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人工地震の可能性!?〜3:新聞記事から見る人工地震史

前回のシリーズ2では、3.11が人工地震だとした場合、それを主導した主体とその目的は何か、ネット上で繰り広げられる仮説を整理し、探究しました。シリーズ3では、過去の新聞を取り上げて、人工地震がどのように扱われてきたのかを振り返ろうと思います。

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人工地震の実験は最近でもちょくちょく行われているようです、前面には出してないようですが…

「鹿児島県・桜島の地下構造を探る実験で、人工地震を発生させるダイナマイト」(共同通信2010年12月9日)

 
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日本中が自国の武運を信じて戦争に突き進んでいた頃、新聞にこんな記事が載りました。

「人工地震で対日攻勢 敵アメリカ・笑止な皮算用 」
【ストックホルム特電】日本攻撃に手を焼いたヤンキーどもは夢の中で夢を見るような計画を立て対日攻勢手段を大真面目に研究している。その一つに人工地震で日本をやっつけようというのがある。
この計画は陸軍省からアメリカの著名地震学者レオ・ランネーという男に研究を命じたものといわれ、その構想は日本本土沿岸の軍海域に天文学的数量の炸薬を設置して一挙にこれを爆発させることによって人工地震をおこさせようというもので、東京、大阪、名古屋などの重要都市地域はこのため大騒動が起り激震に見舞はれるだろうという皮算用だ。
 ランネーの計算によれば、大阪沿岸の海底約四千平方呎(フィート)に仕掛けて相当の地震を発生させるには五億トンの爆薬が必要であり、多数の潜水艦がこの爆薬を約六百万トン鋼鉄の筒に入れて、爆雷と同様三千呎の海底に沈下させなければならぬという。
しかもこんな苦労をして地震を起こしたとしても果たしてどの程度の地震が起こるか測定することは不可能だという結論が出てご破算、さすがのヤンキーもフームと唸っているという。
(読売東京朝刊 1945年1月9日)

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「人工地震で対日攻勢 敵アメリカ・笑止な皮算用」(読売東京朝刊 1945年1月9日)

ヤンキー??いえ、不良たちのことではなく、当時はアメリカ人のことです。
人工地震の可能性が言及されていますが、ヤンキーはばかばかしいことを考えると笑っています。
その4日後、三河地震が起こりました。こうした、1000人以上の死傷者を出したM7前後の地震が1945年前後に4年連続で起こり、四大地震といわれています。
 OSS(CIAの前身)の1944年の機密文書に「地震をつかった対日心理戦争計画」があり、「原爆で地震をおこす」案が提案されていました。そして日本は2つの原爆に見舞われました。
地震との関係はあるのでしょうか。
いずれにせよ、当時アメリカが人工地震についておおいに関心があり、それを日本でキャッチしていたことが明らかとなっています。
1977年に締結された「環境改変兵器禁止条約」では、気象兵器を制限する環境改変兵器禁止条約が締結されました。人工降雨や人工津波などに加え、地震の誘発も想定されています。ということは、意図的に地震を起こし、被害を引き起こそうそうとした取り組みがあったことになるのではないでしょうか。
そこで、新聞記事から、人工地震の形跡を探しました。
そして、人工地震は、地球内部の調査のひとつとして、科学者の間では認識されてきていたことが、浮かび上がってきました。
人工地震による調査を最初に提案したのは、ドイツ人地球物理学者のエミール・ヴィーヘルトです。ヴィーヘルトは、地球の内部構造が一連の殻構造となっていることを最初に提案した人物でもあります。その後の経緯を、1955年9月23日の朝日新聞の記事が解説しています。
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「原爆で地球を診断−スイカをたたいて中身を調べるように−」(朝日新聞 1955年9月23日)

(ヴィーヘルトが)自信を得たのは1921年ドイツのオッパウの染料工場で約2000トンの火薬が爆発した大事故のときだ。この震動をドイツの常時観測網がうまくキャッチした…(中略)…ドイツ、フランス、イタリアあたりではもう1920年代からかなり沢山、人工地震を観測し分析して発表している。

戦後はアメリカでも人工地震の研究が盛んになっていることに言及しています
日本については、戦後10年の間に意外とあちこちで実行していたようですね。

昔から地震探鉱とか物理探鉱とかいって、ダイナマイトを爆発させ、地下からの反射波を調べて石油や石炭の層を探す探鉱法がある…中略…その規模が大きくなったのが、爆破地震動の研究で
ある…中略…岩手県の岩淵ダムの工事を利用して3回、釜石鉱山の人工落盤で4回、群馬県の野反ダムの工事を利用して2回やっている。火薬量は25年に岩淵で57トンを使ったのが、最大で、あとは大体数トン

この記事が書かれた1955年には、米ソ両国内とオーストラリアなど太平洋地域4ヶ所で原爆を爆発させ、大がかりな人工地震の実験をしようという計画案が、国際地球物理学者連合から提出されたためであります。当時の東大教授の坪井忠二氏は「学問的には非常に興味がある」とし、学者の間でも賛否が分かれました。
このとき想定されていた原爆は、広島に投下された3分の2の威力だが、関東大震災はその100万倍のエネルギーだとか…。
当時の記事を読むと、人工地震による調査を肯定しようとしているのか、今では得られないような情報が入っていて興味深いですね。
地を揺るがすようなものを人がつくっていることは間違いないようです。しかも、研究調査という形で、ある程度コントロールできるものです。
ただ、原爆といえども、単純な爆発では、大規模な地震のエネルギーには達しないようですね。
その後技術が進み、この「人工地震による調査」はどのように変化していったのでしょうか。

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