- 金貸しは、国家を相手に金を貸す - http://www.kanekashi.com/blog -

シリーズ「食糧危機は来るのか」11〜『市民皆農の時代へ』という考え方 〜

311・東日本大震災福島第一原発事故によって、(不運にも)食糧危機が現実味を帯びてきました
津波が農地へもたらした塩害、さらには放射能汚染による農地、漁業へのダメージは、今後の日本の食糧問題を深刻化させました。

農林水産省は3月29日、津波による流出や冠水などの被害農地面積が推定で約2万4千ヘクタールに上ると発表した。宮城県では耕地面積の11%に当たる約1万5千ヘクタールが被害を受けた。
 宮城県の農林水産関係被害額は、29日現在で約6980億円、そのうち津波被害が約6910億円を占める。用排水機場の損壊や農地の浸水、園芸施設などの損壊、イチゴや野菜類の浸水など多岐にわたる。 農業共済新聞 [1]より 

[2]
<津波が押し寄せ、損壊したハウス(宮城県岩沼市、3月12日)>
 ※同上サイト [1]よりお借りしました
2月から始まった当シリーズでは、一貫して「食糧問題は市場経済と表裏一体であること」、また「農業という仕事そのものが社会or国家全体で取組むべきこと」を主軸に展開してきました。
未曾有の事態に直面した今こそ、国民全員がこの食糧問題と向き合い、みんなで乗越えていく格好の契機と捉えなおすことができるのではないでしょうか。
るいネット [3]
メルマガ [4]


■元来、他集団に食糧確保を委ねる集団などない
歴史的に農業含めた食糧生産は、元々消費と一体でした。現代よく言われる“地産地消”という意味合いだけでなく、地域や村落共同体が生産した食糧は、その住民や成員が消費するという“生産と消費の一致”があり、有史以来、食糧確保は生活に密着した“集団課題”だったという事実構造があります。つまり、自集団の食糧確保は、生死に関わる重要な生産課題だったということです。
では、なぜこれらの前提構造が崩れたのか?
その答えは、(シリーズ初期のエントリーでご紹介したように)市場拡大にあります。
>そもそも、世界人口の急激な爆発と格差問題が生じたのも、とりわけ近代以降、つまり市場拡大と軌を一にしています。そして、逆に先進国だけを見れば、日本を筆頭に人口は軒並み少子化傾向に転じています。市場拡大と食糧事情の格差はもちろん、もしかすると市場拡大と人口増加との間にも何らかの相関関係があるのかも知れません。<
日本の自給率の低さの原因は、明治の開国〜戦後復興〜現在に至るまで、工業化を優先させ、海外という他集団国家に食糧生産を委ねてしまった=農業より工業を優先させたことによります。
その根底には、市場拡大(ex.富国強兵)が絶対というスローガン、固定観念があったのです。
■浮き彫りとなった市場原理優先の社会構造
今回、とりわけ原発事故が明らかにしたことはまさにこの部分で、市場拡大=利権に獲得よる原発推進が、消費の舞台である「大都市」から遠く地価の安い「地方」(≒食糧生産地)に原発を建てさせ、その地と住民に甚大な被害を与えたのです。
そして、消費地たる大都市は直接の被害を受けていない(今のところだが・・・)。
つまり、市場拡大を優先させた社会構造そのものの歪みが、原発問題を通して露になってきたのです。
そして、食糧に焦点を当てると、水や食糧そのものの安全性が問われ、また生産基盤たる土地も塩害や汚染で失う形となってしまった。何よりも雇用を含めた食糧生産基盤そのものを再生させなければならないという難課題に直面しているのが現時点の日本なのだということです。
■「市民皆農」の提起
この危機において、どこに可能性を求めればいいのか?
既に述べてきたように、食糧確保は集団を超えた社会的課題である、この認識こそ問題打破への最終回答となるのです。

『市民皆農の時代へ』という考え方
 
現在の農業の問題の一つとして消費者と生産者が分断されてしまっていることが上げられる。
一方で顔の見える農業に代表されるように、農に対する期待感の高まりを感じている。
そこで消費者と生産者の距離を縮める方法として『市民皆農の時代へ』という考え方の事例がまとめられたものがあったので紹介します。
NPO理事長日記さんより引用します。リンク
***以下引用***
「市民皆農の時代へ」
●「食べる・消費する」生活から 「作る・参加する」暮らしへ
  →「半農半X」スタイルのすすめ
◎市民皆農(しみん・かいのう)とは、
自然農法家・福岡正信は、「国民皆農論」(「緑の哲学」別冊、1975)で「一反百姓になろう」と提唱。「自らの食は、自らが作る。それは万人の基本的生活態度でなければならぬ。それは、どんな事態がおきても、最も安全にして豊かな生命の糧を保証するばかりでなく、日々人間が何によって生き、何をめざして生きていくかを確かめてゆく生活となるからである。一家族の生命をささえる糧を得るには、一反(10アール)でよい。その面積の中で小さな家を建て、穀物と野菜を作り、一頭の山羊、数羽の鶏や蜜蜂を飼うこともできる。」
ブラジルから戻った坂根修が、埼玉・寄居に「皆農塾」を開設し、「みんな百姓になればいい」として、「皆農」を提唱。「私のところの生活費は6万円。その他に公共料金、ガソリン代、税金だ。合計で13万円もあれば食っていける。(中略)これくらいの収入では、そうとう貧乏していると思われるかも知れないが、わが家には冷蔵庫も洗濯機もテレビもある。ビデオはないが、最近ガス湯沸し機も入った。ただ欠けるのは、貯金通帳の残高だけだ。」
◎半農半X(はんのう・はんえっくす)とは、
京都・綾部に住む塩見直紀が、『半農半Xという生き方』(2003)で、「すべての難題を一挙に解決できる方法」として提唱。「環境、食、心、教育、医療・福祉、社会的不安を抱えたこの時代を生きていくために、どうすればいいのかと人から問われれば、私は『半農半Xという生き方がいい』と答えるでしょう。(それは)自分たちが食べる分だけの作物を育てる『小さな農』を行いながら、好きなこと、個性、天賦の才を活かした仕事をして一定の生活費を得る。お金や時間に追われることなく、人間も地球もストレスから解放されるライフスタイルである。」
◎なぜ、市民皆農、半農半Xか
◇新しいキーワードは市民皆農。
「(市民皆農とは)市民誰もが何らかの形で農に携わり、農家の支え、農を守ることを意味する。①新鮮でおいしく、安全な食べ物が食べられる。②自ら作物を作り育てる充実感や喜びを得られる。③農作業に携わることで健康になり、ストレスを解消できる。④日本の農業を支え、食料自給率をあげることにつながる。⑤残り少ない日本の自然や景観、文化を守っていく一助になる。⑥『農縁』の構築が、地域の再生や活性化のきっかけとなる。など、多くの意味があるが、市民皆農は市民自らがいきいきと生き、豊かな暮らしを取り戻すことが主眼となる。年間3万人が自殺し、生活習慣病やうつ病が蔓延する『病める大国ニッポン』の有効な処方箋になるに違いない」
(中略)
◎市民皆農、半農半Xを実現するために
1.まずは地場産の野菜を食べる
自給率を都道府県レベル、さらに市町村レベルまで落として考えたい。東京都では1%だが(農水省統計)、東久留米の自給率はどのぐらいだろうか。市内の直売所や地場産組合主催の直売などを利用しながら、時に、農家の方とお話もしてみよう。いま注目の柳久保小麦だって、種まきから収穫まで、半年以上かかる現実を聞けば、何か感じることがあるはずだ。
2.ちょっとした野菜を家庭で作る
ベランダや庭で、あるいは台所で、パセリやミツバ、カイワレなどは簡単だが、土があれば、ミニトマトも意外と簡単に作れる。
3.市民農園・体験農園を利用する
市内には、8箇所の市民農園、1箇所の体験農園が開設されている。募集時期があるので、広報でチェックして、にわかファーマーになってみよう。
***以上引用終わり***


「市民皆農」
いわば、国民全員が農業に携わるシステムの提案です。
先述したように、そもそも農業=食糧確保という課題は、企業や農家で(個別に)取組む
課題ではなく、(国家)統合課題の位相にあります。即ち、農業は社会統合課題なのです。

万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。
1.社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければならない。
2.しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければならない。(るいネット 実現論 [5]より)

「半農半X」(※Xは別の業務=専業)とは、(現在の)仕事に従事する一方で、社会統合業務である「農」に国民全員で取組むことを意味するのです。
このシステム・理念の元に、「国民皆農」を実現できれば、高齢化後継ぎに悩む日本農家を救うことができ、かつ安定した雇用ともなります。生活費は通常業務で稼ぐことができるため、価格格差の問題も解消されます。当然、社会統合業務である農での収入も必要です。
取組みの事例としては、まだ不十分ながらも、誰もが参加できる農の「場」として、ドイツに端を発した日本版「クラインガルテン(小さな庭)」 [6]や、神奈川県南足柄市では、「制度」としての「市民農業者制度」 [7]を実現したりと、少しずつみんなが農に取組める土壌が出来あがりつつあります。
何より、今回の震災や原発により、食の安全性に対する意識が高まり、国民の期待が食糧→農業に集まっています
福島県の避難民の移住先や雇用の確保も含め、国家・社会が取組むに値する課題となるはずです。
[8]
<仙台市の被災前と被災後の姿 
  画像は NewYorkTimesから 当ブログにて加工>
食糧危機を迎えた今こそ、社会統合課題としての「農」を再生させることができる最大のチャンスである。
このシリーズの最終回答として、私たちが伝えたいことです。
次回は、シリーズ総集編をお送りします。
 

[9] [10] [11]