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中国の国家と市場に潜むもの〜(6)モンゴル・イスラム勢力に組み込まれたグローバル化時代

●モンゴル・イスラム勢力に組み込まれたグローバル化時代
こんばんは
「中国の国家と市場に潜むもの」シリーズです。第6回になります。
 宋の時代と元の時代を取り上げます。中国は国家主導で交易を行なうのが通例ですが、この両時代は国家主導で交易が行われていないという共通した特徴があります。またユーラシア遊牧勢力と中国の状況によってこの二つの時代の交易の方法は典型的に異なっています。今日はその共通点や違いなどの特徴を説明したいと思います。
 これまでの同シリーズは以下のようになっています。
中国の国家と市場に潜むもの〜 プロローグ [1]
中国の国家と市場に潜むもの〜(1)戦国時代に始まった市場拡大→貨幣経済と村落共同体の解体〜 [2]
中国の国家と市場に潜むもの〜(2)巨大帝国「唐」の形成過程とその背景にあるシルクロード [3]
中国の国家と市場に潜むもの〜(3)朝貢制ってなに? [4]
中国の国家と市場に潜むもの〜(4)朝貢貿易ってなに? [5]
中国の国家と市場に潜むもの〜(5)明代の海禁政策がもたらしたもの [6]
  
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宋王朝の交易船
ここ [7]からお借りしました。


【宋の時代:民間主導に近い海洋交易】
 唐が滅亡すると五代十国時代になります。長江下流には南唐や呉、沿海部には呉越、ビン(門構えに、虫が入る)、南漢などといったミニ海洋国家に分裂します。それら国王は節度使出身者がほとんどであり、きそって国力の充実にはげみ、新興の商人が台頭して人や物の往来が活発となります。そのなかでも、呉越・ビン国は海上交易で栄えたそうです。また、呉越国は山東以南の港に博易務や回易務といった交易所を設け、中原の王朝や日本、高麗向けに青磁を作って輸出したとされ、それがその後における華南商人の日本進出の先駆けとなったとされています。五代十国時代の後、宋(北宋、960-1127)が建国され、979年には中国を統一します。
 宋は五代十国時代を参考にして商業に力を入れ、軍人の力を弱めることにしました。地方の軍の兵数も削減します。この時、兵士の数をいきなり減らして失業者を出さないよう、あくまで新規採用をしないことで兵数削減を行います。さらに文官による軍の統括、シビリアンコントロールを採用します。
 宋代では、商工業に対する統制がいままでになく緩くなったため、商人は行・作とよばれる組合を組織、経済は活況を呈し、開封や臨安は人口100万をこえる大都市となりました。
 宋は、西側の北方民族=モンゴルに圧迫されていたので、東側の海上交易に依存せざるをえないという事情がありました。海上交易にあっても、管理交易のもとでありながらも、私交易が自由に行えるようになり、それがいままでになく盛んになりました。それは中世中国における商業革命といえます。
 宋では銭貨によって販売されていた塩引(塩の引き換え券)を、銀・交鈔によって販売しました。こうして塩引は国際通貨である銀と交換される価値を獲得し、しかも一枚の額面額が高いために、商業の高額決済に便利な高額通貨となりました。
 また、宋代における商工業の発展は技術革新に裏付けられていました。そのなかでも、製紙・火薬・羅針盤—これらは近世ヨーロッパの世界制覇の手段となる—は中国の三大発明としては有名でありますが、それに以外にも多くの発明と発見が行われました。その1つが大型ジャンクの建造です。それは、荒波を乗り切ってゆけるV字型の船底と、隔璧で区切られた船倉をもった海洋船でした。
 宋代になると、その交易相手国は50か国にも達しました。広州(広東)は、古代から東南アジアやアラビア向けに活発な交易活動を行ってきた海港でしたが、北宋時代には中国の海上交易額の実に90パーセントをも占めるまでになります。
【宋が置いた海上交易を管理する市舶司】
 宋代、海上交易がますます盛んになるもとで、海上交易を管理する市舶司が置かれ、市舶条例に基づいた管理がされました。
 五代、宋代における市舶司の職掌は、次のようなものでした。それは交易管理権限を一手に掌握する内容となっていますが、それらのうち専売品の買い上げと販売、関税の徴収、密輸の監視、中国船への出航許可証の交付が重要でした。これら管海業務は他のシルクロ−ドと同じです。この市舶司は明朝中期の1551年まで続きます。
 なお市舶司はカントン・システムともいわれ、次ぎにようになっていました。
 1 入港貿易船と積荷の臨検と輸入税の徴収、税率はだいたい10分の1。
 2 専売品及び有利な貨物の収買、保管、出売など。
 3 貿易船の出港許可証の下付。
 4 舶載貨物の販売許可証の下付。
 5 銅銭流出の取締り。
 6 外国人および外国船の招来と送迎。
 7 官吏の不法行為の防止。
 8 漂着船と居留外人に関する規程。
 市舶司は国が積極的に交易を行なったのではなく、スムーズな交易ができるように管海業務を行なっていたことです。宋時代のあり方は民間主導で、国家はあまり介在していないのが特徴です。
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出所:ピエール・ヴィダル=ナケ編、樺山紘一監訳『三省堂世界歴史地図』、p.129、1995
【元の時代:民間主導でモンゴル・イスラム勢力に組み込まれたグローバル化時代】
 チンギス・ハーンのユーラシア征服によって、中央アジアの交易ルートはより安全なものとなり、このルートを通って往来する交易商人や使節の数は目立って増加しました。元=モンゴルの力で、ユーラシアの治安が安定します。治安安定によって、ユーラシア大陸で自由に交易ができるようになって、交易が活性化するのです。中国だけではではなく、イスラム側からの交易も盛んになります。民間主導となるモンゴル・イスラム勢力に組み込まれたグローバル化時代となります。
 
【元の経済政策は市場主義に近い】
 元の繁栄は、元の国家収入の屋台骨を支える塩・茶・酒・明礬などの専売制による莫大な収入と、経済センターとして計画設計された都、大都に集中する国際的な規模の物流からあがる商税が国庫を支えました。
 元の商税は銀納で、税率をおよそ3.3%に定められました。元の商税設定の特異な点は、都市や港湾を商品が通過するときにかけられていた関税を撤廃し、最終売却地で、売却時に商税を支払えばよいようにした点にあります。こうして物流にともなう関税の煩雑な手続きが避けられるようになり、しかも実質税額が低く抑えられたので、元では遠隔地交易が活性化し、国庫に入る商税の総額は非常に莫大なものとなりました。
 またモンゴルは初めて通貨としての紙幣を本格的に流通させました。金銀との兌換(交換)が保障されており、紙幣の流通を押し進めました。元では塩の専売制を紙幣価値の安定に寄与させて紙幣の安定性を解決しました。生活必需品である塩は、専売制によって政府によって独占販売されますが、政府は紙幣を正貨としているため、紙幣でなければ塩を購入することはできません。しかし、これは視点を変えれば、紙幣は政府によって塩との交換が保障されているということです。しかもごく少ない採掘額を除けば絶対量の増加がほとんど起こらない金銀に対し、消費財である塩は常に生産されつづけるから、塩の販売という形で紙幣の塩への「兌換」をいくら行っても政府の兌換準備額は減少しないのです。こうして、専売制とそれによる政府の莫大な歳入額を保障として紙幣の信用は保たれ、金銀への兌換準備が不足しても紙幣価値の下落は進みにくい構造が保たれたのです。
【次の明の時代には海禁=朝貢システムに】 
 次の明の時代は、国が交易を仕切るよう戻ります。民間交易を禁止しながら、他方で朝貢交易を拡大するという、海禁=朝貢システムと呼ばれる、中国に歴史のなかでも特異な時代になりました。それは、約200年ほど続くこととなりますが、それは同時に倭寇や在外中国人の密貿易やポルトガル人の進出によって掘り崩されていく時代でもありました。
【まとめ】
 
 まず、宋と元の共通点について整理します。 
 宋と元の共通点は交易が民間主導になるということです。中国という国は歴代朝貢貿易のように交易を国家が行なってきたのが一般的ですが、この両時代は異なっています。次の時代である明になるとまた国家主導に戻ります。
 また宋と元の共通項として、塩の専売と紙幣発行、商業に対する税制(商税)というような市場経済のようなシステムを導入しているという共通項があります。
 
 次ぎに宋と元の異なった特徴を整理します。
 宋の時代はユーラシア遊牧勢力(モンゴル)が西側エリアで力を持っているので、交易は西のユーラシア側ではなく、東の海側をルートにして交易が行なわれるようになります。この時代は中国でももっとも海上交易(海運事業)が盛んになり、南宋は中国最初の海洋国家となるのです。様々な船も開発されています。宋代の最大の変化は、唐代に比べ、商業の発達であったとされていますが、その一環として海上交易も商人が自由に行えるようになり、中国をめぐる海上交易は急成長を遂げることとなりました。
 かたや元の時代は、元=モンゴルの力でユーラシアエリアの治安が安定します。治安安定によって、ユーラシア大陸で自由に交易ができるようになって中国とユーラシアが繋がり、交易が活性化するのです。中国だけではではなく、イスラム側からの交易も盛んになります。また市場主義に近い経済政策(税制や紙幣の発行など)が元では行なわれます。交易の開放も宋と同じ流れです。
 
以上は篠原陽一さんの「海上交易の世界と歴史」 [8]中国史 [9]
ウィキペディアを参考にまとました。 

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