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経済破局を超えて、新しい政治経済の仕組みへ 第16回 縄文体質を持つ日本人だからできる実現可能性〜大震災を克服して〜

・・「縄文文明こそ日本文明」・・新しい日本の仕組みを模索する時、「日本人の持つ本源性って何?」「日本人は何を羅針盤にしている?」など根源的な疑問を抱きます。そんな根源的な疑問に答えてくれたのが、この簡潔な言葉でした。・・・・『縄文文明こそ日本文明』 
 
前回は、「日本文明の根幹を形成する縄文文明」「21世紀は縄文文明の精神へと回帰する」など、縄文体質を持つ日本人の特徴を扱いました。今回は、大震災を直視して立ち上がる人々、縄文体質を持つ日本人だからできる仕組みなど実現可能性について考えます。 
 
東日本大震災は、あらゆる意味で今ある仕組みを大転換する必要が求められています。日本は、弥生時代以降、常に近隣諸国からの影響を受け入れ、特に近代は、欧米に倣う市場社会を推進してきました。そして東日本大震災・津波・福島原発事故を前にして、(大量消費の)市場社会は問われ(みなと共に暮したいと思う)縄文回帰へと見られる事象が見て取れます。 
 
地震発生の直後は、このような状況でした。

岩手県大船渡市の避難所、市民文化会館「リアスホール」で、アルバイト佐藤透さん(45)は恐怖の瞬間を振り返った。 
 
地震発生の直後、自転車で高台に逃げる途中、背後で電柱の倒れる音がした。津波がそこまで迫っていた。「振り向く余裕も無かった。1、2分遅かったら巻き込まれていた」自宅は全壊した。「両親の位牌(いはい)も通帳も、どこへ行ったか分からない」と肩を落とす。 
 
「大津波で全滅」と伝えられた岩手県大槌町。和食料理店「千勝」を営む千葉勝さん(67)は、妻と2人で切り盛りする店舗を「全て流された」。妻とは避難所の大槌高で会った。 
 
「ほっとしました」「旬の地物の魚をおいしく食べてもらうのが喜びでした。年もとりましたが、小さくてもまた店を出したい。長男には来月、子どもが生まれます。初の内孫です。仕切り直しですね」 
 
震災に屈するつもりはない。 
 
河北新報、避難所は今「さまざまな思い/悲しみ・不安抱いて 唇かみしめ再起誓う」 [1]

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     本文で紹介します「ふんばる」人々、八木澤商店河野社長です。 
 
縄文体質を持つ日本人だからできる実現可能性について考えます。
1.「ふんばる」人々、「支える」人々・・・・河北新報報道より 
2.『市民皆農』、『半農半X』仕組みを提唱・・・・るいネット秀作投稿より 
3.『徴員制』制度を提唱・・・・るいネット秀作投稿より 
 
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1.「ふんばる」人々、「支える」人々・・・・河北新報報道より 
 
震災後東北の人々の動きを最もしっかりと伝えているのが、仙台市に本社をおく地方新聞・河北新報です。河北新報の特集記事と編集委員・寺島英弥氏のブログから紹介します。

「ふんばる」人々 
 
東北の人々にとって永劫忘れえぬ日となろう「3・11」から、月が変わりました。職場の多くの記者が3・11からほとんど休みなく走り続け、「その日」の時間が終わらず続いているような感覚すらあります。 
 
しかし、過酷な試練を背負った被災地でも少しずつ、人が動き始め、新たな時を刻み始めました。 
 
今日4月2日付の夕刊を開いて、あっと声が出ました。「苦難に負けぬ」という太字カットの記事の1つが、「陸前高田 老舗しょうゆ店事業再開 『日本一』もう一度」。 
 
『事業を再開した1日。仮設事務所を置く陸前高田市の陸前高田ドライビング・スクールに、社員約30人が集まった。「これ何だと思う? みんなの給料袋だ」社長の河野和義さん(66)が真新しい銀行の封筒が入った紙袋を掲げた。長男で専務の通洋さん(37)が一人一人に手渡すと、小銭交じりとあって社員から「重いよ」と笑いが起きた。 
 
この場で、和義さんから通洋さんへの社長交代が伝えられた。「地獄からはい上がるなら、スピードと体力が必要。若い俺の方がいい」通洋さんの直訴を和義さんが快諾した結果だった。 
 
社員には今後の方針も示された。「生きる」「共に暮らしを守る」「人間らしく魅力的に生きる」—。雇用は守り、行方不明者の捜索やボランティア活動も本業と位置付けた。 
 
『余震の中で新聞を作る10「ふんばる」人々と出会う』 [2]

八木澤商店は、ホームページで次のような強い決意が読み取れるメッセージを発信しています。八木澤商店ホームページ [3]

八木澤商店は、製造設備も原料も全て失い、みなさまに今までのようにご注文いただいた品をお届けすることができません。ホームページでは当面、製品の販売を休止させていただき、現在の状況(会社だけでなくできたら地域のことも)を不定期ながらお伝えしてまいります。 
 
社員の皆さんには、当面は不自由やご面倒をおかけします。4月には新入社員が入社します。それまでには再生計画を考えておきます。八木澤商店の基本方針は、”生きる””共に暮らしを守る””人間らしく魅力的に”この三つの言葉が、今後の再生のキーワードです。八木澤商店は、必ず再建します。ご協力よろしくお願いいたします。 
 
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    津波に襲われるヤマセン醤油(八木澤商店)建物、何もかも無くなった 
 
次は、河北新報の特集記事からの紹介です。

「支える」人々 
 
東日本大震災で、(宮城県内陸側にある)栗原市は全国で最も強い震度7を観測した。停電、断水が続く中、自家発電燃料と緊急車両のガソリンの確保が課題だった。市立3病院は燃料が2〜3日分しかなく、命が懸かっていた。国にも掛け合い確保に全力を挙げた。 
 
震災の3日後、(栗原市隣の)登米市長から(海側にある)南三陸町支援の依頼を受けた。同町は役場、病院、警察署が津波に流され、40人近い町職員が死亡、行方不明になった。震災直後は約9700人が54カ所の避難所に身を寄せ、大変厳しい状況だった。後方支援の使命があると強く思った。 
 
(南三陸町の)佐藤仁町長のひたむきな姿に心を打たれ、500人規模の避難者受け入れを決めた。内陸地震の経験を生かし、畳、布団、風呂、温かい食事、清潔な生活環境を提供し、1人当たりのスペースも2.5畳とゆとりを持たせた。市医師会の協力を得て、避難者の健診やエコノミークラス症候群の診察も行った。 
 
『支える人々(3)栗原市長、市災害対策本部長・佐藤勇市長』 [4]

   
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    支える人、栗原市佐藤勇市長、被害にあった南三陸町防災対策庁舎 
 
 兵庫県出身、衆院議員秘書を経て1983年から県議5期、05年の市長選で初当選し現在2期目佐藤勇市長の言葉です。 
 
「首長は住民の声に誠実に耳を傾け、丁寧に対応しなければならない。情報は迅速に提供し、住民と共有する仕組みが必要だ。一口に被災地と言っても自治体によって地域特性、産業構造はさまざま。復興の形も違ってくる。国や県はこれまで以上に現場へ足を運び、地元住民の声を聞いてほしい」 
 
佐藤勇市長の言葉は、あまりにも自然な当事者としての責任意識に溢れ、現場主義、現実主義の姿勢に貫かれています。東日本大震災は、今までの市場社会から大転換する機会が求められています。そこで、新たな社会について真剣に考えている“るいネット”秀作投稿より、新しい仕組みの提唱を紹介します。 
 
2.『市民皆農』、『半農半X』仕組みを提唱・・・・るいネット秀作投稿より

「市民皆農」(しみん・かいのう) 
 
自然農法家・福岡正信は、「国民皆農論」(「緑の哲学」別冊、1975)で「一反百姓になろう」と提唱。 
 
「自らの食は、自らが作る。それは万人の基本的生活態度でなければならぬ。それは、どんな事態がおきても、最も安全にして豊かな生命の糧を保証するばかりでなく、日々人間が何によって生き、何をめざして生きていくかを確かめてゆく生活となるからである。 
 
一家族の生命をささえる糧を得るには、一反(10アール)でよい。その面積の中で小さな家を建て、穀物と野菜を作り、一頭の山羊、数羽の鶏や蜜蜂を飼うこともできる。」 
 
『市民皆農の時代へ』という考え方』 [5]

「半農半X」(はんのう・はんえっくす) 
 
京都・綾部に住む塩見直紀が、『半農半Xという生き方』(2003)で、「すべての難題を一挙に解決できる方法」として提唱。 
 
「環境、食、心、教育、医療・福祉、社会的不安を抱えたこの時代を生きていくために、どうすればいいのかと人から問われれば、私は『半農半Xという生き方がいい』と答えるでしょう。(それは)自分たちが食べる分だけの作物を育てる『小さな農』を行いながら、好きなこと、個性、天賦の才を活かした仕事をして一定の生活費を得る。お金や時間に追われることなく、人間も地球もストレスから解放されるライフスタイルである。」 
 
『市民皆農の時代へ』という考え方』 [5]

大地震、津波、福島原発事故により、日本の農業も危機を迎えている。農業どうする?という現実は避けて通れない問題となっています。 
 
元々、市場化される前は自給自足されており、その時は、大多数の人たちが農業に携っていたのです。震災後の仕組みとして、「市民皆農」「半農半X」は、日本の農業どうする?という命題に回答を与えてくれます。 
 
さらに、大震災、福島原発問題を前にして、的確な方針さえ出せなくなった中央官庁の姿が国民の前に明らかになりました。「公務をどうする?」ここにも大きな課題を投げかけています。 
 
3.『徴員制』制度を提唱・・・・るいネット秀作投稿より

「公務員大改革、徴員制」 
 
公務員制の欠陥カットの根幹は、権限(政策立案・計画実行・采配決済の喜び)・栄誉(勲章)の両者とカネ(多額の給与退職金・袖の下等の余録)との縁を完全に切断することから開始すべきです。 
 
学卒直後から生涯公務員(官僚)として勤務するのではなく、「徴員制」を採用し、多くの国民が、交代で勤務年限を限り、無給を原則とする公務員として勤務することを義務付けます。 
 
具体的には、大卒以上で民間の勤務3年以上、高卒以下で民間の勤務5年以上を経た後、本人の適性(専攻分野)と希望時期にあわせて、55歳までの間の5年間を公務員として勤務します。この5年間は「無給」で給与退職金手当等の支給は一切ありません。 
 
『徴兵制ならぬ徴員制の提案』 [6]

徴員制により、国民一人一人誰もが、国民(住民)みなのために汗を流すことになります。5年制は一つの提案の形ですが、行政執行の権力を、みなで分担するという新しい形が見えます。

「徴員制」の利点(メリット)は、次の通りであります。 
 
1.「官」の総人件費が抜本的に縮減でき、財政再建の大きな足掛かりとなります。 
 
2.一度「民」を経験して入ってくるので、「官」に特有の意識・欠陥が縮小されます。しかも、5年で「民」に復帰するのが原則ですので、民と官が絶えず交流し、当初に挙げた公務員の悪風は、大きく滅失します。 
 
3.一般国民(民)も、一生に一度5年間の公務員(官)職務を義務的に経験し、国家社会への無理な要請や甘え(過大な福祉社会保障・公共投資等)を抑制します。勤務年数の縮減は、業者との癒着(贈収賄)の機会を減らすことになります。 
 
『徴兵制ならぬ徴員制の提案』 [6]

 
 
今や、日本人は一人一人が社会統合の役割を担う必要があります。そのために変革すべき仕組みが見えてきました。誰にでもやさしく、みなの意見を羅針盤にしてきた縄文体質を持つ日本人、だからこそ出来る実現可能性を感じています。 
 
いよいよ、次週はシリーズ最終章となります。全ての仕組みの源となる「共同体の時代」を扱います。 
 

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