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シリーズ「認識形成の場が国家と市場を超える」⑩ 〜認識形成の現状〜

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 本シリーズのまとめをシリーズ「認識形成の場が国家と市場を超える」⑨〜まとめ〜 [1]で扱いました。人々の意識潮流がどのような社会統合機構を指向しているのかというのを順を追って見てきました。
 
 今回は、番外編テーマとして新しい意識生産の場=認識形成の現状は?(認識形成サイトの構築に対する最近の動向は?)というところを扱っていきたいと思います 😀  
 
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■意識潮流の変遷
 
 認識形成の今後を見てゆく意味でも、るいネットの投稿を参考にしながら改めて70年以降の意識潮流の変遷を押さえておきたいと思います 😛  

〜以下引用〜
 70年代貧困の消滅から90年代の私権崩壊が人々の収束不全を引き起こし、本能を直撃、20年の蓄積を経てまず収束したのが秩序収束である。そこでは若者に代表されるように共認収束を経てまずは人=仲間収束した。
 その後、02年以降私権崩壊が決定的になると、仲間収束だけでは納まらず、課題収束を引き起こす。遊びどころではないという状況から仕事や勉強という課題に向かった。しかしそこでの課題収束とは不安発ではなく「役に立ちたい」「喜んでもらいたい」「評価が欲しい」といった充足発である。この充足発の課題収束はしばらく続き、現在の充足基調を生み出し、なんであれ充足したものが勝っていく時代に入ってきている。
この充足基調によってそれまでの(私権時代の)代償充足である解脱充足、遊びといったものが、ほとんど姿を消し、仲間達と成果を生み出し充足するといった課題充足の地平に移行してきた。
 そして現在、その先にようやく向かおうとしている。
その充足を仲間や身近な処から社会空間に広げていく過程である。
この段階がようやく認識収束、観念収束の地平になる。
    ┌─本能─┐   ┌─共認─┐  ┌─観念─┐ 
    |     |  |     |  |     |
収束不全==⇒秩序収束==⇒課題収束==⇒認識収束
  70年      90年      10年      ?年
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るいネット:「課題収束を社会空間に広げていくきっかけも「充足」である」 [2]より〜

 
 現在では、社会として統合はされていないまでも、各人がそれぞれの課題に収束している状況にあると思います。そして、問題意識の高い人を中心に、実現するために本当はどうなっているの?という事実収束が広がりつつあります。
 
 それらの諸課題及び山積する社会問題を解決してゆくには、社会全体を貫く構造認識が必要不可欠ですが、現時点では認識収束が社会的に健在化してきたとはまだ言えない状況にあるのではないかと思います。
 (潜在的に、ネットでの事実発信や勉強意識の上昇など、認識収束と呼べる潮流は生まれてきています) 
■認識形成の場の変遷 
 ネットが普及するまでは、認識形成はマスコミや学者等の特権階級にほぼ牛耳られていた状態 😥 でしたが、ネットが導入されて双方向のやりとりが出来る様になり、また、ブログが導入されてさらに多くの素人が発信出来るようになりました 😛
 社会不全がさらに増大し、答え欠乏→認識収束がどんどん強くなっている。それにつれて、市場原理の観客読者(新聞テレビ等)は減ってゆき、本源原理の協働読者が増えています。
 
☆認識形成の最新事例としては…

・ブログが登場し、多数の読者を集める質の高いものも増えてきた。
・ブログ同士で手を組み(トラックバック、相互リンク、バナーetc.)、協働関係の構築がみられるようになった。
・マスコミ不信→ネットで事実探索をすることが普通になってきた。
・若者の勉強収束(なんでや露店へ、ネットサロンへ)が確実に強まってきた。
・大学サークルで盛り上がっているのは社会系サークル
・ネットコミュニティーの中でも質問系サイトの利用者増大
・朝活等、ビジネスマンの勉強意欲上昇

などが上げられます。
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■東日本震災によって認識形成が加速され始めた  
 3月11日午後2時46分東北を中心とする東日本で未曾有の大地震が起き、その直ぐ後に津波が到来、東北沿岸部を中心に壊滅的被害を受けました。また、その地震と津波の影響で、福島第一原子力発電所の原子炉が停止後制御不能に陥り、現在小康状態にあるものの、未だに収束していません。
 
 そのような状態のなか、政府発表・マスコミの報道に変わって、本当に必要で正確な情報のやりとりがネットの中で行われ始めています。

〜以下引用〜
 もう一つ変わることがあります。
 
被災という緊急課題においては、出来る限り正確な情報や認識を、受信者も発信者も心から求めています。つまり事実収束が進みます!
 
 この間で、いい加減な情報や認識をした者は後日信用を失います。つまり淘汰が進みます!
 また、緊急だからこそ、これまでの勉強や技術や経験や知恵や実現力が試されています。中でも実現力が試されおり、平時に見られる保身や隠蔽のような発信するための壁を突破するかのように、評価圧力が、引きこもっていた学者や専門家や政治家の発信の背中を押しています。心あるプロなのかどうか、実力のあるプロなのかどうかが見極められる。
 それと同時に、素人の情報交流力とでも言いましょうか、集める、流す、考えを述べる、交わし合う、そういうものが加速されてすごい勢いを感じます。
 下手をすると、政権や一部の大企業による国家支配さえも覆しかねない、事実収束、事実ネットワークが形成される可能性があります。
 心あるプロが評価される側に立てるかどうか、素人が事実収束できるかどうか、M9クラスの激震が認識の世界にも起きているように感じます。
 〜以上るいネット:「認識の世界もM9クラスの激震が起きているのではないだろうか?」 [3]より引用〜

 
 政府発表やマスコミの表面的な報道の代わりに本当に有効な手段として、被災地と全国をつないでいたのがネットでした。ほぼ電話が通じない中、現地の状況や親族の安否確認にはツイッターが使われ、安否の報告・確認依頼など本当に必要なやりとりがなされました。 
 また、支援の呼びかけなどで実際に必要な物資や現地の状況が事細かく発信され、おにぎりが600個必要と発信すれば1時間ですべて集まるなど、皆が協力しこの窮地を乗り越えるにはどうすれば良いのか?という認識が集約されたと言っても過言では無いと思います。
 
 災害という緊急課題だからこそ、このような事実収束、事実ネットワークが形成されたとも言えますが、ここにその可能性が実証されたと言えるでしょう。政府機能を介せずとも、自治とも言える被災時の対応が行われたのです。まさに人々が知りたい事実が素人の手によって発信され、人々を動かす様になった。政府や行政が無くても成り立つことが見えてきた瞬間ではないでしょうか。 
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%E3%80%90%E7%94%BB%E5%83%8F4-2%E3%80%91.jpg▲画像はツイッター上でのつながり 
 また、政府とマスコミの大本営発表に対する違和感も頂点に達しています。原発で放射能漏洩にたいし、こじつけの理由で安全・大丈夫を連呼し国民を洗脳しようとしている姿は多くの人々の違和感・不信感を生み出しました。 
 
今回の地震により大きく5つの意識が現れ、今後顕在化していくと思われます。
①必要か否か(≒遊びの失速)
②役に立ちたい、みんなで助け合っていこう
③実現思考(批判より実現)
④現代信仰の凋落(市場推進派(ex.学者、科学、都市)の建前が崩れ、事実や本質を見極めようとする意識が顕在化)
⑤マスコミ発ではない、大衆発の世論のまとまり
 
 これらの意識が進むことにより、地震時の成功体験をベースに、新しい共認形成の場を構築してゆくということが見えてきたのではないでしょうか?
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