シリーズ江戸編。江戸時代、近代的な経済システムが成立していたのをみなさんご存じですか?世界経済の崩壊が目前に迫る現在ですが、日本人は近代的経済システムの崩壊過程をすでに経験しています。江戸時代の貨幣経済とその崩壊過程。今日はその内、貨幣経済が浸透した経緯を追ってみたいと思います。
前回までの記事はこちら
NO.1 幕府の独占交易〜本当は鎖国ではなかった江戸時代〜 [1]
NO.2 金貸し(カトリック)の狙い〜時の為政者の思惑〜 [2]
NO.3 鎖国の狙い〜貿易を独占し大名の経済基盤を奪った幕府〜 [3]
NO.4 幕藩体制の確立〜諸大名の「武力」+「資力」を削ぎ落した江戸初期の政策〜 [4]
◆金銀山を天領に指定
佐渡金山 [5]
家康の天下統一後、諸大名の力を抑止する様々な政策がとられたことは、よく知られています。その1つが金銀山の天領指定。
金銀(資力)で武器(武力)を入手できたため、大名にとって領内の金銀山は力の基盤に成り得ます。金銀山を天領とし支配下に置くことで、幕府は諸大名の財源を断ちました。
◆貨幣経済を導入
江戸初期、地方には独自経済圏があり税収で大名は力を蓄えていました。その蓄財を抑止するため、幕府は大名に参勤交代を命じます。また大名妻子息の江戸への常駐を義務化します。
大名行列
他方、幕府は掌握した金銀から貨幣鋳造し、統一貨幣経済を始めます。参勤交代の道中にかかる費用、江戸で消費階級となった妻子息を養う費用を、大名は貨幣で支払うことになります。
地方大名は地方独自の経済圏では成り立たず、統一貨幣経済に組み込まれます。こうして、江戸が潤い、大名の蓄財が抑止されるシステムが完成します。
三貨制度 [6]
◆貨幣経済による江戸の発展
参勤交代制により、街道と宿場町が発達します。また貨幣経済のため、大名は地方収入を江戸で消費し、江戸に富が蓄積していきます。その富を目当てに、人と商品が流入。物流が発達し、江戸は世界一の巨大都市へと成長していきます。
◆貨幣経済による市場化
貨幣と物流の発達に伴い、市場が活性化していきます。
市場において、江戸は金、大坂は銀の流通が主であり、金銀相場は常に変動していました。また米と貨幣の相場も変動していました。この変動相場を利用し差益を得る、為替取引が生まれます。両替商の中には、差益で得た収入を資本に金融業(大名や幕府に金を貸す)を発達させ、大名を凌ぐ豪商になるものも現れます。
江戸時代の流通機構 社会人のための日本史から引用
画像の確認 [7]
◆米本位制と貨幣経済
商人が台頭する一方で武士階級は没落していきます。
大名の主な収入は、農民が納めた年貢米。地方経済は、その米を主に成り立っていました。幕府による様々な経済統制により、大名に残されている収入増策は、米の生産量を増加させることになります。
一方で生産量が増加し米の流通量が増えると、米価が下がり、相対的に貨幣で支払うべき他の商品物価が上昇します。
武士階級の収入は税収からの現米、支出は札差にて米を替えた貨幣であるため、米の流通量が増加するほど、武士階級の家計は逼迫する結果を招きました。
◆まとめ
天下泰平の世を実現するため、貨幣経済を浸透させ、大名への経済統制を行った幕府。当初は狙い通り、大名の力を抑止することに成功します。しかし結果として、何をするにも金のかかる時代となり、生産せず、差益で大きく稼ぐ商人階級が台頭してきます。
序列体制の抜け道としての市場と、それを利用し、社会の富を吸収していく商人(金貸し)という、現代と同様の構造が、江戸時代からも読み取れます。やがては財政を圧迫させ、江戸を衰弱させていくのですが、それは次回以降、扱っていきたいと思います。
ここまで学ぶ中で、いくつかの疑問も沸いてきました。
・家康は商人の台頭を予測できなかったのか?
・貨幣経済の指南に、西欧金貸しの影響があったのではないか?
・通貨発行権は幕府が掌握しているにも関わらず、商人階級が台頭できたのはなぜか?
・一方で江戸時代が265年も続いたのはなぜか?
・江戸の貨幣経済と現在の資本経済の類似点、相違点?
こちらについても引き続き追求し、内容を紹介していきたいと思います。