的な金融緩和や中東情勢の不安定化により原油・食糧の高騰の兆しもある。貿易立国という固定観念を取り払えば、円高という事態を最大限に活かす政策は十分に可能なのではないだろうか。
●国内産業の空洞化をどうする?⇒本当に必要な仕事を創出する!
通貨高による最大の問題は国内産業の空洞化だ。為替差損縮小のための生産拠点の海外移転は、国内拠点の縮小⇒人員削減を意味するし、対外投資とそこからの所得収支の増大とは、不労所得への依存を高めていくことを意味する。19世紀、英国が「世界の工場」の地位を米国に譲り渡したのも、戦後、基軸通貨のメリットを享受してきた米国が今また衰退の途にあるのも、この構造によるものだ。日本がそうならないためには何が必要だろう?
日本では’70年貧困の消滅によって私権活力は衰弱してしまい、市場は縮小する一方だ。従って、新産業といっても、従来のようなモノの豊かさや個的生活を彩る商品やサービスでは、国内では可能性のある仕事にはなりえない。
るいネット:「政府府の成長戦略は間違い。新製品の景気牽引力は弱まっている。新分野開拓による経済拡大はもはや妄想に近い!」 [8]
私権活力に代わって人々の活力源になりつつあるのは、相手や周り、社会の期待に応えて充足を得ようとする「期待応望」の活力だ。だとすると、次のような可能性が考えられるのではないだろうか。
1.モノの消費は海外へ。国内は研究・開発拠点に特化。
ものづくりの優れた技術力は日本の大きな財産だ。これを衰退させる手は無いが、国内には市場がない。そこで、市場は今後豊かになっていく途上国に委ね、国内は技術を進化させ、これを国外へ提供する研究・開発および中枢部の生産に特化する。円の価値に相応しい技術力と品質を保ち続ければ、世界から必要とされ続ける存在になるだろう。
(3/18追記)特に、今回の東日本大震災で致命的な欠陥が明らかになった原発に代わる、自然の摂理に則った安全な新エネルギー開発は急務の課題になっていくだろう。
2.「本当に必要な仕事」に金と人を充当する
モノやサービスを生産・消費するための時間や人は余ってくる。それでも日本には、まだまだ必要だが足りない仕事は残っている。たとえば先進国では考えられない40%の低い食糧自給率。たとえば進行する高齢化に対する介護・福祉。GDPという金銭計算上は小さいか知れないが、こうした皆が本当に必要としている仕事に金と人を割くことで、国の基盤はより安定し、人々の活力上昇に繋がって行くだろう。
3.誰もが社会の当事者となる“本物の”民主主義国家へ

 万人が属している社会を統合する仕事は、万人によって担われなければならない。それに本来、社会を変革し、統合してゆく仕事ほど、面白い、充実できる仕事は他にない。その大切な社会統合の仕事を、国民に選ばれた訳でもないのに、官僚や学者やマスコミが独占し、自集団の利益を第一にして甘い汁を吸っているという仕組みが、根本的におかしいのだ。
実現論 [9]より

モノに満たされながら閉塞感が漂う現代の日本において最も必要な、そして「みんなの期待に応えたい」「社会の役に立ちたい」という人々の新たな欠乏に最も応えられる仕事とは、答えの出せない官僚やマスコミに代わって、誰もが社会を動かす当事者となることではないか。ブログやツイッターでの発信の隆盛、社会的企業 [10]の登場などはその萌芽であり、この流れが進んでいけば、文字通り万人参加の本物の民主主義国家が可能になる。
円高による日本の債権国化とは、それによって生まれる資金や人、時間の余剰をこうした本当に必要な仕事や社会を統合する仕事に充てることで、日本は英米のような活力衰弱に陥ることなく、物的需要の飽和した次代の社会のモデルを世界で初めて構築するチャンスなのではないだろうか?

[11] [12] [13]